・会社を出て、自分の身体と向き合うまでの、端境の時間。みなしご感極まる。ここも一時のホームであるに過ぎない。されどホームはホーム。自ら足を運んでいながら、「なんでここまで(突き詰めて)やっているんだろう」と毎度ながらおもう。

・踊りは好きというだけでは終われなくて、自分が丸見えの状態に晒されることが怖いのに、怖いからこそ、やらずにはいられない。そうでもしないと、自分のふたがずれて、なかから何か流れ出てくるような気がする。オリーブ・オイル? ヴァージン・オリーブ・オイル? 使い古したテンプラ油?

・「なんでここまで…」と思いながらも転がっていると、どんどん自分の属性がはがれて、みなしごでいることも名前がないことも当たり前になり、自分のなかが空き地みたいになってくる。自分のなかの淀みを見たくて、それからそれを捨てたくて、身体を使っているのかもしれない。

・自分がひとりでいることが、自分の身体だけでいることが、すがすがしく感じられる瞬間がほんのちょっとある。あるいは、そこにたどりつくために、這いつくばい、肩抜き前転をし、つま先立って歩いて、ジャンプしたりしてるのかもしれない。

・そういう非現実にしてうつくしいクラスを出ると、崖っぷちな仲間たちからお仕事の電話。20分ほど話して思い切り現実に着地。症状は失われたものの、今でもこんなぎりぎりなことしてるし、相変わらず綱渡りな私。

・これも誰か偉い人が言っていたような気がする「幸福はおおよそ似ているが、不幸は人の数ほどに異なる」(みたいなこと)についてあれこれおもう。「幸福→天国」「不幸→地獄」に置き換えてもみる。ひな型どおりではないということ、わかってもらえないということ、表現できないということ、本人も気づいていないということ、身体と隔たっているということ…。

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