慣れてきた。そして慣れてきた頃に終わり(というよくあるパターン)。
今日も舞台を見せて頂いたのですが、昨日より「きりり」としている。見やすくなった。
で「その音はなぜ合わないのか」というのを観ながらずっと考えていたんだけれども。(三部作の)パート1はいいとして、2と3は音数が少ないそれぞれ序盤の部分で特にちぐはぐな印象がある。ダンサーが対峙するデュオを踊っているのに音がぼわ~んとアンビエーントになってるんでは何がしたいんだかわかりにくいっ。音は動きを支えるはずなのに、この場合せっかくの緊張感がぼやける。
後半、音数が増えて強い音になる部分はいいと思う。ので、この完成したモチーフだけ時間をかけてフェイドインしていれるとかミニマルちっくに使ったらどうかしら、などと妄想してみた。
考えればこれだけ音が気になるのも、そもそもこの作品のムーブメントはそれだけで立ち上がるものがあるから。動き自体に絵や空気、旋律をつくる強さがあるので、音(なり照明なりといった他のコンポーネント)がそれを意識していないとかみあわないのだと思う。動きに強さがあり、作品の骨格を成していること。なんといってもそれがダンス作品として素晴らしいと思う。新しく、志高いことです。
今日も舞台を見せて頂いたのですが、昨日より「きりり」としている。見やすくなった。
で「その音はなぜ合わないのか」というのを観ながらずっと考えていたんだけれども。(三部作の)パート1はいいとして、2と3は音数が少ないそれぞれ序盤の部分で特にちぐはぐな印象がある。ダンサーが対峙するデュオを踊っているのに音がぼわ~んとアンビエーントになってるんでは何がしたいんだかわかりにくいっ。音は動きを支えるはずなのに、この場合せっかくの緊張感がぼやける。
後半、音数が増えて強い音になる部分はいいと思う。ので、この完成したモチーフだけ時間をかけてフェイドインしていれるとかミニマルちっくに使ったらどうかしら、などと妄想してみた。
考えればこれだけ音が気になるのも、そもそもこの作品のムーブメントはそれだけで立ち上がるものがあるから。動き自体に絵や空気、旋律をつくる強さがあるので、音(なり照明なりといった他のコンポーネント)がそれを意識していないとかみあわないのだと思う。動きに強さがあり、作品の骨格を成していること。なんといってもそれがダンス作品として素晴らしいと思う。新しく、志高いことです。
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