Like a Rolling Stone

2005年3月20日
摂食障害の自助グループが共催で行ったイベントの手伝いに行く。午前中は問題をもつ本人の体験談、午後は講師を迎えてのシンポジウムという構成。

お役目が午前の部の司会だったので、スピーカーを紹介するとき以外は舞台袖にいたのだが、私は舞台の上でも下でもない、独特の緊張感があるこの場所が実はとても好きなのだ。そこで話を聞いていると、頭でなくお腹にひびくのがわかる。実際に体験した人の記録というのは、こういう沁みとおりかたをする。

転がる石のように生きる人たちを、線ではなく点で語ることの無意味を思う。つまり、「アルコール依存症」だとか「薬物依存」だとか、「摂食障害」という名前だけつけて終わらせることだ。病名は専門家の使う便宜的な道具に過ぎないのに、それだけで解ったような気がして終わらせることの貧しさを思う。

転石苔を生ぜず。だから、良いんだっけ悪いんだっけ?その人が好きで転がっているのならば、この際、良し悪しは問題ではない。大事なのは「自分で選ぶ」ということだ。「病気でもなんでも、好きなの選べばいいじゃん」と思う。私は病気になる、というのは、(誤解を恐れずに言うと)根っこのところでは「病気を選んで」いるんじゃないかと思う。

病気を選んだ人は病気を使うことができる。それを自分のものにすることができる。その過程の起伏が激しかろうと、低空飛行だろうと、ある一時期だけを見て他人が人の人生をレッテル貼りしてけりをつけるのは貧しい。私にとっては、どのような選択であれ、自分で転がる人々はその人の生を生きてる感じがする。

私はスイカ一族で唯一クリニックやカウンセリングに縁ある者で、そのことで疎外感や負い目を感じたりするときもあったが、病気に「なれた」のは自分だけ、そして生き残れているのも自分だけなのが今は誇らしい。病気になれたことにより愛しい人々にたくさん出会える。そういう人々は自分にとって、大切な家族だ。この家族は血はつながっていなくても、血が通っていてあったかくて、しかも「べたつかない」のであーる。

このイベント、大きな会場だったので集客がかなり心配されたが、予想を裏切ってたくさんの方に来て頂けた。案外、男性も多く来場して男女ほどよいバランスだったのも嬉しい。ごっつ疲れたが、報われたな。よかったー。

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