何人かで沖縄に行くことになっていて、出航する船の時間が迫っている。なのに私はまるで旅の用意ができていない。あれを持っていこう、これを持っていこうと考えるのだが、行動に移すことができない。友人が何人かまわりにいるらしくて、なぜかそこにデビッド・ボウイがいて紳士風のことを何やかや言ったりしているのだが、「夢」の常として私には話しかけてくれない。本当に時間がなくなってきて、ひとり港へ急ごうとするのだが、自衛隊の演習場のような場所があり、私は高い塀(ロード・オブ・ザ・リング3にでてきたような)をほとんど飛び降りなければならず、ジャンプする…という夢。

この「どこか自分が行きたい場所へ行こうとするのだが、出発するための場所(空港など)へたどりつくことができない」というパターンの夢を前はよくみていた。この夢の話を以前、セラピストの友人にしたら、「(実生活で)準備ができていないと感じているのかもね」と言われた。鋭い洞察である。しかし、そもそも何にせよ「準備」などというものが、前もって必要なのだろうか?私は耐えることより変化を起こすほうが苦手だ、少なくとも今までは。

実家へ行って母につい仕事の不安要素の話をしたら、母に先取りして煽られた。ちぇ。先へ先へと考えて不安になるのはよそう。できるだけ。…それができるくらいなら、とっくに別な人間になってるわ!! でも少しは成長したから、先読み不安は(少し)やめよう。

3週間ぶりで2回目のクリニックへ行く。「話しても解決しないこと」はあるのだが、そうと聞き流さないで、私の人生に「関わる」(もちろん手だしして解決するという意味ではなく)言い方をしてくださる先生なので、重たいものがすっと(少し)抜ける気がする。今までかかった関係者(=治療者)のなかで、穴の底にいる私を上から覗き込んでいるかのような対応をする「先生」がいかに多かったことか。口ではいくら「ロジャース的」なこと言ったってそういう人はそうなのだ。

今日はパキシル(抗うつ剤)も追加。さっきのんだけど、抗うつ剤は10日くらい続けないと効果が現れないので待ち。自分が今、翻訳している心理学関係の本では「抗うつ剤」「抗不安薬」という訳語をつけているのだが…何か自分で理由があって「剤」と「薬」に分けたんだっけ?あったような気もするが、統一したほうがいいのかしら?と考える。極めてとりびある〜な話だ。

いつも行っているレッスンが代講の先生で、バーレッスンでしぼられる。しかし、この前の水曜もそうだったが、新しいクラスでも身体が反応できる自分に気づくと身についているものはあるのだなと思う。

1月のワークショップで頂いた「お礼」を使って(有効活用)、ボウイのベストDVDを買った。昨日は××と○○を買ったのですが…はまると何だか書きにくくなってしまうのだわ。

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