このところずっと、誰かがメダルをとったという朝のニュースで起きる。興味ないとか言っても、やはり気持ちよいものだ。入場料タダで、どっか(?)の原っぱでやるとかいう砲丸投げっていいかも…。

レッスンへ行く。ピルエットの練習で、だんだん回転時間がちょっとずつ長くなってきたような気がする。嬉しい。腰も痛い。ハワイのフレグランスオイル(サンダルウッド)をつい買ってしまった(1890円)。いい香りー。でもぜんぜん生活必需品じゃないのにー。帰って翻訳をやり、履歴書を書く。

図書館で借りた「海辺のカフカ」(村上春樹)を読んだ。(以下、ねたばれ有り枡)

私は以前かなりこの作家が好きで、とくに20代の頃には繰り返し読んだ。今でも「羊」「ハードボイルド」「ダンス」と、旅行記(「遠い太鼓」と「辺境」)はいいと思う。でも「スプートニクの恋人」の頃から遠ざかってしまった。

久しぶりに読んだが、あんまり変わってないという印象…この方はお話とか場所をつくるのはとてもじょうずなのだが、芯がない、というか(ああなんか私とても偉そう、でも書いとく)。細かいことの「たとえ」はじょうずなのだが、大きなことの「たとえ」は何だかぴんとこない、というか。身もフタもない言い方をすれば、肝心なところがよくわからないのだ。私の読解力が足りないか、既にその仕様でないせいかもしれないですが。

もっともよくわからなかったのは、主人公の少年が「父を殺し、母を犯す」ことについて、なぜ後者は自分でやるのに、前者は他人が代わりにすることになるのだ?ということ。こういうところで「メタファー」だか「超常現象」だかを使うわけ?お母さん(とされる人)美人だから?よくわからん。親は自分で殺すか、殺せないという事実を自分で背負うかのどちらかではないか(と私は思う)。この作品にはわりと多くの血が流れるが、比喩的な意味でもそれが「親子の呪い」に関するものとは感じられない。誰かの(比喩的な意味で)血が流れずして、「赦し」などない、と思う(つまり、「いいかげん生々しくやれ!」と言いたい)。

お話としてはおもしろいです。はい。でも、けちのつけようのない音楽(プリンスだとかジャズだとか)を聴き、もくもくとワークアウトをこなす15才の少年なんて私は嫌いだ。少年はやたらと偉そうなジャパニーズ・ラップを聴いてコンビニの前にしゃがむのだ!(…らんぼうな決めつけ)

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索