…と思っているのは私だけではないはず!

メール書いて、CD聴いて昼寝。銀座まで行って、クレンジングクリームとネイルを買った。なぜギンザかというと、もらったギフトカードがそこでしか使えないから。

それからレッスンへ。ジャンプ、ジャンプ…の振り。へたくそで悲しい。もっとこう、クセのない身体になれないだろうか。やんないと。「できてない」と悲しがってる私を大昔の私が見たら「できてるよ」と言うかもしれないが、できてないのだ。

悪癖近況。やっぱりまだ頭はかきむしる。やばくなると場所変えてやってる。

この頃、80年代のニューウェーブにひかれる。もっとも注目を集めていた頃は聴けなかったが、トーキング・ヘッズとか、その頃のNYニューウェーブのコンピ聴いてみようかと。

気になる人はアート・リンゼイ。旬の人でもなんでもないので、街のCDショップで「アート・リンゼイ、どこにありますか」と訊いても「はい?」なんて言われたりするのだが、昨日行った地元のタワーの人は「アート・リンゼイ、ありますよ!」と即答で案内してくれて「今これしかないですが、こっちは彼がプロデュースしたやつで…」と詳しい。こういう店で買いたいのだが、あいにく探していた盤がなかった。

図書館で横尾忠則のブログ本を見つけて読んでいる。タイトルが長い、長すぎる。
「悩みも迷いも若者の特技だと思えば気にすることないですよ。皆そうして大人になっていくわけだから。ぼくなんかも悩みと迷いの天才だったですよ。悩みも迷いもないところには進歩もないと思って好きな仕事なら何でもいい。見つけてやって下さい」(勉誠出版)というのだ。覚えられないではないか。誰にでもつけられるタイトルではないけど、こんな長くする必然性あるのかどうだか。

以下、同書からメモメモ。

「どんな場合にも執着はよくないと思います。執着はこだわりになるので、大切なのは執着を離れた執着というか、「軽い想い」の持続力だと思います。想いも持続もエネルギーですから、そのエネルギーが必要なものを寄せ集めるのです。だからそのための苦労をする必要はないのです」

「アーティストは本来両性具有的であるのが理想だと思っています。一人のアーティストの中に男性原理と女性原理が存在していて、この両性が結びついて想像が成立するわけです。
つまりアーティストの中の男と女が愛し合うことで子供、つまり作品が生まれるのです。女性原理がインスピレーションを受信して男性原理が作品として社会に発信するわけです」

「芸術は感情表現だけでは幼稚です。感情のコントロールが楽しいのです。頭と身体がばらばらだったらコントロールも無理」

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索