水曜に行ったパフォーマンスがよかったので、日曜に同じアートコンプレックスで行われるイベントにも行くことにする。とはいえ遅寝してたり落ち込んでたりで出足が遅れ、途中参加になって気がひけてた。

駅に着くと、友人に呼びかけられる。えっ?と思ったら、ちょうどアクション・パフォーマンスでアーティスト+参加する人が街に出てきてたところだった。アーティストは某メガバンクATMの前で寝てお写真を撮ったり、絵も描く方。

駅でのパフォーマンスに参加する人、という呼びかけに手をあげた。やってみたくなったので。券売機の前で横たわる、というパフォーマンスで、それを「目撃する人」は写真を撮ったりする。寝る人のほうは4人。人前でしかも地面に寝っころがったりすることに不思議と抵抗がないのだった。

ディレクションは「親族が亡くなって、これから故郷に帰るという心持ちで(風呂敷に包んだ額にみたてたものを抱えて寝る)」ということだったのだが、私としては「死体になる」気でいて、その考えにわくわくした。

事前の注意にあったように、駅の人はこういうことにうるさい。目を閉じて寝ること2,3分、駅員に「お客様、だいじょうぶですか」と激しく声をかけられる。それが「心配している」というトーンではなく、「なにやってんだいったい?」という、怒ってるぽい声音。ま当然ですよね。素知らぬ顔で起きて、場をぬける。

おかしかった。こういうのかなり好きかもしれない。反社会的行為? かもね。でもなんかいいよこれ…とおおいに刺激を受ける。

この日は、数人のパフォーマンスアーティストが次から次へと出演するイベントで、ホタテ貝の貝がらでSOSを床に描く人あり(save our ship, save our soul)、映像の前で塩をまき、自ら塩に埋もれる人あり、とさまざまだった。

アートのはしご。友人とささっとお茶して、ひとりダンスを観に行く。

「ざわめきの4月」(@セッションハウス)は、女性だけのカンパニーであるマドモアゼル・シネマが、ダンサーそれぞれパートナー(女性・男性)を連れてきて同伴出演、というもの。デュオ集になるのかな、と思ったらそうでもなく全体としてのまとまりのなかにふたりのシーンがあるという感じ。

原案・構成の伊藤直子さんがパンフに“男と女はいるだけで「物語」”と書いておられるのはいろんな意味でなるほど、と思う。

デュエットが多いので、コンタクトの見せ場がたくさん。やっぱり「かかわりをもって踊る」って面白い、とぐぃーっと惹きつけられるように観る。納得のコンタクトもあれば、ちょっと薄いんじゃ、と思う場面も…観ながらいろいろ考える。

しかし「みかんコンタクト」とか「巻尺コンタクト」とかよく考えるよね(このカンパニー、口に何かくわえるのって多い気がする)。

男子ならではのダイナミックな動きの質感、ダンサーの脚、足の甲、足の裏(マニアックだな)など、最前列だったので正しく使いこまれた、うつくしい身体を堪能しました。

いつも思うことは…「いわゆるダンスっぽい動き」って面白くないのではないか、ということ。そういう視点で観てもいたんだけど。あまりうまく説明はできないが、観ていて「いまの足、動き、ああいうやつってちょっと…」と思う。なんだろうね? カギカッコに入った「ダンス」っぽくしたくはない、と自分でも思ってやってはいるんだけど、まぁやってしまったりする。

ラスト近くのデュエット―ユニゾン―デュエット―ソロみたいなスピード感ある流れが、すごくよかった。ドキドキ過ぎない、ドキドキのある素敵な作品だったと思う。盛り沢山で楽しかったし。

今日はどちらのパフォーマンスも私には「意味」が多過ぎず、大いに刺激されてよかった。ダンスが中心の円になるとしても、自分はドラマ寄りというよりパフォーマンスのほうがなじむのかもしれない。

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