ひとしきり死体になって裏返ったり表返ったりする練習をする。身体の各パーツを個別に動かす練習をする。人間は複雑なつくりをしているのに、ひじだけ、とか手首だけとか、一ヶ所だけを動かすのは訓練しないとなかなか難しい。やはり人間は動物としてだめだめ? 

それから「海に飛び込んで泳いで水面に浮上する」一連の動きを(マイムというか身体を使って)やってみることになった。
先生は「東尋坊#くらいの高さ#の崖から飛び込むと想像して」と言ったのであり、「自殺の名所から飛び込め」と言ったのではないのだが、私の頭はそっちのほうへ。「東尋坊へわざわざ行く人は泳ぎにいくんじゃないよ・なー」とどうしても思う。東尋坊から飛び込むときっと水が重たくて滝つぼに落ちたみたいに深く深く沈むだろう…と思うと気持ちよくなり浮き上がれなくなりました。先生に「大丈夫ですか」と言われる始末。

つまりこのワークがうまくできなかったのだが、↑は半ば言訳で、これをやらされてみて自分が「〜の真似をする(ふりをする)」のがとてつもなく苦手だというのがわかりました。こういうの人前でやるのすっごく恥ずかしい。それでもやろうとすると身体が内側からじわじわ凍結してきてぎこちないのがわかる(水道管?)

そもそもこのムーブメントクラスはベースがパントマイムなので、こういうことをやるのは当たり前。上手な人が多いし、それ以上に恥ずかしがったりせず素直にできている人ばかり。私こういうのツライ…本当に。

「意味ある動き」をする(→演技する)のがなんかとてつもなく恥ずかしい。踊りでも歌詞を表現した振りをつけられることはあるが、別に恥ずかしくない。それは「そのまんま」ではなく、いわば感情とか感覚を暗号化したものだから…かな?

私はこういうのより、身体を床に投げ出す(倒れる)ほうが好きだ。余裕があるときはそれも怖いと思うけど、今日はむしろ床にがんがん自分をぶっつけたいような心境だった。

身を滅ぼすことができないなら、自分の頭のなかにあるものすべてくずかごにぶちまけたい。もう何も入れたくない。こういう場にさらされるとやっぱり何が嫌って自分が自分であることが嫌なんだろうなと思う。なんでこういつまでも自分をもてあますのか。

つらいやつも(つらいからこそ)何か得るところがあるだろうと思って続けますが、なにギリギリなことやってんだか私。でもなんかこの時間になって、やっとしゃっきりしてくるんだよな。収入を得られる活動である日中の仕事よりも、(情けないなりに)まだリアリティがある。

クラスの最後のほうで使った80年代テクノ風の音楽が耳について気持ち悪。自分では向こう見ずに床に倒れたつもりだったけど、帰って自分の身体を見たらそれほど痛んでない。捨て方がまだ足りない。

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