・昨日、アクションポエトリーがもっと身体表現や空間と連動していたら面白いのにと思ったのはおそらく私がダンス好きであるせいで、本来は言葉を極めるパフォーマンスであって、足立智美さんがやっていたように言葉の意味をどんどん剥いでゆき(時には新たに意味を獲得したり)、意味レスな音になっても音楽を目指さない。あくまで「言葉」にとどまる。そこらのラップなんて足許にも及ばないほどクールだぜ、くー、なんて今日になって思ったりした。

・新しく力のある表現に出会うと元気になる。とか思ったのですがクラスに行って玉砕。

・始まる前に床にへたりながら「こんな人生でどうするよ」とか思う。100万回くらい既に思っている。ある意味こんなジャンキーな人生でどうする。18才でなければ25才でもなく、33才ですらないのに。

・このクラスでする振りはシンプルで超むずかしい。クラス友が「今まで積み上げてきたものは何だったの、て思う」て言うのはよくわかる(私は大して積み上げてないが)。

・ダンス経験が下手にないほうが素直に動ける気がする。「ダンスにしようとしなくていい」と先生は言う。その通りだと思うしそれは理想なのだが、つい逃げる。「ダンスっぽいこと」に逃げてしまう。そんなことしても、いわば「しなを作る」ようなものでちっともよくない、と頭ではわかるのだが、なんかそういうちゃらいことやってしまう身体なのだ。

・振りは(振りというものがそうであるように)流れるよう合理的につくってあるのに淀むのは…自分の不安、緊張、ひっかかる箇所(できないとか)があるということ。

・できねぇ。ちっともできないんですけど。終わったあとで30分くらい悲しみにひたる時間がほしいくらい(実際はクールダウンする時間すらない)。

・クラス友の彼氏様が迎えに来ていてうちの近くまで(「通り道だから」と)一緒に車に乗せてくださった。それで芝居やダンスの話をしていたら、彼が「つまりは自己を解放するということでは」と言う。そうっ。忘れてたけどそうなんだった。「我を忘れる」ということではないと思うが、「ゆだねる」って感じかも。今の怖れをかんがみるともんのすごく遠い境地な気もする。しばられまくりのいま。自分を捨てる。更地にする。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索