(その1より続く)
2日目は「念願の(?)」泥だし作業。他のボランティアグループと合同で、市の社協グループ全員で側溝の泥だしを行う。フル装備大活躍(地面にもガラス片や瀬戸物のかけら、金属が多数混入しているのでスニーカーなどでは危ない)。

側溝(道路の脇にある溝)に詰まった泥をかい出して袋に入れ、水が流れるようにするという作業だが、肉体労働は肉体労働。中腰になって、スコップで泥をすくうという作業はしんどいです。土嚢(すくった泥を詰めた袋)は半端なく重い。体力はあるつもりだったけど、情けなくも非力な自分。やっぱ全身鍛えないとダメだな。男性陣が多く、気を遣って女性には軽作業を回してくださった。大人数なせいもあってか、この作業はこの日でほぼ完了。

昨日もそう思ったけど、タフさには男女年齢関係ない。アラフォーより上世代も結構、多い。地元の人にせよ遠方からのボラの方にせよ、私より年配の細っこいおばちゃんでも男性と同じにガツガツと働いておられたり。屈強ですよ。かっこいい。私は時間があり余る失業の身ですが、同じ社協グループ内や現地で会ったボラの方にも無職の人が何人かいた。失業者が国のためになれるまたとないチャーンス!

この日の作業現場には家が1軒だけで、このおうちの広大な敷地なのかと思ったらそうではなく、10軒ほどあった他の家は全壊したそう。土地にはいろいろな「落し物」があり、写真や卒業アルバムの一部がここにもあり、スタッフの方に渡す。

帰りにバスで甚大な被害を受けた陸前高田を通る。3~4階建ほどのアパートが津波でぶち抜きになったままそこここに残っており、途方もない波の高さがわかる。がらんどうのビルの窓からカーテンだけがはためいている光景は異様だった。ショッピングセンターと思われる場所では、大きな店舗がひしゃげたようにつぶれていて(看板の一部でそれとわかる)、これでは木造建築はひとたまりもなかっただろう。

それにがれきの山。便宜的に「がれき」と言ってしまうが、もともと廃材だったのではなく、誰かの家だったり職場だったりしたものの名残なのだ。
あとは何もない。ここにいた人々はどうしてしまったのだろう。

町がなくなっている。

だけど、もう少しバスで走ると人のいる生活がある。まだまだご不自由もあるだろうけれど、「日常」が戻ってきているように見える光景が現れる。ある民家の庭先で白いわんこが嬉しそうにおばあちゃんにじゃれていたのがかわいかった。

私は「被災地のために何かしなくちゃ」とか熱い思いで来たわけではなく、かなり自分のためです。311以降、地震と津波、原発事故の影響が自分のなかで漠然とした不安というかたちであとをひいており―自分としては2月末の失業(もともと契約が切れるのはわかっていたが好きになった仕事だったので、予期していたより喪失感が大きかった)もあって増幅されたのだろうと思う―身体ということでいえば、それ以前と同じように音楽が聴けない、ダンスしてても何か違和感がある、ということがあった。もっと言うと、もしこれから何か作品をつくるのならば、その「いま強く感じている何か」を見ないと、自分のなかで収束させないとできない、ということもあった。

行ってみて、何よりよかったのは現地を自分で見て、聞いて、体験できたこと。限られた時間であり範囲の体験であるにせよ、現地の現実を見たことでこの災害について自分のなかのファンタジー(余計な妄想)が削がれ、なんとなく一段落ついたような気がする。

確かに未曾有の天災の痕跡はまだまだ残っており、支援もこれからももっともっと必要だけれども、「被災地」でも全体がダウンしちゃったのではなく、地域では現実的かつ切実な問題を見すえてこつこつ対処しておられたり、地元の人々が駆けつけて手を貸していたり―中央政府の混沌っぷりはわけわからないが、地元の方々は現実的に力をふりしぼって支えあっている印象。「がんばろう」だの「日本はひとつ」だの言わなくても普通に地道に相当にがんばっておられる―、あるいはすっかり破壊されたように見える場所でも後ろの山は緑が濃くてきれいで自然は変わらず生き生きとしていたり…といったポジティブでたのもしい「強さ」「生命力」もまたある、と知ることができたのが自分としては安心でき、また落ち着くことでした。

先に「精神的ダメージが心配」と書いたけれども、同行した社協スタッフの方によると地元(遠野市)としては、仮設への移転が進むこれからは「生活支援」によりフォーカスするとのことで、つまり個々に合わせた対応、横のつながりを生かした「集会所」づくりといったことに重点を置いていくそうです。さすが。

2日目作業の帰り際に、大船渡市の社協職員の方がわざわざ挨拶に来られて「みなさんが期待しておられたような活動はできなかったかもしれませんが、みなさんの作業は復興の役に確実にたっています」とのお言葉を頂く。こちらこそご期待にかなうような労働力ではなかったでしょうに恐縮です。

私は自分こそボランティアには”the last person”(もっとも~しそうにない人)だと思っていたし、帰ってきても「やっぱり向いてねー」と思うけれども…まぁ単純にマンパワーにはなったか。確実にまだまだ人手は求められています。

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