土曜日の朝一という素敵な時間帯のワークショップ。眠いです、が会社ほどではありません。森下へ。
「間(ま)について」というテーマ。昨年末のクリエーションで、さんざんこれを言われて気になっていた。踊る人はカウントとってるぶんには考えないんじゃないかと思うが、マイムの人たちはコンマ何秒かって勢いで(自分のカンで)これをとり、最大限の狙っていた(みたい)。
このWSはコンタクト・インプロ(CI)の国際フェスの一環として行われるので、公用語が英語(外国人講師や参加者もいる)。日本人の講師の方は謙遜していたけど、上手(聞きやすく、自然に通る英語)だと思った。
そういえば「英語を話すことのセンセーション」って今はないなぁ、とふと思う。すごく前、英語を話すことに高揚感があって、日本語ではわざわざ言わないようなこともわざわざ言ったりしていたことがあった。今は日本語で話さないようなことは、英語でも話さないと思う。今でも会話力はぜんぜんビジネスレベルじゃないという自覚はあるが、そのへんの向学心はナイ。
この「間」を英語でなんというのか? WSではずっと“MA”って言ってました(笑)。英辞郎では"betweenness"ってあるけど、そのまんま。emptinessとかvoidじゃないか、という意見もでたが、それでは「間」の豊かさを表現するには足りない気がする。balance、と言った人もいた。それは悪くない線かもしれない。二者間の見えないバランス。
私が今の時点で理解している(舞台における)「間」というのは、観る人に起きていることを「わからせる」ためにあるもの。動く側はストーリーがわかっているので、急ぎすぎてしまい、観る人がついてこれないことがあるので間をつくる。あるいは起きていることをハイライトするためのもの。
でも、じゃあそれをどのくらいの距離で、何秒間やったらいいか、というのはあらかじめ計測できたりしない。その場の気配でその場で決めて、動くものなのではないか。
「気配、て何ていうのかしら」という話も出て、その場ではわからなかった。やっぱり辞書ひいたら、hintとかsignになるんだろうか? でもこれでもちょっと語感が強いような気もする。
上で書いたように「間」には時間と距離、両方の意味がある。このWSではどちらかというと、前者にフォーカスしたワークが多かったように感じた。ペアになって動きつつ、あいだの距離を変えてみたり(でも関係性は保つ)。
私は思い切ってフランス人の男性と組んでみた。言葉は通じなくても、エチュードの共有ができて、面白かった。でもそのあとその人は抜けちゃって、まさか私と組んだからではないと思うけれども、まぁお疲れだったのでしょう。
相手を替えて、タタミ2畳くらいのスペースでペアが正座など座った姿勢のバリエーションで動く、というのをやった。相手の動きに応じて、言ってみれば将棋みたいに自分も動く。方向を変えたり、並びを変えたり、テンポを変えたり…やってることはごくわずかなのだが、観ていると静かにドラマティックで面白い。
このミニマムなワークはとても面白かった。この頃「何か(というのは「踊り的な何か」)をしようとしなくてもいいんじゃないだろうか」「もっと待ってもいいんじゃないか」という方へ関心が向かっているので。
動いてないわけじゃないけど、全体に静かなWSでした。あ、そういや和風だったかも。
参加者のなかには「できる」感じの人々もいて、動きに目が行った。CIの人々は「ジャム」というのをやります。昨晩、そして今晩もあるそうで、これは音楽でいうジャムセッションみたいに自由参加でインプロするもの。こういういうことが、じゅうぶん楽しめるくらいできるようになるといいなぁと思う。
「間」というテーマもよかった(続きをやってほしい)が、今日つくづく感じたのはパートナーリングは面白い、ということでした。人と一緒に動けて、そのバリエーションが広がったらもっと面白くなると思う。
そのあと、いつものレッスンへ。ターンは思い切りが悪く(こわいから)、いまひとつ正しい位置に立ちきれてないような。上達してんだかな。こっちはこっちで、やることやんないと。ほんとに頑固な身体。
「間(ま)について」というテーマ。昨年末のクリエーションで、さんざんこれを言われて気になっていた。踊る人はカウントとってるぶんには考えないんじゃないかと思うが、マイムの人たちはコンマ何秒かって勢いで(自分のカンで)これをとり、最大限の狙っていた(みたい)。
このWSはコンタクト・インプロ(CI)の国際フェスの一環として行われるので、公用語が英語(外国人講師や参加者もいる)。日本人の講師の方は謙遜していたけど、上手(聞きやすく、自然に通る英語)だと思った。
そういえば「英語を話すことのセンセーション」って今はないなぁ、とふと思う。すごく前、英語を話すことに高揚感があって、日本語ではわざわざ言わないようなこともわざわざ言ったりしていたことがあった。今は日本語で話さないようなことは、英語でも話さないと思う。今でも会話力はぜんぜんビジネスレベルじゃないという自覚はあるが、そのへんの向学心はナイ。
この「間」を英語でなんというのか? WSではずっと“MA”って言ってました(笑)。英辞郎では"betweenness"ってあるけど、そのまんま。emptinessとかvoidじゃないか、という意見もでたが、それでは「間」の豊かさを表現するには足りない気がする。balance、と言った人もいた。それは悪くない線かもしれない。二者間の見えないバランス。
私が今の時点で理解している(舞台における)「間」というのは、観る人に起きていることを「わからせる」ためにあるもの。動く側はストーリーがわかっているので、急ぎすぎてしまい、観る人がついてこれないことがあるので間をつくる。あるいは起きていることをハイライトするためのもの。
でも、じゃあそれをどのくらいの距離で、何秒間やったらいいか、というのはあらかじめ計測できたりしない。その場の気配でその場で決めて、動くものなのではないか。
「気配、て何ていうのかしら」という話も出て、その場ではわからなかった。やっぱり辞書ひいたら、hintとかsignになるんだろうか? でもこれでもちょっと語感が強いような気もする。
上で書いたように「間」には時間と距離、両方の意味がある。このWSではどちらかというと、前者にフォーカスしたワークが多かったように感じた。ペアになって動きつつ、あいだの距離を変えてみたり(でも関係性は保つ)。
私は思い切ってフランス人の男性と組んでみた。言葉は通じなくても、エチュードの共有ができて、面白かった。でもそのあとその人は抜けちゃって、まさか私と組んだからではないと思うけれども、まぁお疲れだったのでしょう。
相手を替えて、タタミ2畳くらいのスペースでペアが正座など座った姿勢のバリエーションで動く、というのをやった。相手の動きに応じて、言ってみれば将棋みたいに自分も動く。方向を変えたり、並びを変えたり、テンポを変えたり…やってることはごくわずかなのだが、観ていると静かにドラマティックで面白い。
このミニマムなワークはとても面白かった。この頃「何か(というのは「踊り的な何か」)をしようとしなくてもいいんじゃないだろうか」「もっと待ってもいいんじゃないか」という方へ関心が向かっているので。
動いてないわけじゃないけど、全体に静かなWSでした。あ、そういや和風だったかも。
参加者のなかには「できる」感じの人々もいて、動きに目が行った。CIの人々は「ジャム」というのをやります。昨晩、そして今晩もあるそうで、これは音楽でいうジャムセッションみたいに自由参加でインプロするもの。こういういうことが、じゅうぶん楽しめるくらいできるようになるといいなぁと思う。
「間」というテーマもよかった(続きをやってほしい)が、今日つくづく感じたのはパートナーリングは面白い、ということでした。人と一緒に動けて、そのバリエーションが広がったらもっと面白くなると思う。
そのあと、いつものレッスンへ。ターンは思い切りが悪く(こわいから)、いまひとつ正しい位置に立ちきれてないような。上達してんだかな。こっちはこっちで、やることやんないと。ほんとに頑固な身体。
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