昼休みに聞いた話。きわめて優秀な女性社員(この会社の女性はみな「優秀」から「きわめて優秀」のレンジのどこかに属する。私以外)Aさんは部会がベリーダンスのショーもあるトルコ料理店で行われると知り、「女性蔑視」だと意見したそうだ。場所は変更になり、中華料理屋になったんだとか。

バッカじゃねえの。なにその大雑把な感性。なんでベリーダンスが女性蔑視なわけ?ダンサーに失礼だろうが。おまけによそさまの文化を知りもしないで何を偉そうに。場所変えちゃうほうもどうかと思うよ。

クラスに行く。はじめにいつもやる、床に寝た状態で深く呼吸する、というやつ。先生が言う。(息を吐くときに)「床に身体を預けるような気持ちで」。

毎度やってることなんだけど、この言葉耳から入って、自分のなかで、何かにぶち当たった。

今まで、誰かに自分を預けられたことなど、あっただろうか。これから、預けられるようなこと、あるんだろうか。

自分を「預ける」ってどういうことなのか、私にはわかりません。

私に手渡された、荷物。これまでの、これからの、荷物荷物荷物。私、丈夫だから、いろんな人がいろんなもの置いてく。

捨てたい、もう荷物ごと自分捨てたい。消えても誰もわかんないだろうし。

私という番組、終了。強制終了。さー。

死ぬ間際、このクラスのこときっと思い出すと思った。自衛隊の訓練ちっくに思えなくもないエキササイズ、ノスタルジックな音楽。

こういうこと(今やってること)、私、墓場にもってくだけなんだろうか、と思ったら、むなしくなった。生理前でもないのに、こんなじゃたまらん。うちの墓には入りたくないなぁ。

こんなこと思ってても、いつものとおり私は動いてるわけだから、誰にもわからない。

このクラスでよくやるジャンプ。高く跳ぶためでなく、身体を投げ出す練習。みんなのを見ていて、人って重いんだなと思った。身体はたぶん、軽い。存在が重い。跳ぼうとしなくていいのに、何かしようとしなくていいのに、と思った。

私はその時点でやる気なかったから、高く跳ぶ気も出ない。でも(皮肉なことに)なんかいつもより、できた気がする。今日はジャンプできない、注意されてもしょうがないな、と思いつつ、身体に任せていただけ。身体がやりたいようにやっていた。「なんで死ねないんだよっ、死なせてくださいよっ」って身体放ってた。

ジャンプのこつは跳ぼうとがんばらないこと。こつ、がわかってきたとして、このクラス今月でまたお休みになっちゃうんだよな。

人の存在は重いです。うつくしい動きとは、自分の「考え」でなく、ただ「身体」に運ばれているように見える、spontaneousな動きではないだろうか。

帰りも雨。どんより感をもてあまして、帰るに帰れず、雨のなか、クラスの会場に隣接した公園で一服することにした。へたっていたせいか、先生(私が知る限り常にフィジカルな人)に「疲れた? 大丈夫?」と笑いながら言われるが、そういう軸じゃないんだって、いらっ…。「大丈夫ですっ」と答えてひとり残る。「死にたいですっ」とは、まさか言えないしね。

雨のなか、暗い公園でタバコ吸ってたら、泣けてきた。しばらく泣いても誰も来ない。そもそも生物がいないよここ。

傘さしてるのに、髪が濡れてるのはどうしてだろう。

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