月曜夜のレッスンは私には難易度高いし、先生に対してもまだ緊張ぎみ。もともと根がチキンな私ですから、心身開くダンスの時間はなおさら固まりやすい。

今年は図らずも自分が「教わる側」になることが多く、それはとても幸いなめぐり合わせだったと思う。「生徒」になることで「教える」という行為について考えたり、得ることがとても多かったから。

思うに教師が「教える」ことが好きだったり、教えるコンテンツに情熱をもっていたりすること、それが「教えるー教わる」関係にいちばん力を与えるのでは。教師も教えることを楽しんでいて、何かを得ているとき、それは生徒にも伝わる。そういう関係は(ニューエイジぽい言い方でなんですが)まさに良い「気」があると思うし、教師-生徒のinteractionがクリエイティブな循環になるのではないだろうか。

で月曜の先生もダンスに、それを教えることにパッションのある方だと思います。指摘が細かいのでびびりますが、なんとかついていこうと思う。床ものとかは「ちょっとしたこと」でほんとに変わる。スムーズにできないときは「ちょっとしたこと」ができてないとき。その「ちょっとしたこと」を言ってくれるんだよね。なかなか身体に入らないけど、覚えていけると私もずいぶん楽になるのではないかな。

話は戻るけど、人が介在しないEラーニングなんて、学びの構造としてはやっぱり貧しいと思ふ。いくらなかみがよくできてたとしても。

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