発表会2日目。一曲とフィナーレに出るだけなので、仕度をしてしまえば暇といえば暇。なのでせっせとアップする。先生に言われたから、というより、楽屋で座って待っている気になれなくて動いている。私は袖とか楽屋の廊下とか、そういう場所が好きで(ネズミみたい)、そこで舞台の演目の音を聴いていると自然とストレッチしたり踊ったりしたくなる。かつての私はそういう人ではなく、楽屋で直さなくてもいい化粧直しをして時間をつぶし、舞台前に「アップする」という発想もなかった。廊下では他のナンバーの人たちがやはりアップしたり練習したりしている。SOUL&LOCKINGのかっこいい姐さんたちと並んで、おなじようなかっこでストレッチするのはなんかいい。出の前に先生をまじえてミーティングするチームもある。他チームのミーティング、耳に入ってきてしまうんだけど、「おっ」とか「ほぉー」とか思うようなことを先生たちが言っている。あるヒップホップの先生(男)がみんなに「俺のナンバーに出てくれてありがとう」と言っていたのには感動した。

3ステージ目で踊っているとき、「仕事化してるかも」と思った。冷静に踊れているということでもあるが、落ち着き過ぎてもいけない。楽公演(夜)がそれまででいちばん気持ちが入った。今まであまりそういうことを思ったことはないのだが、「これでこの巫女さんの踊りともお別れ」と思ったら泣きそうになってしまった。舞台の端から端まで、踊りながらたたたーと横切っていくのは(しかも前列で)、風を切ってとても気持ちよかった。「かたちでなくやれた」と思うところが何ヶ所かある(はじめからそうやれよ…って感じですが)。初めてこの作品のなかでかたちにとらわれることから離れられた…。自分の手ごたえとしてはこれがいちばん大きい収穫。フィナーレも含めて、悔いなく〆ることができて本当によかった。

楽は師匠も観てくださっていて、昨夜、今日の昼公演と来れなかったので「どうなってるかと思ったけど、(今まででいちばん)よかった」と労ってくださる。師匠と巫女ダンサーズ一同で美酒を味わう。師匠は「プロがやってもこの感じはでないので、ありがとう」と。あれこれダンスの話。私が「お客さんを取ろう(こっちに向けさせよう)と戦闘的な気持ちになる」と言ったら、ある子が「取ろうとしなくても今日はお客さんのほうが『なんだなんだ?』と私たちのほうを観ているのが感じられた」と言うので、「へえー」と思う。自分の人間関係のとり方のクセが出ている。見ているようでちゃんと見れて(感じられて)いなかったり、人に対して冷淡だったり。先生は他のあるナンバーのひとり(女の子)がいい踊りをしていると注目していたそうだ。そのナンバーは全員うまいのに、なかでも抜きん出て(プロに)目をとめてもらえるなんてすごい。羨まし過ぎる。さらにあれこれダンスの話。それぞれ考えることは違ってもダンス馬鹿な人たち。情念多すぎ・自分大好きの人も、(ついていけないけど)悪気はまったくないので憎めない。

練習は長期間におよんだが、平和を訴えるこの曲とストイックな振りは自分とコンフリクトすることなく、踊りに取り組むことができた。こんなにクリアで素敵な作品に参加させてもらえて幸せです。ありがとうございます。ストリートダンスの曲や動きもけして嫌いではないのだが、今の私には数ヶ月もストリートダンスの発想で取り組むのは難しいでしょう。

今日も友人たちが来てくれて、お花や祝ワインを頂き、また「よかった」「きれいだった」と言ってくださる。さらに「また舞台があったら呼んで」とまで言ってくれるのはすごくありがたいし、嬉しい(発表会は「観て頂く」ようなものだと思うので)。本当にありがとう。でも自分のなかではまだ実感がなく、もっと届く力のある踊りができるようになりたい、と思う。もっとまだまだ、何事もなかったかのようにさあ次へ。

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