「感動」のあり方

2005年5月29日
「セカチュウ」をはじめとして、あらかじめ感動することがわかっている謳い文句の作品が目につく…ということに私は違和感があるのだがそれはいったいどういうことなんだろう?

たとえば「感動」がA(難病)+B(男)+C(女)というように公式化されているかのように感じられるところが変なのか? あたかもマジョリティにとっての「感動方程式」があって、それに基づいてつくりさえすれば人が「感動する」かのように思うこと、そして実際に多くの人が「感動している」(らしい)という事実。そして多くの人が潜在的に「感動したがっている」のかもしれないという推測。

しかしひょっとしたら任意のA、B、Cの組合せで思いがけなく心が動かされることがあるかもしれず、その動かされ方というのも打ち上げ花火のようなものではなく雨だれようなものだったり発熱に似たものであったりするかもしれない。

なに書いてんだかよくわからなくなってきたけど…「感動1500円(税込)」みたいなのってなんか変だなと思う今日このごろ。

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