卒業おめでとう

2012年3月28日 EL
"Oh,no. This is your last lesson.!" そうなんですよ。1年間(75回)の英会話スクール通いも今日でおしまい。

〆るにあたって、レベルチェックぽく自分の弱点と今後のアドバイスを教えてもらう。たとえばドラマを見ていて「これは!」と思ったフレーズは聞いて終わり、じゃなくその場で口に出してみる。そうすると「意味はわかるけど、いざ話すとなると自分で使えない」域から脱することができる、とか。

「英語学習は英文法をベースに、読む・聞く・書く・話すの4つをバランスよく進めるべし」と一般に言われる。初めてスクールに行ってみてその理由がなんとなくわかった。スピーキングの練習をすることで、学習に他の3技能とは異なる新たな視点が加わる。要するに実際に「話す相手」を得る(イメージする)ことで、「どうすればその場に適切で効果的、また感じ悪くなくコミュニケートできるか」という学習の軸ができる。

そのためには「文化や慣習の違い」に対する意識も大事ですね、と気づく。私はこの辺のことをそれまであんまり考えていませんでした。英語圏におけるそれらを意識すると、同時に自分が背負ってるであろう「日本人らしさ」みたいなものを考えるようになってくるのが面白い。で、考えるとよくわからなくなってくるんだけども(汗)、日本や日本語についての関心もちょっと増えてきました。

先日の舞踏WSで教わった「2人称」の関係と同様で、おそらく「話す」ときにいちばん強く、コミュニケーションの対象としての「相手」を意識するので、対岸(というかこっち側だけど)の自分もくっきりとし、アイデンティティを問われてくるのでしょう。また「レスポンス・タイム(相手の発言や質問に応じるまでの時間)」が関わってくるのも思うに他にない特徴で、(場合にもよるけど概して)3分かけてゴージャスな答を返すより、話しながら考えるのでいいからその場の流れを切らないほうが自然な会話としてはいい。

「英語を覚えて何を得た?」と先生に質問された。他にスキルとか社会性とかかわいげとか、世のなか渡っていくための道具らしいものがない私に英語はいくらか仕事の機会をもたらしたが、考えてみれば自分にとって英語は仕事のためではなく、そもそも「楽しいから」「好きだから」やっていることなのだった。(私ががっつりとOLしていた20代の頃はトーイックなんて世にはびこっていなかったです)

「英語を勉強してなかったら、自分は何をしていたと思う?」とも訊かれて、考えてみたけどわからなかった。私はもともと西洋(英語圏の)文化のほうに親しみがあり、自分のパーソナリティのかなりの部分がその積み重ねのうえにできているように思うので、「英語をやっていなかった」自分が何か違うこと(総務とか経理とか?…なにかしら会社/社会に役立つこと)をしていたかもしれない…というのを今の「英語(英語的なこと)によってかなり形成された」自分が想像しようとしてもできなかった。「想像できない」と言ったら、「そうでしょう」とその意味するところはじゅうぶん伝わったみたいだった。通っていたあいだ、モチベーションが落ちてきた時期もあり、そういうときはうしろめたくもなったけど基本的に英語が好きな人、というふうに見ていてくれたのかもしれない。

いちばん教わったこの先生は言語学に詳しく、舞台や表現についてわりかし深い話をしたりシェアできることが多かった。本当にお世話になりました。今の自分にとってはいい潮時と思うけれども、やっぱりちょっと寂しい。

Good luck with your life! と言われる。とても英語らしい表現であり発想。小さい頃からずっと、私が英語にきらきらした感じというか、可能性みたいなものを感じるのはたとえばこういうところです。See you around.

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