…を渋谷ユーロスペースで観た(withお友だち。映画は彼女のおごりなのでありがとん)。

これは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督 兼 常任首席指揮者であるサイモン・ラトルが主導する、音楽との関わりを通して子どもの可能性を伸ばす目的で行われる教育プログラムのひとつである、「ダンス・プロジェクト」の様子を追ったドキュメンタリー映画である。

このプロジェクトは、8才から20代前半250人の子どもたちが、プロの振付家による指導のもとストラヴィンスキーの「春の祭典」を大舞台で踊るという壮大なもの。
映画はドイツ語のラップで始まる。雪の残る市街にたむろする子どもたち。かれらはベルリンに諸国から集まった難民が多く、社会階層もさまざまで、クラシック音楽にもダンスにも縁がなかったという子がほとんどだ。

振付家の厳しいレッスン(ロイストン・マルドゥーム)に、集まった子どもたちは、不平を言ったり、仲間同士で笑ったりおしゃべりもして身が入らない(ダンス好きなら垂涎ものなのに…)。振付家は「集中すること」の大切さを懇々と説くが、子どもたちにはなかなか伝わらず「楽しくやったほうがいいのに」という子もいる。

私はこのあたりで「授業中に私語のやまない子たち」を連想し、次期はどういう手をうつべきかと考え脱線したけれど、それはさておき、やはり「人に観てもらう」には、自分たちが楽しくやっていれば観ている人も楽しいかというとそうではなく、何より集中してやらないとだめなのだ(と思う)。しかもその集中する「努力」を見せるのでもないし、没入とも違う。

この映画がおもしろいのは、テクニックとしてのダンスではなく、「集中」であったり、ダンス(動き)の原動力としてある「何か」を扱っていることだ。

踊りを観に行ってその舞台に感動するたびに、「私は何を見せられているのだろう? 何にこんなに心を揺さぶられるのだろう?」と思うけれども、心にまで届くのはテクニックではなく、身体という器を使ってその姿を現わしてくる「精神」とか「存在」とか、踊り手のもつ、かたちをもたない「エネルギー」ではないかしら。

そういったエネルギーから生まれるのではない「動き」は、いかに超絶テクだったとしても、またいかに美形のダンサーであろうとも、「なんだかすごいことが行われている」というだけで目の前を通過していってしまうのだ。

この映画は「教育プログラム」という軸をもって進むので、完成した作品の紹介というより、参加した子どもたち、とくにその内の何名かの変化や成長のほうに力点が置かれているが、テクニックという「かたち」(それも大事だけれど)でなく、身体を動かす内的なエネルギーを教えられるという機会を子どもの時期に得られるというのは、心的成長のために本当に得がたい体験だろうと思う。この子たちが将来なんらかのアーティストになってもならなくても。

本番当日の舞台は長くは映像に出ない(出し惜しみ?なんでだよぅ…)のが残念ですが、(発表会ちっくにならずに)シンプルな振付ながら、まさしく観客総立ちに値するような音楽に負けない伸びやかな力のあふれる作品になったように感じられました。しかし、こんな難しぃ曲でよく踊ったよね。

日頃、ダンスに縁はあるもののクラシックはとんと聴きませんが、うちに帰ってからサントラ買ってもいいような気がしてきた。

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