・ダンスコンペを観に横浜へ行く。昨夜は飲んで服薬して、スカパーでジェシカ・アルバの特集をしていたのだが、あ、「シン・シティ」だ「ファンタスティック・フォー」だと一瞬だけそれぞれ確認して寝つぶれていたので、復活してお風呂に入ったらもう明け方に近い頃だった。そんなのどうでもいいし、私のメールなんて私の存在なんてそれこそ流したっていいのに、ぎりぎりでもお返事くださるなんてなんていい人なのでしょう。出かける。

・今年初めて観たダンスが、師匠のソロ。彼はそれで審査員賞を受賞した。喜ばしい(ぱちぱち)、縁起がいいことこの上ない。当然でしょう。格が違うもの。「クラス」という意味ではなく、キャリアにしても(それに作品を観て感じるけれど)作品のつくりこみ方から他の人たちとは、頭ひとつ(だかふたつだか)抜きん出ている。

・前々から思っていたけれど、作品を観るとつくづく「理系」な人だなあと思う。思索する理系のロマンティックというか。こういうアプローチする人、他にいないでしょう。久しぶりに「放物線」を見た。というか生で見たのは初めてかも。いつもは鉛筆で言うなら4Bくらいの濃さなのに、今日はHBな感じだったのは「作品」だったからだろうか。

・というように誠にめで鯛イベントだったのに、浮かない気持ちなのはなぜだろう? ひとつには他があんまり面白くなかったから。あまりに面白くないので、自分のほうに非があるような気さえする。そもそも私はコンテンポラリー・ダンスがわからないんじゃないか、とか。コンテというとどうして同じようなノイズ系だの現代音楽だの「ありがち」な音なのか、とかどうして小難しそうな人たちが集まるのか、とか。ジャズダンスのコンペだったら批評家だの作家だの、文化人な人が審査するなんてことないだろう。そういこといちいち気にしちゃいけないですか。

・相当に身体能力がある人でも(予選通過してきてるわけだからそういう人たちなんだけど…)観てて飽きてきたりするのはなぜだろう、と考える。審査するあいだ、前日までの作品がビデオ上映され観ていたんだけど…なんつうか(これまた)「ありがち」な感じ。きれいだったりスタイリッシュだったり、狙ってるところはわかるのだが、そういうのは他にもありますよね、というか。他の誰かの替わりができるダンスというか。自分でできないくせに、すごい辛らつだな、私。グループ部門は特にそういう感じがした。デパ地下みたい。みなほどほどに美味しく見場のいいお惣菜を売っている、というような。凄くへんなものとか見たことのないようなものを売っている店がない。コンテンポラリー・ダンスは何でもありだけど、自由なぶんムズカシイと私には思える。

・ソロ部門のほうが見ごたえがあり、特に日本人女性ダンサーのOさんとKさんは映像でも迫力があってぜひ生で観てみたかった。この二人も受賞しておかしくないと思ったけれど選ばれず、外国人ダンサーたちへ行ったのは政治的な理由もあるのかな。穿った見方だろうか。主催者側のカラーが強い気もした。イベントというよりは「文化事業」なのですね。

・ああー、なんか打ちのめされモード。素直に祝えてなくてごめんなさい。

・毒を吐きまくりで、私ひどい。せまい。都心に帰って夜稽古に出たが、「自分キライ」が強まっているとなおさらやってて楽しくない。コンプレックスから解放されるというケリなのだがそんなふうに思えないよ。電車のなかでのみこんだ錠剤が胸のあたりにとどまっていて熱い。

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