騒がしいパスタ屋でひとり昼食をとりながら、「ひとりでいること」についてぼーっとあれこれニュートラルに考えていた。

ある人のブログが少子化問題について触れていた。女性が働きながら育てる環境が整っていないことに原因があるのではなく、「結婚したい子どもを生みたいという愛のようなものが日本の人々になくなったというだけなのではないか」とその人は書いていた。

…。

あー言っちゃったよ、というのが素直な感想。行政で検討し得るような「労働環境」よりも、「愛のようなもの」が擦り減っていることに原因があるのではないかと私も実は(なんとなくだけど)思っていた。日本の「愛のようなもの」の実態が幻想に負けているのではないかと。しかし、それを口にするのは禁忌であるような気もしていた。

これが私に説得力をもつのは、自分が川の向こう岸で「愛のようなもの」を遠くから眺めるばかりであるからだろうか。考えるだに暗澹としてくる。生きるのもひとり、死ぬのもひとり。せめて毀れる自由はまだある。そろそろニュートラルでなくなってきたので寝ます。

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