あらかじめ打ちひしがれた女
2004年12月3日夕方、クリニックに行ったら、たんまり待たされた。でも、もっと荒んだ環境で、座る椅子もないほど患者がごっちゃりの病院で延々と待ってたこともあるから平気だもーん!
昼間は授業の準備でDV(ドメスティック・バイオレンス)関係の本を読んでいた。気が滅入る。いつ身体的・心理的・性的暴力をしかけてくるかわからないような男と「夫婦」としてともに暮らさなければならない、というのは想像しただけでも相当にきつい。「死ぬかと思った」ほどの暴力を受ける人も少なくないのだ。
それに加えて、実は私が気落ちするツボというのは別のところにもある。バタード・ワイフ(殴打される妻)さんたちの体験記などを読んでいると、「私ってそういう対象の女ですらない…」ということにどうしても思い至ってしまう。こういう考えに行きつくというのも病んでいるけれども。
女性として愛されるどころか、私は「女性という記号にすらなれない」のではなかろうか、と思うとかなりうつだ。ストーキングにしてもDVにしても、それは愛ではない…ということはわかるのだが、何もない場合せめて「支配」でもあったほうがまし、とか実は心の底では思ってしまうのだ。
こういうのは「女性に対する暴力」を知的に学習しても、なかなか払拭できない。実際に暴力をふるっているのに否認したり正当化する男とか、男性の力支配に寛容な社会に怒りも感じ、「なんとかせねば」とも思うが、自分のわだかまりもなんとかしてやらねば進めないように思う。
身を持て余す。そもそもこういうこと考えず自然に「女性」でいられる自分だったらよかったのにねえ。女性性のあれこれ、というのは現実の男によって何らかの落ち着きどころがもたらされないことには解決しないんだろうか。またしても、なんとなーく「ふぇみ」だけでは青い鳥は来ないような気がするんですけど…。
「摂食障害」という手は使いきってしまい、現実の時間に容赦なく押し流される。さあ、次の手はどうする、どうしましょう。
昼間は授業の準備でDV(ドメスティック・バイオレンス)関係の本を読んでいた。気が滅入る。いつ身体的・心理的・性的暴力をしかけてくるかわからないような男と「夫婦」としてともに暮らさなければならない、というのは想像しただけでも相当にきつい。「死ぬかと思った」ほどの暴力を受ける人も少なくないのだ。
それに加えて、実は私が気落ちするツボというのは別のところにもある。バタード・ワイフ(殴打される妻)さんたちの体験記などを読んでいると、「私ってそういう対象の女ですらない…」ということにどうしても思い至ってしまう。こういう考えに行きつくというのも病んでいるけれども。
女性として愛されるどころか、私は「女性という記号にすらなれない」のではなかろうか、と思うとかなりうつだ。ストーキングにしてもDVにしても、それは愛ではない…ということはわかるのだが、何もない場合せめて「支配」でもあったほうがまし、とか実は心の底では思ってしまうのだ。
こういうのは「女性に対する暴力」を知的に学習しても、なかなか払拭できない。実際に暴力をふるっているのに否認したり正当化する男とか、男性の力支配に寛容な社会に怒りも感じ、「なんとかせねば」とも思うが、自分のわだかまりもなんとかしてやらねば進めないように思う。
身を持て余す。そもそもこういうこと考えず自然に「女性」でいられる自分だったらよかったのにねえ。女性性のあれこれ、というのは現実の男によって何らかの落ち着きどころがもたらされないことには解決しないんだろうか。またしても、なんとなーく「ふぇみ」だけでは青い鳥は来ないような気がするんですけど…。
「摂食障害」という手は使いきってしまい、現実の時間に容赦なく押し流される。さあ、次の手はどうする、どうしましょう。
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