「置き去りにされる」「放っておかれる」様(よう)の状況に自分はことさら弱く、過剰反応することがままある、のだと思う。そうした状況下におかれると、これまで過ごした時間のなかから芋ヅル式に掘り起こされてくる負の要素があり、実際に起きていること以上にそれらに取り囲まれることで切羽詰る。いわば、「放置」下においては「自分で自分を苦しめる」スイッチが入り加速する。

私は何しても大丈夫、というより「何かしてあげなくても大丈夫」「声かけなくても大丈夫」と見られがちである。小さいときから一人で居ることが多く、一人で居るということはいじめの対象になりやすい(と思った)ので、子ども心に「一人で大丈夫という振りをしていよう」と思っていた。「放っておけない」と思われるような(モテ)タイプの人とは対極である。

でも実はそれほど大丈夫ではなく、ささいなことに「ひゃー」となり必要以上のことを吸い上げ、取り込みすぎた情報のせいで気持ち的には倒れそうになっているのだが、身体としてきわめて丈夫なこともありまわりの人は私の精神的臨死など気にかけない。

身を削るような「寂しさ」の感情が離れがたくあり、これは人に話してもあまり共有されないのだが、生きている限りともかく自分はここから逃れられない、ということに耐え難くなる。そうすると生きていること自体イヤになる。

「助けて」と言えない。おそるべきこのクリシェーな原点をあれこれどうにかする、なんてことはしたくない。もうカウンセリング的なことに時間もエネルギーもむろんカネも費やすのは御免だ。少なく見積もってもまぁそんな指標があるかどうか知らんが、一般的な人生に含まれるクリニカルな面談の回数の100倍以上の数値が私の人生から既に検出されている。

つらいです。

メンクリで今日は頓服デパスもらっとく。午後はボディ・メンテナンスのレッスンへ。身体に繊細なことして泣けてきそうになった。いつもとそんなに違うことをした感じはしないのに、ゆるんだのか帰りも帰ってきてからもすごく眠い。

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