・といっても環境問題について話し合う会議でもなくましてやスーパーマーケットでもない。早い話がパフォーミング・アートの連続WSで今日はいつもの先生が講師なので出かけた。

・3時間のWSということはその分みっちり動くのですか、それは昨日の睡眠時間と同じですよとか思って行ったらさにあらず。前半は映像の上映などをまじえたレクチャーだったのでびっくり。先生いっぱいしゃべってた。ほんとに「先生」みたい。

・アートを語る、というよりは先生のネタ元というか創造を起動するものを軸とした話だったが、なにげにすごかったわ。まとめて聴いたのは初めてだったので。踊りだけでなく力学だの映画の技法にまで至るテーマの幅広さ(たとえばフォーサイスからキューブリックまで)からあまりに自分のベクトルと向きが違うのと、エネルギーのでかさに消化しきれない。アーティストってこういう人のことだよな、と圧倒されつつ思う。

・アーティストっていうのは単にアートに詳しい人ではなくて、自分に内発するものでアート(だけでなく世界もそうかな)を切りとっていける人だと思う。って私の思いつきで言ってるだけだけど、その切りとるツールが、その人の感覚だの生き方だのに根ざしていればいるほど、つくるものが濃く強くなるんではないだろうか。唐突だがよく「はてな」にありそうな、アートレビュー系ブログに「しゃらくさい」感じがして流してしまうのは、自分を賭けてまで切りとってはいないからだと思う。高級チョコレート詰合せみたいで、私はなんか嫌なのだ。

・なんで話はきっちり理解できてないかと思うのですが(すみません)、思ったのは「あーやっぱり追求していいんだな」ということ。人に理解されるとか受けるかどうかは置いといて、ともかく自分がいいと思うことを追求する。こだわる。おそらく身体表現に限らずなにかによって自分をさらす、ということをすると、それによっていろんなことが起きてくるが、それでも自分の立ち位置は守っとけというか。いつだかはわからないけど、そうやって「粘ったもん勝ち」じゃないのかな、と話聞いていて感じた。

・後半に動く時間があって、5人で「動きの連鎖をつくる」というのをやりました。はまるとこういうのはやはり面白い。自ら「滑り込みしたいです」とか言って、久しぶりにアザつくっている私。一年前にはこういう人ではなかったはずだ(しかも最初は「走ってきてスライディングする」とか言ったら「危ないから」とグループの面々に止められた)。私たちのグループはメンバーの妙でなんかよかったみたい。人とやると、5人でつくるグループという枠があると、そのなかで「何が足りないか」「何が多すぎるか」という観点ができるので、自分の動き方を考えやすくなる、ということを知った。

・私はこのサミット、「百戦錬磨」みたいな熟練パフォーミング・アートな人たちが来るんだろうと思ってどきどきしていたけれど、行ってみたら(いまどき東京のどこにこんな人たちが、と思うような)ういういしい、すれてなーい感じの若い子(私の年齢の半分にも満たないよ、きっと)ばかりだったので、毒々しい私としてはそれもまた身の置き所がなくどきどきしてしまいました。悪い人にひっかからないか、この子たちの今後の人生が心配、みたいな。私も人の心配どころではありませんが。しかしなんらかの表現をするなら、もうちょと濁ってみてもいいと思う。

・人はどうあれ、自分の道を追っていい。しかしそれを実現させるための「スキルの洗練」という課題は別に必須の話としてあると思う。つまり精進することだが、それは受け手に対する「誠意」なのではないかしら。

・追求する私は気持ちがあがってきたのでクーラ・シェイカーだのU2だの聴きながら帰った。本当に私の人生はどうなるのだろう。

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