午後、ジャズダンスのレッスン。ターン不調、考え過ぎモードに入ってる! ああーちっともうまくならなくていやんなるが、「緩急のつけ方」まで見てくれる先生についていることは幸せ。
夜、舞踏のWS。3時間という長さはやはり長いと感じるが前回よりはちょと慣れた。やってることは「かたち」としてはジャズダンスと共通するものもあったりするのだが(コントラクション&リリースとか)、自分で動かそうとするのではなく、イメージの助けを借りて外から「動かされる」というふうにもっていくところが違う。身体が砂でできていて、そこに雨が降ってきて崩れてくる、とか、耳の後ろに水たまりができていてそのなかでミズスマシがはねる、だとか。イメージすることが大切だから、いちいち丁寧に通訳もするのだろう。右手をぎゅっと握って、ひとつひとつの細胞が大きくなるところをイメージしながらその手を眺める…というのが面白かった。
身体を使うこと、というのは何にせよそこで「自身との関係」(自分が自分を日頃、どう扱っているか)を意識せざるを得ないような気がします。
夜、舞踏のWS。3時間という長さはやはり長いと感じるが前回よりはちょと慣れた。やってることは「かたち」としてはジャズダンスと共通するものもあったりするのだが(コントラクション&リリースとか)、自分で動かそうとするのではなく、イメージの助けを借りて外から「動かされる」というふうにもっていくところが違う。身体が砂でできていて、そこに雨が降ってきて崩れてくる、とか、耳の後ろに水たまりができていてそのなかでミズスマシがはねる、だとか。イメージすることが大切だから、いちいち丁寧に通訳もするのだろう。右手をぎゅっと握って、ひとつひとつの細胞が大きくなるところをイメージしながらその手を眺める…というのが面白かった。
身体を使うこと、というのは何にせよそこで「自身との関係」(自分が自分を日頃、どう扱っているか)を意識せざるを得ないような気がします。
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