「捨てられた」経験

2010年10月26日
(すみません、以下すごく怒ってるし重いです)


両親が医者に会いに行った。こうこうこうで(過去の戦歴ダイジェスト)、しにたがってる娘がいるという話。夜、親から電話で聞いたところによるとその医者が言うには「運が悪い」。私はかつての治療者から「○○○○」という診断を受けているが、「それは病気じゃない」とも。

かつての女セラピストは私が話したことを、彼女のストーリーを盛り上げるように都合よく編集して論文にし、いつだったかどっかの学会で発表したらしい。本人が「誰それ?」と思うようなケース・スタディがどっかで珍重されてるのかもしれない、と思うと相当笑える。

話は戻るが、その大御所らしい医者は別に自分の治療プランなどを話すわけでもなく、仕事だの結婚だのに意見する(そんなの横丁の旦那だってできるよ)。医者がそういう現実的なことに気の利いたこと言うの聞いたことない。私の人生における仕事だの結婚だのの不遇は、どなたの人生にも多かれ少なかれあることだから、それは置いといていい。それより精神科医(だか神経科の医者)のくせに、「しにたい」っての(心的な部分)を取り合わないってどういうことよ?「過去は過ぎたことだからしょうがない」とか?ばかじゃね。

くそ医者。なんか自分がいちばん初めにかかったじじいを凄く思い出すんだけど。間接的に聞いてても泣けてくるというか、ひしゃげてくる。「運が悪い」なら水晶玉でも買えって話?あんたは何をするわけ?「セカンドオピニオンが欲しいなら来い」て言ってたそうだが誰が行くか。

こういう頭の人だと、話してもすべて自分ひとりに返ってくるので救いがない。ナイーブな患者時代の私なら素直に聞いて素直に力奪われてただろうけど、もうこんなの沢山。こんなファッキン医者に搾取されてたまるか。

この話はそもそも私が両親に対し「『XX病院がいいらしい』という話だけでなく、ちゃんと自分らで言って見てこい」と恫喝したことに始まります。こんなやつ相手にお金と時間を使って行ってもらって申し訳なかったけれど、私にとってよかったことは両親が足を使って行ってくれたことです。

電話で話していて、私は家族に「捨てられた」と思ってるんだな、と思った。物理的には一緒にいても、自分だけ透明人間になった感じ、とか、自分だけアリ地獄の穴に落ちたような、不思議にすぱっと切り離された感じ、というのに「捨てられた」という言葉はぴったりだ。

もっと若くて渦中の頃、私は家で見て見ぬふりをされていました。(なぜだか)大丈夫だと思われていた。あるいは最近になって明かされたことですが、「どうしていいかわからなかった」ので放っておかれた。私はその頃、ひとりで治療機関を渡り歩いていました(いろんな治療者にかかったが、信頼の置ける人にはとうとう出会えなかった)。同じ旅を親にしてもらいたい、と私は思ってるのかもしれない。それは叶わないことですが。

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