「クローサー」

2005年6月24日 映画
遅ればせながらマイク・ニコルズ監督の↑を観た(以下ねたばれります)。

ダン(作家;ジュード・ロウ)×アリス(ストリッパー;ナタリー・ポートマン)と、アンナ(フォトグラファー;ジュリア・ロバーツ)×ラリー(医師;クライブ・オーウェン)がもつれてからまって入れ替わってそして…という「恋愛模様」を描いたものですが…この人たちは一体どうすれば満足するというのか。端的に言いますと「男の幻想(プライド)対決」、もっとはっきり「なんじゃこら?」と言いたくなるような映画。わくわくするようなラブストーリーではなく、この人たちの別れたりくっついたりの分からなさ加減に私は頭がくらくらしました。

「愛している」という言葉が頻発されるものの、男ふたりは自分の狭っこい定義から相手がずれたると、愛が冷めてしまうらしいのです。100%自分のものになる女じゃないと、嫌になってしまう。んだったらゲームでもやってろ!!ぼけっ。離婚を求めるアンナにラリーは最後に寝ることを条件として届にサインをしますが、それを知った恋人のダンがアンナに対して「愛は汚れた」と言い放つのにはのけぞりました…(こういう言葉を使うところに「売れない作家」のリアリティがあるのか?)。粘着度においてはダンもラリーもどっこいですが、年とってる分ラリーのほうがずるがしこく、まんまとアンナを取り戻します。

ジュリア・ロバーツ演じるアンナは成功した写真家。美貌も地位も手にした「自立した女性」のはずですが、恋愛においては歯切れが悪く、ただ流されているように見える。アリスが魅力的なだけに生彩に欠けます。友人とあとで話した「推測」ですが、もともとは「執着されるのが好きで、嫌と言えない」性格(元彼に暴力を振るわれたというセリフがある)の、あぶない役だったのに、ジュリア・ロバーツだけにかっこよさげに書き直されたのかも。

4人のうちでもっとも光っているのはストリッパーのアリスで、いちばん年下ながらいちばん賢く、自分のことが分かっていて、自由でいられるように見える。アンナと別れて自分のもとに戻ったダンが言う「愛」の嘘くささに気づき、自ら離れます。ナタリー・ポートマンは、「レオン」の美少女がまっすぐ成長したようなみずみずしい若さと美しさを見せていて、ジュリア・ロバーツに他の持ち駒があればよかったけれど損な役だったのではないだろうか(というか別の女優さんがやってもよかったと思う)。

この映画、アメリカでは「インテリおしゃれ層」に受けたそうですが、私にはよさがあんまり…(クライブ・オーウェンは好きなのに私ったら酷評)。セリフは直接的なのに心に迫るところがないのは、その言葉を向ける相手を見ていないからではないだろうか。必然が感じられるような関係になっていないと、いくら「愛」を語っていようと、つまらない。

すごーく久しぶりに会えた友人と行った映画だが、彼女は打ちこむ対象を見つけたそうだ。楽しそうでよかったよかった。その役者さんが出ているDVDを(頼んでないのに)貸してくれたけどお笑いセンスのない私についていけるんでしょうか(「スープカレー」のあの人)。
午後はまた部屋をふたつ見たが、うちひとつは図面では和室のはずが行ってみたらフローリングになっていた。図面の期待度が高かったので脱力。私は畳が好きなのだ。しかもへりが緑色のやつ。細かくてごめん。まあ今日は仏滅なので、決まらなくてよかったかもね。

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