別れるということ

2004年4月19日
先週、会ったメール相手の人には結局「これ以上のおつきあいはできないと思います。ごめんなさい」というメールを書いた。

言わずもがなのことだったのかもしれないが、音沙汰なしでは来てくれたことやこれまでのお礼も伝わらずじまいだと思ったのと、やはり自分できりよくしたかったのだと思う。

お返事が来て「過去のことを考えるのは(私が)繊細過ぎるせいではないか。過去のことばかり考えずに前を見ていればよいと思ったが、自分では(私を)そのようにできなかった」という趣旨のことが書いてあった。

「過去のこと」というのは摂食障害の体験や家族との葛藤のことだが、私自身は今はそれらに悪い意味でとらわれているとは思っていない。

「過去を振り返る」のが良くないことだと考える人がいる。しかし過去を振りかえって上から下から内から外から眺めて見ないと、その先が行き詰まるタイプの人間もいるのだ。私のように。

「過去を振り返る」「過去の物語を書きかえる」(いまだに作業中)プロセスというのはおそらく見苦しいものであっただろうし、人に迷惑をかけ、自分も傷つけた。しかし、この過程で私は自分とどこかしら似た大切な人たちと出会い、干上がった海に水が戻るように少しずつ自分の感情と身体を取り戻すという貴重な体験をしている。

私は自分の身に起きたことを忘れたいのではないし、前向きになりたいわけではない。自分をおぶってくれる人を探しているわけでもないし、自分の過去を100%理解してくれなくても構わない。

ただ、今の自分も、そしてこの先の自分もかつての自分があったから、ということをいくらか分ち合ってほしい、そしてそういう意味で自分の過去を大事にしてくれる人と一緒にいたい(男でも女でも)。

自分から「さようなら」と言って、どこかの時点でこうなることは何となくわかっていたけど出会って別れるというのは何にせよ悲しいことです。

また別の話。
先日、亡くなった作家のSさんについて彼女のサイト、ファンサイト、掲示板を見てみた。いろいろな声や憶測を読んだ。これは私のまったくの野次馬根性からしたことなので、こんなこと言える立場ではないかもしれないが…「悼む」いうことは私にとっては言葉にする以上に、その人に対する思いを心の内にとどめておくことだと感じた。ご冥福をお祈りします。残された彼女の愛犬がこれからも十分な愛情を受けることができますように。

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