混み混み、という話を聞いて先送りにしていた「誰も知らない」をとうとう観た(渋谷シネ・アミューズ)。

元になった「西巣鴨子ども置き去り事件」はネグレクト(子育て放棄)のケースとして有名で、当時はセンセーショナルに報道されたそうだ。この映画はそれをモチーフにしてはいるが、事件の忠実な映画化ではない。(これから観る予定のある方はこの先読まないほうがいいかも、です)

子ども4人を置いて好きな男のもとに行ってしまう母は無責任といえば無責任だが、この映画の世界においては彼女の責任を追及することがテーマではない。この映画の中心である置き去りにされた子どもたちの目線に立ったつもり見れば、―誤解を恐れずに言うと―そういう気になれなくなってしまう。少なくとも日々を子どもだけで生活しなければならない時にあっては。それは今することではない。

コンビニの店員に「警察か誰かに相談したほうがいいんじゃない?」と言われて、「相談すると、4人で暮らせなくなるから。以前、福祉の人が来て大変だったんです」というようなことを長男が答えていたので考えてしまった。私は児童虐待の実際を知るわけではないので相当に甘い感想なのかもしれないけれど、「虐待と思ったら通報、がセオリーのはずだが…この子たちにとっての幸せとは何なのか? 大人に保護されて、安全は保証されるがばらばらになるより、子どもたちだけで4人で生活できたほうがかれらには幸せなのか?」と考えこんでしまった。

母親が残したお金も底をつき、電気も水道もとめられ…という文字通りのサバイバル生活に入ってからも子どもたちは工夫して仲良く暮らし、子どもらしい遊びもしている。大人から見れば厳しい生活のなかにも明るい、暖かい面がある(部外者からは辛いのみと思われがちな状況の幸福を拾って見せるところはいいと思う)。
演じる…という言葉がそぐわないほど、その世界に自然な振る舞いを見せた子どもたちは(カンヌで主演男優賞をとった柳楽優弥はもちろん)みなとてもよかった。力がある。特に「外に出ないように」という母親のルールを破ってみんなで外に出かけ、自分たちでやりくりするようになってからの子どもたちの存在感がすごい。髪が伸び、顔つきも変わって、まさに状況を生き延びている人の「たくましさ」を感じた。

でもでも、うーん…なんと言っていいものやら。観る価値のある映画だとは思う。ていねいに作ってあって視線もやさしい。細部に行き届いた映像は目に心地よい。ゴンチチの音楽も耳に心地よい、のではあるが。映画の終盤に不幸な事故が起こり…こうなったのは誰が悪いのか?と私は悪者探しをすることもできず、子どもたちは子どもたちの選択である「一緒に生活すること」を変わらず続けていくところを見せられて終わる。ファンタジーとして、心にとめることができればいいのかもしれないけれど、「ネグレクト」という現実的な問題を考えるとそれでいいのだろうか、ファンタジー(フィクション)にするならするで、もっと大技というか別な突破口を夢でもいいから提示してほしかったようにも思ったりして、ぐらぐらする。

「あの子たちがずっと仲良く暮らしていけますように、でもなんだか心配だわ」と宙ぶらりんの状態に観る者を置いて、「考えさせる」ことがこの映画の狙いだったとすれば、それは成功しています。私はゴンチチによる美しい音楽のミニCDを買い、それを聴くたびに子どもたちとあの部屋を思うでしょう。

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