日中、たいした仕事をしているわけでもないのに、会社帰りは疲れている。それに私は緊張すると眠くなるので、かなり眠い。そういう状態でムーブメントのクラスに行くので身体を動かすモードになかなか入らない。入らないけど、「えい、行くぞ」と思っていく、でもでも今日はかったるかった。
はじめに素敵な死体になって裏返ったり表返ったりというのを念入りにやる。ひっくり返っているうちに、みな背中だのお腹だのが見えてしまってかわいい。45分くらいこれをやっているうちに、ナチュラルハイになってきて、なぜかこの死体の練習(って自分がそう呼んでいるだけだけど)が、私はものすごく好きだ
ということがわかりました。人間(≒意味)から遠ざかれば遠ざかるほど、私は楽しいのかもしれない。
そして綱渡りのワーク。これは指示された一連の動きで一方の端からもう一方の端へと綱渡りをしているように見せる、というもの。人が綱渡りするのを見ていてふと、これは「そこにないもの(見えていないもの)を見せる」ということをしているのだろうか、と思った。
もし私の理解が正しいなら、それ(マイムというか身体表現)は書くことに似ている、とも思った。もっと言ってしまえば、「ないところにつくる(見せる)」というのは、創造なり表現ってつまりそういうことじゃないか…。というか、でも書くときは、見せようと意図して書くんじゃないけど、結果的に見えるようになっているときはうまくいっているような。
私は「指示された一連の動き」を頭に入れるのがすごく苦手で、これは「振り」を覚えるのとも違ってあわててしまうのだが、段取りとして記憶しようとするよりも映画みたいにして入れるのがいいのかなー、とも思った。私は自分が何をしようとしているのかが見えていない。やっている本人に見えていなければ、見ている人に見えるわけないです。
そのあと跳んだり転げたりしてへとへとになった。クールダウンのストレッチをしていると、自分の身体が不思議に軽い気がした。自分の身体が洞窟になってそこを風が吹き抜けているようで、静かで心地よい落ち着きを感じた。
終わって着替えているとき、ある女の子に「人前で身体を使うって緊張しますね」と話しかけられた。彼女は、たぶん18くらい、化粧もしていない素朴な感じのかわいい子。わりと場慣れしているように見える子が多いなか、その子は緊張が身体の固さとなって現れていて、でもひたむきで、なんだか気になっていたのだ。
だからその子から思いがけず声かけられて、意外だったけどちょっと嬉しかったな。
緊張するよね。特にこのクラスは、メニューが決まってないし、私は実はむちゃくちゃ怖かったりする。そんな思いまでして、来ているなんて、業が深いっちゅうか。この人生で女優だの踊り子だのにはさすがになれないだろうけど、今やっとくと次に人間に生まれ変わったとき、なれるかも、の気がする。
またあざできたけど、やめられない。こういうことで得られるリアリティが私にはすごく大事だ。
それと、この先生は自分のこと「雑草」とか言っちゃってるし。えええ。私のなかでは人間国宝級なのに。今日も貴重なことを身体と言葉でいっぱい教えてくださっていた。おそろしいほど謙虚なんですけど、それはいいんですけど、あのあの音楽が私ちょっと。一昔前のラウンジで弾いているようなピアノ曲とかは…。せっかく始まる前にトッド・ラングレンとか流れていて今日は「おおっ」と思ったのに、クラスでは使うことなく。それで自宅に帰って続きを聴いている。
はじめに素敵な死体になって裏返ったり表返ったりというのを念入りにやる。ひっくり返っているうちに、みな背中だのお腹だのが見えてしまってかわいい。45分くらいこれをやっているうちに、ナチュラルハイになってきて、なぜかこの死体の練習(って自分がそう呼んでいるだけだけど)が、私はものすごく好きだ
ということがわかりました。人間(≒意味)から遠ざかれば遠ざかるほど、私は楽しいのかもしれない。
そして綱渡りのワーク。これは指示された一連の動きで一方の端からもう一方の端へと綱渡りをしているように見せる、というもの。人が綱渡りするのを見ていてふと、これは「そこにないもの(見えていないもの)を見せる」ということをしているのだろうか、と思った。
もし私の理解が正しいなら、それ(マイムというか身体表現)は書くことに似ている、とも思った。もっと言ってしまえば、「ないところにつくる(見せる)」というのは、創造なり表現ってつまりそういうことじゃないか…。というか、でも書くときは、見せようと意図して書くんじゃないけど、結果的に見えるようになっているときはうまくいっているような。
私は「指示された一連の動き」を頭に入れるのがすごく苦手で、これは「振り」を覚えるのとも違ってあわててしまうのだが、段取りとして記憶しようとするよりも映画みたいにして入れるのがいいのかなー、とも思った。私は自分が何をしようとしているのかが見えていない。やっている本人に見えていなければ、見ている人に見えるわけないです。
そのあと跳んだり転げたりしてへとへとになった。クールダウンのストレッチをしていると、自分の身体が不思議に軽い気がした。自分の身体が洞窟になってそこを風が吹き抜けているようで、静かで心地よい落ち着きを感じた。
終わって着替えているとき、ある女の子に「人前で身体を使うって緊張しますね」と話しかけられた。彼女は、たぶん18くらい、化粧もしていない素朴な感じのかわいい子。わりと場慣れしているように見える子が多いなか、その子は緊張が身体の固さとなって現れていて、でもひたむきで、なんだか気になっていたのだ。
だからその子から思いがけず声かけられて、意外だったけどちょっと嬉しかったな。
緊張するよね。特にこのクラスは、メニューが決まってないし、私は実はむちゃくちゃ怖かったりする。そんな思いまでして、来ているなんて、業が深いっちゅうか。この人生で女優だの踊り子だのにはさすがになれないだろうけど、今やっとくと次に人間に生まれ変わったとき、なれるかも、の気がする。
またあざできたけど、やめられない。こういうことで得られるリアリティが私にはすごく大事だ。
それと、この先生は自分のこと「雑草」とか言っちゃってるし。えええ。私のなかでは人間国宝級なのに。今日も貴重なことを身体と言葉でいっぱい教えてくださっていた。おそろしいほど謙虚なんですけど、それはいいんですけど、あのあの音楽が私ちょっと。一昔前のラウンジで弾いているようなピアノ曲とかは…。せっかく始まる前にトッド・ラングレンとか流れていて今日は「おおっ」と思ったのに、クラスでは使うことなく。それで自宅に帰って続きを聴いている。
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