黄水仙

2006年12月30日
玄関をちょこっと掃除。活躍したトランクを天袋にしまう。(ものすごくだらだらやってたけど)翻訳とコピーの直し。夜は友人と会う。「踊りやってるとひとりで井戸から水を汲み上げてるような気がする」というあたりで話がかみ合わなくなった。私が強烈に孤独を感じてすり減ると言うと、(煎じ詰めれば彼女が言うには)「それは思い込み」で「誰もがひとりだとは思っているんじゃないか」。

「孤独」っていうのは確かに誰もに共通したトピックだろうが、それだからといってそれは私の救いにはならない。私も折々にふれ人の恩だとか「こんなに思ってくれてる」ということに感じ入りはするのだが、それでもみな「それぞれのおうちに帰ってしまう」。残されて私はひとり。人は基本的に誰でも「ひとり」なんだろうけど、私の場合その「基本的な」時間がすごく長いように思うんだけど…。長期的に(というかデフォルトで)激烈に「ひとり」ということを感じている。そのことがたいていの場合は自分を消耗させるのだが、私の知る限り唯一の例外は「なにかをつくっていて、それをひとに見てもらう機会があるとき」である。

友人は根がハッピーな人なので、私の力になろうとしてああいう風に言ったのだと思う。私も言いたいことは言える限り言ったし。ネガティブなことを口にしたからと言って、それをどうにかしてほしいと思っているとは限らない。彼女から「踊りを観にいけなかったから、気持ち」と、お正月らしい黄水仙を頂いた。

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