踊りにせよ演劇にせよ、何者かになろうとしている若い人たちを見ると、自分のしていることで別に自分を証明しなくてもいいやー、という境地にいられるようになったのは楽だなと思う。まぁ「境地」てか「世界の果て」みたいな荒んだ場所だけどさ。若い頃は「アイデンティティ」問題をそりゃ悩んだものです。今では「歩けば自分の足跡がつくんだからそれでいいじゃん」てなものだ。

ムーブメントのクラス、今までにないことを今日はやりました。それは「振り」で動くこと。この先生に振りをもらうだけでも、それは凄いことなんだけど、ふだん使わない鏡を開いたりして、いつもと違うふんいき。何回も何回も繰り返して振り写しする。

3,4人で振りを踊って、それから自分でニュアンスを入れて、それから出入りも考えて、通す。やってるときは必死だったので気がつかなかったけれど、帰り道に呆然となる。こんなことをやらせてもらえるとは。私は「できてない×350」くらいだし「まだまだ×無限大」だけど、こんなことをやらせてもらえるなんて、こういうのすごくすごく好きなのだ。「感動」と言っていいくらいの気持ちになり、音楽を聴く気にもならない。それより振りを忘れないように頭のなかで再生。

オリジナルも入ってないのに、「自分のニュアンス入れて」なんてさ、殺生な話だけど、こういう体験をさせてくれることに強烈に幸せを感じる。今さらながら先生の身体の運び方にすごく納得する。これがたったひとつの理想型ではないけれども、私が「こうありたい」と思うような踊りの発想のひとつの具現であることに気づき、やたら心打たれる。

先生のまねっこはできないし、彼の動きは彼ひとりのものだけれど、この先生に見てもらえる場のなんと貴重なこと。私は自分をどこかに置いてきたような空っぽさで動けるようになりたい。

踊りって合理的につくられているものだと思う。バレエとかは違うのかもしれませんが。身体の自然に沿っているはず、と思う。だからそういう使い方をしたいんだけど、自分のよくないところ(癖)は、いわゆる「踊り」で止めることだと今日も思った。とりあえず、じゃなくてもっと解放できるところがその先にあるはずだ。

高揚してるのでわけわからんこと書いてるかな。「面白かったです。もう10分やりたかったです」と正直な感想を伝えて帰る。

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