・身体を委ねることは誰にとっても簡単であるとはいえない。このクラスはそういう含みの前提で進められているように感じるので気が楽だ。私は人に委ねるのが怖いし、人が私を支えようとして待ち構えていても「自分でなんとか」しようとする。思い出せる限り、幼稚園の頃からそんなふうにかっちかちな子どもだった。今は昔のように起こりうるありとあらゆるバッドな可能性を視野に入れて行動したりはしないけど、長じたからと言って「はいどうぞ」と全身、投げ出せもしない。
新卒入社した会社で、泊りがけの新人研修があった。最終日に人事の人が、ひとりひとり新人を呼んで、言葉をかける。私は「もっと心を開くように」と言われた。とてもショックだった。自分では他の新人仲間に協調して振舞えたように思えていたので。「心を開け」と言われても、「はい」と開けるわけもない。いっそう緊張が高まっただけだった。私は20人ほどの新人のうち、とくに女性のほとんどは「心を開いたふりをしている」と感じていた。嘘くさい。2年4ヶ月たって私はそこを辞めた。
・なんとなくマイムって理系だなあと思う。先生は身体で「嘘をつく」という言い方をするけれど、「こういうふうに見えて欲しい」というビジョンが(ダンスに比べて)かなりはっきりあるのだと思う。だから戦略的に動きを作っていくというか、「こういう環境で身体の部位がこれこれだから、こう動く」みたいな決め方で合理的ちゃー合理的、理屈にあってる。私はまだそういう頭脳的ルーティンを入れきれずに「え? あ? う…」と途中で止まることもしばしば。でも前よりは「恥ずかしい」というところから抜けたかなと思う。2ミリくらい。
・このクラスは同じ施設内でずっと行われているのだが、借りる教室(元・学校だから)は週によって違う。今日は元・音楽室だった。黒板に五線譜が書いてあるからすぐわかる。この部屋の床がおそろしく固い。かちかちのパンケーキみたいに固い。この音楽室はフローリングだけれど、木というよりコンクリを感じる。ジャンプする気になれないような、邪悪な固さ。同じ建物なのに、部屋によって床の柔らかさが不思議と違う。あるいは靴で歩き回っていたら、気がつかなかったのかもしれない。そうやって毎週、神妙に床の固さの違いを味わうというのもひそやかな楽しみだ。
・「闇から生まれ、闇に消える」ではないけれど、ここでいつものように味わう「世界の果てから来て、世界の果てに帰る」感じは何なんだろう?
身体を動かす場所、特にこういう基本的なことをする場所では、望もうと望むまいと、無意識にでもそのときいちばん気になっていることに対する答(あるいは反応)があらわになるように思う。
“おうち”がないんだね。やっぱり。居場所が。そのことが気がかりでもあり、「もういいひとりでやってく」でもあり。
「ひとりでいること」についてずっと考えてきた。悟りを開けはしないが、少なくとも「ひとりでいること」を知らない人とは一緒にいられない。
ここまで生き延びてきたのなら、これから先はオプションというかもはや「選択」なのではないだろうか。
「世界の果て」って月面みたいなところじゃないかなと私は思います。
・この日記はRobert Palmer "Addicted to Love"と"Motown Classics"を聴きながら書いた。
新卒入社した会社で、泊りがけの新人研修があった。最終日に人事の人が、ひとりひとり新人を呼んで、言葉をかける。私は「もっと心を開くように」と言われた。とてもショックだった。自分では他の新人仲間に協調して振舞えたように思えていたので。「心を開け」と言われても、「はい」と開けるわけもない。いっそう緊張が高まっただけだった。私は20人ほどの新人のうち、とくに女性のほとんどは「心を開いたふりをしている」と感じていた。嘘くさい。2年4ヶ月たって私はそこを辞めた。
・なんとなくマイムって理系だなあと思う。先生は身体で「嘘をつく」という言い方をするけれど、「こういうふうに見えて欲しい」というビジョンが(ダンスに比べて)かなりはっきりあるのだと思う。だから戦略的に動きを作っていくというか、「こういう環境で身体の部位がこれこれだから、こう動く」みたいな決め方で合理的ちゃー合理的、理屈にあってる。私はまだそういう頭脳的ルーティンを入れきれずに「え? あ? う…」と途中で止まることもしばしば。でも前よりは「恥ずかしい」というところから抜けたかなと思う。2ミリくらい。
・このクラスは同じ施設内でずっと行われているのだが、借りる教室(元・学校だから)は週によって違う。今日は元・音楽室だった。黒板に五線譜が書いてあるからすぐわかる。この部屋の床がおそろしく固い。かちかちのパンケーキみたいに固い。この音楽室はフローリングだけれど、木というよりコンクリを感じる。ジャンプする気になれないような、邪悪な固さ。同じ建物なのに、部屋によって床の柔らかさが不思議と違う。あるいは靴で歩き回っていたら、気がつかなかったのかもしれない。そうやって毎週、神妙に床の固さの違いを味わうというのもひそやかな楽しみだ。
・「闇から生まれ、闇に消える」ではないけれど、ここでいつものように味わう「世界の果てから来て、世界の果てに帰る」感じは何なんだろう?
身体を動かす場所、特にこういう基本的なことをする場所では、望もうと望むまいと、無意識にでもそのときいちばん気になっていることに対する答(あるいは反応)があらわになるように思う。
“おうち”がないんだね。やっぱり。居場所が。そのことが気がかりでもあり、「もういいひとりでやってく」でもあり。
「ひとりでいること」についてずっと考えてきた。悟りを開けはしないが、少なくとも「ひとりでいること」を知らない人とは一緒にいられない。
ここまで生き延びてきたのなら、これから先はオプションというかもはや「選択」なのではないだろうか。
「世界の果て」って月面みたいなところじゃないかなと私は思います。
・この日記はRobert Palmer "Addicted to Love"と"Motown Classics"を聴きながら書いた。
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