会社からそう遠くはないのだが、駅構内が混んでいたりでスムーズに動けず、会場についたのが10分前くらい。門のところで男の子ふたりが「武道館だから」と言って拝んでから入っているのがおかしかった。でもナイス。武道館周辺のダフ屋も「チケットゆずってください」の人の数もはんぱでなく、大物感が漂う。

7時ジャストに客電が落ちたので、「お、オンタイム開始?」とびっくり。しかし(あとでわかったことだが)「一部」のバンドが高度でスピード感ある無意味な演奏をおよそ40分間行い(私は前座ということを知らずいつボウイが出てくるのかと終始固まっていた)、その後「二部」のボウイ様ご一行の登場とあいなった。

私は意地悪く「一部で時間を稼いで、二部は1時間半もないのかも。年だからな」などと考えたが、それはまったく下衆の勘ぐりというもので実に二時間を越えるステージ、何曲やったんだかわかんなくなっちゃったよという充実ぶり。われわれの席は床よりもむしろ天井に近いような場所(ステージ右後方から見下ろすような位置。舞台奥のスクリーンは見えず)だったが、いかなる場所にせよこのライブは聞かなきゃ損、死んでも死にきれないよという天晴れなもので、思いついてチケットを買っておいてよかったです。

最近の曲(「リアリティ」「ヒーザン」)を意欲的に演奏していたが、同様に古い曲もふんだんに披露する。よく「昔の曲はもうやらない、今の音を聴いてくれ」みたいな人がいますが、オープニングに「レベル・レベル」、〆に「サフラジェット・シティ」を配してこだわりなく新旧おりまぜるところなどボウイは器が違う。

数曲を除いて(「ヒーローズ」「チャイナ・ガール」など)、大まかに言って今回のライブでの「旧」曲は60〜70年代前半が中心で、そのあたりの音と現在、これからの方向性が共通しているということなのかしら、と友人と話し合った。今日のライブはそう思わせるようなロック色の強いものだった。しかし、その抜け落ちた年代(70年代後半〜80年代)のうち「フェイム!…ホワッチャネームホワッチャネイム」(前日はやったらしいのでなお無念)が聴けなかったのが私としては超心残りだ。

何年か前にやはりおそろしくブランクがあいた後に再来日したロキシー・ミュージックのライブが、自分で自分のコピーをしているかのような生彩を欠いたものだったので、今回もそのような危惧を感じていたのだが…ボウイはそんなことはまったくなく、それどころか逆に前回の「シリアス・ムーンライト」ツアーのときより若々しく見えるくらいだ。そこらへんのリアル若者よりよっぽどみずみずしいさ。この半端でない若々しさは、絶えず新しい方へ美しい方へと変化を繰り返す方向性とそれに伴う切実さによって生み出されるのではないかと打ちのめされながらつらつら考える。

ボウイの声はすばらしいです。以前に比べて落ちるどころか、つくづく他の誰にもない声質、そこに優しさと切実さを含んだ美しい声だと感じる。ベースのチャーミングな女性と「アンダー・プレッシャー」を歌ったが、私は美声の人がコーラスをつけるという「ぜいたく感」にたまらなく弱くてやられました。

派手な仕掛けもないシンプルなステージだが、音楽的に豊かで美しいライブでした。身軽に動き回るボウイ、心からかっこいい。記者会見で熱心に「地下鉄一日券」について逆質問していたボウイだが、本当に地下鉄に乗りたいんだろうか? もしそうなら彼の望みが叶えられますよう。

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