友人のお誘いで↑(藤原智子監督)を岩波ホールで観た。もう公開も終わりに近い(8日まで)のだが、場内はかなりの入り。

このドキュメンタリー映画は、女性としてはただ一人、日本国憲法草案の作成に関わって「男女平等」の文言を入れることに尽力したベアテ・シロタ・ゴードンを描くことに始まる。ベアテは「リストの再来」と言われたピアニストの父、レオ・シロタ(現在の東京芸大でも指導)の娘として生まれ、少女時代まで日本で過ごした。大学生活をアメリカで送ったのち、ベアテは日本に残った両親と再会するためGHQ民生局の一員として来日、憲法草案委員会のメンバーとなる。

ベアテは「男女平等」の項目を多く含めることを提案したが、「日本の文化に合わない」として反対され、一部(第14条「法の下の平等」、第24条「両性の平等の原則」)を除いて削除された。映画の後半はベアテがまいた「男女平等」の種を日本の土壌に根づかせるべく努力し活躍した、市川房枝、石原一子ら何人かの日本人女性に焦点をあてている。

ベアテさんは81才。映画でも一部紹介されるが、講演会を開き各地の聴衆に感銘を与えているとのこと。ベアテさんは歴史に残る仕事をされたと同時に、私にはとてもかわいらしい、魅力的な女性に感じられたので、もっと(題名通りに)彼女を紹介する部分を多くしてほしかったなと思う。しかし「男女平等は日本の文化とそぐわない」と当時は猛反対されたそうだが、まだそれほど長い年月がたっていないのに、今の日本でそぐわないどころかエネルギーがあるのは男と女のどっちなのさ?と思います(男性不信、入っているかしら)。

その後、労働や参政権などに男女平等を勝ち取るため精力的に活動された、そうそうたる顔ぶれの「先輩たち」が登場しますが、そのエネルギーと成果を素直に「すごい」と思う一方で、正直に言えば隔たりも感じる。女子大で女性学を吹きこまれながらも、きれいどころのクラスメートたちを見ながら「女子はかわいく、愛想よく、要領よい」ほうが手っ取り早く幸せになれるのではないだろうか…?と思った学生時代の体験が、ごく卑近な例として思い出される。

まあ今となってはもちろんちゃらちゃらしてるだけで何かを得られるとは思わないけれど、映画に出てくるような女性たちとは例えば結婚をめぐる状況も今ではかなり変わっているので、「正しい行いをする、よい娘さん」というだけでは女性としての幸せ市場に参入しにくく、いったい何をどうすりゃいいんだか、という世の中になっているように未だシングルの私としては感じられるので、「フェミニズム、すばらしー」とは結びつきにくいのでした。

このあたりは私だけのバイアスもあるだろうが、実はあなどれない「女性間の隔たり」という問題ではなかろうかと思います。余談だけれど私たちの前に座った妙齢とおぼしき女性たちは、映画を観ながら感想を言い合ったり、同意を示していたり、拍手したり、あまりにも感動を表わしていた。ここにも隔たりが…。

それはともかく、登場した女性のなかでは緒方貞子さんがさっそうとしてかっこよく、私だったら「イズム」という大きなものより、魅力的な個人に学ぶほうがとっつきやすいなと思ったのであります。

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