「アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生」
2008年4月18日 映画強風に雨。家から駅までのあいだに傘、ハカイ。通勤で使う私鉄が車両事故で30分遅れ、いつも寝ていくのだが今朝は電車内で「どろーん」と深い眠りに入ってしまい(この頃わりとある)、気がついたら降りる駅から3つも折り返していた。
退社後、久しぶりに整骨院へ。そしたら久しぶりの二乗で院長がいて(身体の扱いが上手)、悪天のせいか患者がいない…という二重のラッキー。じっくり診てもらう。背中を斜めにぐぃーと伸ばしたり、頭の後ろを押してもらったり、ほぐれた。さすが。
地元の映画館でレイトショー(↑へ寄るとちょうどいい位の時間)上映の「アニー・リーボヴィッツ」を観た。
ヨーコ・オノにしがみつくように横たわる裸のジョン・レノンの写真があまりにも有名ですが、被写体はセレブリティだけにこだわらず、とりわけ「アメリカン・ポートレイト」を撮り続ける女性フォトグラファー。
プロとしてのキャリアを始めたのは、今や世界的に有名なRolling Stone誌で始める(初期の同誌ロゴって今のやつとは違う…)。「最高の写真を撮るには、空間の一部になること」ミュージシャンでもダンサーでもとにかく一緒に行動し、しまいにはしじゅう写真を撮られていても、相手がなんとも思わなくなる。空気のような存在になること。そのようにして撮られた、今まで目にとめられなかった、晒されることのなかった何かを表すインティメートな写真。
絵に描いたようにワイルドな時代の、ストーンズのツアーにも同行していたのだが「じゃ、目をつぶってもかれらの写真を撮れるくらいじゃない?」と訊かれて「まさか。私は一枚一枚、真剣に撮っているわ」と答えるアニー。
私の認識は「ロック・フォトグラファー」というところで止まっていたけれども、バニティ・フェア誌や報道写真も(ニクソン辞任のときの「カーペット片付け」写真、こんなところ他の誰が気づくだろう)撮っていたそう。
どっかで目にしたことのある、有名なポートレイト写真がたくさん出てきます。炎を背にしたパティ・スミス(クール!)。ちらっとしか映らなかったがローリング・ストーン誌の表紙になった若い頃(「プライベート・アイズ」の前くらい?)のホール&オーツ、ふたりの距離感が微妙なカーペンターズの写真はもっとよく見てみたかった。
私にとって「どこがいいのかよく分からない」2大女優、キルスティン・ダンストのファッション写真(宮殿みたいなところで、すそがふくらんだピンクのドレスを着ているもの)とキーラ・ナイトレイのゴシック版オズ(の魔法使い)みたいな写真もよかった。
彼女の写真は"narrative"「何かを物語っている」と評されていたのはよくわかるし、興味深い。先日、書いたことにつながるけれど、優れた表現というのはテキストなら「意味」だけでなく視覚イメージに訴えたり、映像(あるいはダンス)なのになんらかのストーリー(の断片)を受け手に伝える、というように多次元的に作用するものだというふうに、なんとなく感じているから。つまり「映像」とか「言葉」というジャンルを越える。
薬物のリハビリを受けたというのも知らなかったし、それ以上に驚いたのがスーザン・ソンタグが恋人だったという事実。ともにエネルギーに溢れたふたりの女性、“word person”と“image person”という二人のアーティストのカップルの関係はさぞかし刺激と、互いに対する理解に満ちたものだったのだろう、と想像される(ソンタグは有名なアメリカの評論家。その鋭い見識と行動力によりcontroversialな存在でもあった。2004年没)
前述の、ジョンにとっては最後の一枚となった写真は、誌名のロゴだけを載せて他の見出しはいっさい出さず、ローリング・ストーン誌の表紙になった。写真のテキスト(byスコット・スペンサー)には「これこそは、現代を生きる私たちにとってのピエタ(死んだキリストを抱く聖母マリアを描いた絵)と書かれている。
私は彼女が駆け出しだった頃、60〜70年代のにジョンとヨーコを撮った写真がいいと思った。ジョンの優しさ、ふたりの空気のやわらかさ。
監督はアニーの実妹、バーバラ・リーボヴィッツ。「時代を代表する女性写真家の成功物語」なんて枠にとどまらず、60’s70’s80’sそれぞれの時代の感触、表現するということ、家族(愛する人たち)…いろんな要素が盛り込まれたドキュメンタリーで、飽きることがなかった(パンフレットは前述のジョンとヨーコの最後の写真とテキスト、他にも有名なポートレイトがいくつか含まれていてお買い得だと思います)。
アニー・リーボヴィッツ、これから50代から60代にさしかかるところ、かっこいい。
退社後、久しぶりに整骨院へ。そしたら久しぶりの二乗で院長がいて(身体の扱いが上手)、悪天のせいか患者がいない…という二重のラッキー。じっくり診てもらう。背中を斜めにぐぃーと伸ばしたり、頭の後ろを押してもらったり、ほぐれた。さすが。
地元の映画館でレイトショー(↑へ寄るとちょうどいい位の時間)上映の「アニー・リーボヴィッツ」を観た。
ヨーコ・オノにしがみつくように横たわる裸のジョン・レノンの写真があまりにも有名ですが、被写体はセレブリティだけにこだわらず、とりわけ「アメリカン・ポートレイト」を撮り続ける女性フォトグラファー。
プロとしてのキャリアを始めたのは、今や世界的に有名なRolling Stone誌で始める(初期の同誌ロゴって今のやつとは違う…)。「最高の写真を撮るには、空間の一部になること」ミュージシャンでもダンサーでもとにかく一緒に行動し、しまいにはしじゅう写真を撮られていても、相手がなんとも思わなくなる。空気のような存在になること。そのようにして撮られた、今まで目にとめられなかった、晒されることのなかった何かを表すインティメートな写真。
絵に描いたようにワイルドな時代の、ストーンズのツアーにも同行していたのだが「じゃ、目をつぶってもかれらの写真を撮れるくらいじゃない?」と訊かれて「まさか。私は一枚一枚、真剣に撮っているわ」と答えるアニー。
私の認識は「ロック・フォトグラファー」というところで止まっていたけれども、バニティ・フェア誌や報道写真も(ニクソン辞任のときの「カーペット片付け」写真、こんなところ他の誰が気づくだろう)撮っていたそう。
どっかで目にしたことのある、有名なポートレイト写真がたくさん出てきます。炎を背にしたパティ・スミス(クール!)。ちらっとしか映らなかったがローリング・ストーン誌の表紙になった若い頃(「プライベート・アイズ」の前くらい?)のホール&オーツ、ふたりの距離感が微妙なカーペンターズの写真はもっとよく見てみたかった。
私にとって「どこがいいのかよく分からない」2大女優、キルスティン・ダンストのファッション写真(宮殿みたいなところで、すそがふくらんだピンクのドレスを着ているもの)とキーラ・ナイトレイのゴシック版オズ(の魔法使い)みたいな写真もよかった。
彼女の写真は"narrative"「何かを物語っている」と評されていたのはよくわかるし、興味深い。先日、書いたことにつながるけれど、優れた表現というのはテキストなら「意味」だけでなく視覚イメージに訴えたり、映像(あるいはダンス)なのになんらかのストーリー(の断片)を受け手に伝える、というように多次元的に作用するものだというふうに、なんとなく感じているから。つまり「映像」とか「言葉」というジャンルを越える。
薬物のリハビリを受けたというのも知らなかったし、それ以上に驚いたのがスーザン・ソンタグが恋人だったという事実。ともにエネルギーに溢れたふたりの女性、“word person”と“image person”という二人のアーティストのカップルの関係はさぞかし刺激と、互いに対する理解に満ちたものだったのだろう、と想像される(ソンタグは有名なアメリカの評論家。その鋭い見識と行動力によりcontroversialな存在でもあった。2004年没)
前述の、ジョンにとっては最後の一枚となった写真は、誌名のロゴだけを載せて他の見出しはいっさい出さず、ローリング・ストーン誌の表紙になった。写真のテキスト(byスコット・スペンサー)には「これこそは、現代を生きる私たちにとってのピエタ(死んだキリストを抱く聖母マリアを描いた絵)と書かれている。
私は彼女が駆け出しだった頃、60〜70年代のにジョンとヨーコを撮った写真がいいと思った。ジョンの優しさ、ふたりの空気のやわらかさ。
監督はアニーの実妹、バーバラ・リーボヴィッツ。「時代を代表する女性写真家の成功物語」なんて枠にとどまらず、60’s70’s80’sそれぞれの時代の感触、表現するということ、家族(愛する人たち)…いろんな要素が盛り込まれたドキュメンタリーで、飽きることがなかった(パンフレットは前述のジョンとヨーコの最後の写真とテキスト、他にも有名なポートレイトがいくつか含まれていてお買い得だと思います)。
アニー・リーボヴィッツ、これから50代から60代にさしかかるところ、かっこいい。
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