まだ現実に着地していない…
2004年8月27日東京ディズニーランド一泊ツアーへ行った。メンバーは妹、その子どもたちである姪っこ二人、父母、私。木曜の昼頃には着いて、結局10時の閉園近くまでいたがそれでもさすがに全然遊びきれない!
ディズニーランドとは、財力(とにかく何かしらお金がかかるから)に加えて、体力(歩き回るから)・忍耐力(待たされるから)プラス情報量(効率よく遊ぶには、アトラクションの混み具合、パレードの時間などを把握するのが鍵であるから)が試される戦い(?)の場である。母はくたびれ短期な父はすぐキレる。そして姪っこたちはまだ低学年かつこわがりなので、スリル系のアトラクションには入れず〔「プーさんのハニーハント」が限度。「ジャングル・クルーズ」は決死の覚悟で乗って、いいところで目をつぶってた(笑)〕。というそれぞれのディズニー難所はあったものの、一同おおいに楽しんだ。遊びにきている人たちの多くにならって私もかぶりもの(マリーちゃんの猫耳カチューシャ)を買ってつけ、パレードを見ては「20才若ければディズニーダンサー目指したかった!」などと性懲りもなく思う。
私が子どもで、初めてアナハイムのディズニーランドに行ったときは呆然としていた。当時、家族でアメリカに滞在していて、日本が恋しくなっていた私は「イッツ・ア・スモールワールド」の日本人形を特別な思いで見ていたり、「エレクトリカル・パレード」(今のものより多分かなりしょぼかったんだろうけど)の光と音楽に圧倒されたりしたのをよく覚えている。あまりに楽しかったので帰るときの切なさも同じくらい大きかった。他ではできない体験というのと、「もう二度と来れないだろう」と思っていたのかもしれない。70年代半ば、日本にディズニーランドが後年できるとは夢にも思わなかった頃のはなし。でも楽しい体験から現実に戻るのが悲しいのは今もおなじ。
金曜日はイクスピアリで買物、そして葛西臨海水族園にも寄ったのでへとへと。疲れを知らないお子たちと手をつないで、「(ぷち)ママ気分」を味わった二日間でした。
ディズニーランドとは、財力(とにかく何かしらお金がかかるから)に加えて、体力(歩き回るから)・忍耐力(待たされるから)プラス情報量(効率よく遊ぶには、アトラクションの混み具合、パレードの時間などを把握するのが鍵であるから)が試される戦い(?)の場である。母はくたびれ短期な父はすぐキレる。そして姪っこたちはまだ低学年かつこわがりなので、スリル系のアトラクションには入れず〔「プーさんのハニーハント」が限度。「ジャングル・クルーズ」は決死の覚悟で乗って、いいところで目をつぶってた(笑)〕。というそれぞれのディズニー難所はあったものの、一同おおいに楽しんだ。遊びにきている人たちの多くにならって私もかぶりもの(マリーちゃんの猫耳カチューシャ)を買ってつけ、パレードを見ては「20才若ければディズニーダンサー目指したかった!」などと性懲りもなく思う。
私が子どもで、初めてアナハイムのディズニーランドに行ったときは呆然としていた。当時、家族でアメリカに滞在していて、日本が恋しくなっていた私は「イッツ・ア・スモールワールド」の日本人形を特別な思いで見ていたり、「エレクトリカル・パレード」(今のものより多分かなりしょぼかったんだろうけど)の光と音楽に圧倒されたりしたのをよく覚えている。あまりに楽しかったので帰るときの切なさも同じくらい大きかった。他ではできない体験というのと、「もう二度と来れないだろう」と思っていたのかもしれない。70年代半ば、日本にディズニーランドが後年できるとは夢にも思わなかった頃のはなし。でも楽しい体験から現実に戻るのが悲しいのは今もおなじ。
金曜日はイクスピアリで買物、そして葛西臨海水族園にも寄ったのでへとへと。疲れを知らないお子たちと手をつないで、「(ぷち)ママ気分」を味わった二日間でした。
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