WS最終日はショーイングということになっていて、ご近所の友人が見に来てくれると言う。別に作品をつくって見せるわけでもない地味なイベント(?)だから、お客様が彼女ひとりだったら申し訳ないなと思っていたら、10数名の方々が来てくださっていた。何に使うのかしらないけれど、いかにも高そうなレンズ付き一眼もったカメラマンまで。

「見る人」がいると、身体が開きやすくなるし、動きの流れを考えやすくなるように思う。緊張もするけれど、だから見てもらえるのはありがたいです。ショーイングといっても、これまでの稽古でやったことを見せてるだけなんだけど、自分も含めてみんなだいぶ感じが違っていたのではないでしょうか。

最後にそれぞれの感想を話していたとき、私は「内にこもってみえるのが嫌なので、とにかく我を忘れて『動きまくる』という時間ではかえって冷静に考えてしまい、あまり没入できず、混沌としたまま帰ることのほうが多かった。ペアだったり、今日の最後にみんなで動いたときのほうがヒントをもらえたり、自分という枠から抜け出せるのでやりやすかった」と言った。

ソロはソロで、ひとりで立たなくちゃいけないけど、こんなに人がいるなかでは出会うことはうつくしい。最後のワークでは、まねしたり、まねされたり、ちょっかいだしたり…ということで動きのエッセンスをもらうことが私には面白かったのでした。

「かたちがすごく見える。悪い意味でなく、意志があるからそのかたちが強い表現に見える。自分のスタイルがありますね」というようなことを先生に言われる。(よくわかんないけど)「このかたちを運ばないと死んじゃう」とか、そういう意気がないと、「あの人なにやってんの」になっちゃいますし。私は「内面の感覚で動く」っていうのが苦手だし、出自がジャズなのでかたち志向になるのかもしれない。先生の言葉は、いやちょっとサービスだろうけど、ほっとした。

自分のやりたいことって、振付ものと、こういう即興の中間にあるようなことなんじゃないか、とふと思った。ジャズダンス、コンテ、即興のなんかミクスチャーみたいな。「内面の感覚を大事にする(らしい)」即興だの舞踏だのの場では、自分が音なりかたちから動きをつくることにひけ目を感じたりすることに今回、気づいた。genuineじゃない、とか、イロモノぽいとか。でも、それが、ついやってしまうようなことが自分の「スタイル」で、やりたいことなのだろう。

何にせよ、自分にとっての必然の糸を紡いで動きにしてゆく。それでいいのだと思う。

「好きなこと」なのだから、焦らずゆっくりやっていってみよう。

友人からは春らしいお菓子の差し入れを頂きました。混沌とする経験でもありましたが、教えてもらったこと、気づいたこともあり、やはり「出てよかった」。体力的には結構きついWS(精神的にはライトの部類)、通してまぁがんばったかな。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索