尼崎の列車脱線事故はほんとうに悲惨な結果をもたらしてしまった。事故に巻き込まれた方、被害に遭った方を案じる方にむけてお祈りいたします。

報道をみるたび被害者が増えているので、「ああ、こういうのはいやだ」と思う。もっと若い頃、私にはこういうネガティブな社会的事件や事故が自分の感情まで動かすということはほとんどなかった。自分のことで頭がいっぱいだったのだろう(だからといって、自分にうまく対応できていたわけではない)。

今は「思いやらなければ」と思って感じているわけではなく、自然に伝わってくるものがあるのでちっとは情緒的に成長したのかなと思う。そういえば「感謝しなさい」「人を思いやりなさい」という指令は、自分が感じる前に母から発動されていたような気がする。

人の痛みに私はものすごく鈍感だった、ということは、自分の痛みもよく感じられていなかったということになる。あれやこれやむちゃくちゃフィルターがかかっていて、苦しいんだかつらいんだか、つらいとしたらどうすりゃいいのか、皆目わかりませんでした。

今はそれが手に取るようにわかる、わけではないけれど、自分も傷ついたり疲れたりするということ、傷つく自分に対して、それをケアしてあげようと試みる自分もいるということはわかるようになったんでした。

(余談だが、これを書いていてつくづく思うけれど、あることを指す文字や言葉を書くことすら私にはまだ、ためらわれる。書くことはかたちにすることだ。だから嫌なのだ)

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