友人と食事。神楽坂のコンビニで、おいそれとタバコは買えないことを知る(結局、飯田橋で買えました)。

自分が今いる場所。力技で自分をぎりぎりとねじこんだわけではなく、もろもろ「相手」の需要なり状況なりのかけあわせがあってこそではないだろうか、とふと思う。まさしく自分と他者のケミストリー。こういうこと言うと「就活業界」の人はヤかもしれないが。自分の持てる力だけではなんも決まらない。世界の需要なり欠落なりがあって自分がそのときその場にいてうまいこと流されるとそこに漂着する。自分の力のみならず、自分の欠損だけでもすべては決まらないのだ。なんかすごいと思うね。

似たようなことはダンスの人からも聞いたことがある。自分ひとりで動くのではない。空間における自分の身体。自分がシステムの一部として存在し、そのなかで紡がれる(≒紡がされる)ダンス。すごく考え方変わると思う、とその人は言っていた。

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