(20日に追記あり)
「やってみるポエトリーアクション~ジュリアン・ブレーヌを待ちながら~」ワークショップに参加。会場は坂の途中の一軒家を改造した、カフェ風の建物。柱や家具から、明かりなど調度品も凝っていて居心地のよい場所。
ポエトリーアクションとは「ビジュアルポエトリ、コンクリートポエトリなど様々な呼び方と方法があります。詩や言語をその意味そのものの呪縛から解放し、サウンドとして、造型作品として、アクション/パフォーマンスとして楽しみます」というもの(下記サイトより)。ジュリアン・ブレーヌはその生みの親であるアーティストで、来年来日する予定だとか。
パフォーマンス・アーティストたちによるさまざまな表現が面白かったが、昨日はレクチャーもなさったという足立智美氏のパフォーマンスは特に興味深かった。
確かに言葉が意味を剥奪され音として使われたり、解体されているような印象。私は言葉と、身体や空間感覚が連動した表現を想像(期待)していたが、どちらかというとそうではなくパフォーマンス的だったり、「言葉(音)の表現」にとどまっているようだったのが、可能性という意味ではちょっともったいないような気もした。特にこれだけ個性ある空間を借りているのだったら、もっと生かしてもよかったのでは。
最後に一同で感想などを話していたとき「演劇や映画の感動に及ばない」みたいな話も出たけれども…そもそもパフォーマンスを同じ地平で比べること自体がちと違うのではなかろうか。とはいえ、既存のものにない、新しい実験的な面白さを掬い上げてゆくパフォーマンスについて、「精度」とか「完成度」というのがどれほど、どのように問われるべきなのかというのは気になることではある。
「やってみる…」WSなので自分もやってみました。準備もなんもしてなかったけれど、人に見てもらえるのは貴重な機会。本来的なポエトリーアクションとはちと違う気もするが、やってみたかったことができてよかった。パフォーマンスって観るより、やったほうが絶対面白い、と思う。
「港町往来ワンダララ計画09」
http://port-exchange-project.com/wordpress/?p=311
「やってみるポエトリーアクション~ジュリアン・ブレーヌを待ちながら~」ワークショップに参加。会場は坂の途中の一軒家を改造した、カフェ風の建物。柱や家具から、明かりなど調度品も凝っていて居心地のよい場所。
ポエトリーアクションとは「ビジュアルポエトリ、コンクリートポエトリなど様々な呼び方と方法があります。詩や言語をその意味そのものの呪縛から解放し、サウンドとして、造型作品として、アクション/パフォーマンスとして楽しみます」というもの(下記サイトより)。ジュリアン・ブレーヌはその生みの親であるアーティストで、来年来日する予定だとか。
パフォーマンス・アーティストたちによるさまざまな表現が面白かったが、昨日はレクチャーもなさったという足立智美氏のパフォーマンスは特に興味深かった。
確かに言葉が意味を剥奪され音として使われたり、解体されているような印象。私は言葉と、身体や空間感覚が連動した表現を想像(期待)していたが、どちらかというとそうではなくパフォーマンス的だったり、「言葉(音)の表現」にとどまっているようだったのが、可能性という意味ではちょっともったいないような気もした。特にこれだけ個性ある空間を借りているのだったら、もっと生かしてもよかったのでは。
最後に一同で感想などを話していたとき「演劇や映画の感動に及ばない」みたいな話も出たけれども…そもそもパフォーマンスを同じ地平で比べること自体がちと違うのではなかろうか。とはいえ、既存のものにない、新しい実験的な面白さを掬い上げてゆくパフォーマンスについて、「精度」とか「完成度」というのがどれほど、どのように問われるべきなのかというのは気になることではある。
「やってみる…」WSなので自分もやってみました。準備もなんもしてなかったけれど、人に見てもらえるのは貴重な機会。本来的なポエトリーアクションとはちと違う気もするが、やってみたかったことができてよかった。パフォーマンスって観るより、やったほうが絶対面白い、と思う。
「港町往来ワンダララ計画09」
http://port-exchange-project.com/wordpress/?p=311
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