「墜落遺体」

2006年9月6日 読書
1985年8月12日、のちに「御巣鷹山の尾根」として知られる場所に日航機123便が墜落し、奇跡的に助かった4名を除き520名(母体内の胎児を含めると521名)が亡くなった。一機の航空機事故としては史上最悪の事例である。当時、私は新社会人として働いていたが、この事故についてはあまり記憶にない。情けないけれど、自分のことで精一杯だったのだろう。事故後21年目にあたる今年、あるブログがこれに触れていたのをきっかけに、事故に関する本を読んだり、関連サイトを見るようになった。

読んだのは、飯塚訓「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便」(講談社 1998、画像は文庫版)「墜落現場 遺された人たち―御巣鷹山、日航機123便の真実 」(講談社 2001)、横山秀夫「クライマーズ・ハイ」(文藝春秋 2003)。

横山氏のものは事故を題材にした、地元新聞社の記者を主人公としたフィクションだが、視点がこの男性にとどまっているせいか私には小説としての広がりが感じられず、あんまり面白くなかった(ミもフタもない言い方だけど「男のロマン」な話。後半、山場で出てくる読者投稿も「なんだかな…」という感じ)。

圧倒的に感銘を受けたのは飯塚氏の著作、特に事故後13年を経て出版された「墜落遺体」である。飯塚氏は高崎署刑事官在職時に、日航機墜落事故の身元確認班長を務めた方。

未曾有の犠牲者を出した、史上最悪の墜落事故。それがどんなものであったか、自分の理解の至らなさに思い当たったのは、とりわけ本書のなかで目にしたある数字だった。亡くなった乗員・乗客数520名に対して、検屍した遺体の総数は2065体。私は「五体満足」であるのが当然と無意識に思っていて、被害者数の4倍近い数が結果としてご遺体になったとはこのくだりを読むまで思ってもみなかった。実際には五体満足な遺体は177体。それ以外は「離断遺体」「分離遺体」で、最終的な遺体確認までは約4ヶ月を要したそうだ。

人の身体を見ていると、それが当たり前で、部分部分が分かれてしまうなんてあり得ない、と思う。けれどもこの事故では、人が人を殺める場合には起こりえない、想像を絶する力が加わった(機体はほとんど裏返しになったようなかたちで尾根に墜落したという)。そうした力の前にいかに人間が無力で弱い存在であるかを思い知らされ、あらためて衝撃を受けた。

しかし、本書が伝えているのは人間の弱さだけにはとどまらない。

本書に描かれている身元確認作業に携わった人々(警察官・医師・看護婦・ボランティアの方々など)の献身、プロ意識を超えた尊さといったような「強さ」。人間はこんなに強くもなれるのだろうかと心打たれた。

著者は本書の「はじめに」で「誰の口からも、使命感だとか職務責任だとかいう軽薄ともとれることばは出ない。そんなものをはるかに超越した人間の実相が現れていた」と書いている。遺体が搬送されてくるや、たちまちにして「凄惨な場」と化した体育館。酷暑のなか、状態が悪化する前に時を争って身元確認の作業を進めなければならなかった人々は、文字通り不眠不休で働いた。心身ともに苛酷な現場で、自分の役割を果たし続ける人々には本当に頭が下がる思いだ。自分も自分の生活のなかでの「修羅場」に陥ったとき、逃げずに自分のするべきことを果たせるのだろうかとも思う。

遺体の詳細な描写もあるものの、本書は事故の凄惨さをことさらセンセーショナルに描くようなものではない。抑えた筆致からは感じられるのは、現場を共有した身元確認に携わる人々や遺族の人々への(うまく言えないけど)「思い」である。これほどにも大きな事故に直面した人間の弱さと強さ、そしてまだおそらく「語られていないこと」も含め、語り継いでゆくことの意義を感じた。

参考:ウィキペディア「日本航空123便墜落事故」の項

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