今日のレッスンで、「意識がつながっている(全身にいきわたる)踊りをするように」と先生に言われる。これはいつも言われることで、自分でも(特に焦っているときなど)肩のあたりに力が集まってしまい、そこだけで動いてしまっているのがわかる。身体の中心から伝わるような動きをじっくり待てず、手足で先に動いてしまったりする。「どう心がければいいのですか?」と訊いてみた。
その先生によると「バランスのいい動きができるときというのは、楽なとき」なのだそうだ。身体に無駄な力が入らず、何も考えなくても気持ちよく踊れるときは、軸が決まっているのだとか。そうなんだろうな…と思う。
先生はしばらく考えて、「癖というのは、なかなかとるのが難しい。でも自分で意識できるというのは、改善される方向に向かっているということ。自分の欠点を掘り下げようとするより、どうすればよりシャープに踊れるか、大きく踊れるかなどプラスの方向に意識を向けてみてはどうか」とおっしゃった。
確かに私はすぐに自分の欠点にとらわれて、その緊張がよけいできなくさせる。「できない」ということは自分にとってすごく恥ずかしかったり、自信をなくさせることらしいのだ。頭ではそこまで思いつめてはいないと思っても、踊りのときは如実に出る。大げさに言うと、できないと自分が根本的に決定的に間違っている気がしていたたまれないというか。
でも、先生の言葉を聞いて「自分を信じていい、ということですか?」と訊くと、「そう!」と言われた。「あなたは本当にがんばっているから」とも。…ほう。訊いてよかった。
できなければ落ちこんでないで、練習すればいいだけ…と思って自分ではクールに励んでいるつもりでも、既にぶれている気が。ひょっとしたらやるべきことは「練習」より先に、「失敗をそんなにもみっともなく恥と感じる自分」にフォーカスしたほうがいいのかな? ダンスには深堀りの種が尽きないです。
その先生によると「バランスのいい動きができるときというのは、楽なとき」なのだそうだ。身体に無駄な力が入らず、何も考えなくても気持ちよく踊れるときは、軸が決まっているのだとか。そうなんだろうな…と思う。
先生はしばらく考えて、「癖というのは、なかなかとるのが難しい。でも自分で意識できるというのは、改善される方向に向かっているということ。自分の欠点を掘り下げようとするより、どうすればよりシャープに踊れるか、大きく踊れるかなどプラスの方向に意識を向けてみてはどうか」とおっしゃった。
確かに私はすぐに自分の欠点にとらわれて、その緊張がよけいできなくさせる。「できない」ということは自分にとってすごく恥ずかしかったり、自信をなくさせることらしいのだ。頭ではそこまで思いつめてはいないと思っても、踊りのときは如実に出る。大げさに言うと、できないと自分が根本的に決定的に間違っている気がしていたたまれないというか。
でも、先生の言葉を聞いて「自分を信じていい、ということですか?」と訊くと、「そう!」と言われた。「あなたは本当にがんばっているから」とも。…ほう。訊いてよかった。
できなければ落ちこんでないで、練習すればいいだけ…と思って自分ではクールに励んでいるつもりでも、既にぶれている気が。ひょっとしたらやるべきことは「練習」より先に、「失敗をそんなにもみっともなく恥と感じる自分」にフォーカスしたほうがいいのかな? ダンスには深堀りの種が尽きないです。
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