メンクリにて医者と話す。
全10回のフィンランド語教室も今日で最後。身についたとはとても言えないが、残念だなー。今日はクリスマスがテーマだったこともあり、先生がお手製のシナモンロールやジンジャークッキー、クランベリーのお酒をもってきてくださった。楽しかったです。キートス(ありがとう)!

ダンスのレッスンの後、友人の勧めでヒーリングを受けた。「生体エネルギーのよどみやブロックを浄化、チャージしてエネルギーの流れを調節」してくれるもの。横になった身体に手で触れてそれを行うのだが、何かスピリチュアルな感じがするんだろうか、と目をつぶってどきどきしていたら別に何も感じなくて、ただ人が手を身体に乗せている感じがするだけだった(つまんなーい。でも初回は何も感じないという人が多いらしい)。緊張していたのか、眠ることもなかった。

前後にカウンセリングがあって、今の状態や変えたいことを話し、終わったあとにヒーラー(女性)が「所見」をお話してくれる。日常生活でできるちょっとしたことも教えてくれた。「穏やかな、優しいエネルギーをしている」と言われたのはちょっと嬉しかった。「ハートに悲しみがあって、それはご両親との関係のことではないですか」とも言われた。それで、私が両親との関係をまたもや自分で深堀りしなくちゃいけないかというとそうではなく、「身体が変わると自ずと関係も変わってくる」のだそうだ。

つまり基本的に私は「寝てればよい」という楽ちんセラピー…なんだけど、今回も「信用できる人だからだいじょうぶ」と思っていたのに、彼女が「よいところを広げてあげようとしたけれど、とてもシャイですね。なかなか入れてもらえない」と言われた(しょんぼり)。自分の身体でも自分の意識でままならない部分がある、というのは面白いことでもある。そして寂しさもままならず。
予約した時間にクリニックに着くと、待合室に(わりと)ごっちゃり人がいて、私の前に6人が診察を待っているということだった。

これでは2時間待ちになりかねないので、薬だけ出してもらうことにするが、頭に来て「なぜこんなに遅れるのか? こちらも時間をとって来ているのにこれでは予約した意味がない」と言った。今思えば他に何か特別な理由があったのかもしれないが、受付の人の返事は「1時間にふたりと決めているが、どうしても延びたり急性の人が入ったりするので」ということだった。

既に虫の居所が悪かった私は「私のように今すぐどうこうする必要のない患者はどこでもそういう急性だの重症患者のとばっちりを受ける。ビジネスライクにはできないだろうが、もうちょっと何とかしてくれ!」とキレル。

別に今日このクリニックがとりわけ悪かったというより(むしろ自分史上的にはかなり感じがいいほう)、本当は今までの患者人生のうっぷんをなぜか今ごろ晴らしていたらしいね>自分。やつあたりでした。でも冷たいようだが重い人ばかり甘えさすのはやめてほしい。はっきりしない患者でも客は客で同じでしょ。
半月形のはんぺんのようなパットが入っていて強引に詰めて寄せて上げてくれる本日のブラ。これを買った当時から比べて(胸が)やせてしまったので、我ながらなんだかあざとい、やり過ぎか〜というのから、家に帰ってポストを見れば「あれもこれも払ってちょ♪」という請求書ばっかし〜、というのまで生活に悩みは多く潤いは少ない。お肌かさかさ。

私のことだからいずれそうなるだろうが、次の仕事のことで悲観的になるのはまだ早い。ヤリ貝のあるお仕事であることにこしたことはないが、ともかく生活費が稼げればよい。私は学生の頃から好きなこの街でこの部屋でひとり暮らしができることをとても大切に思っていて、大事にしている。「家出」かもしれない。ものすごく遅くなったけど、できてよかった。

以前、まだ実家にいたころ、セラピストが私について事例発表したことがあった。私が「きれいな下着を集めるのが好き」と言ったので、分析家の彼女は「しめた!」と思ったのだろう、私は別に自分のランジェリーコレクションをとうとうと語ったわけでなく、ちょっと言っただけなのにそれが「エディプス・コンプレックスの証」であるかのように書いていた。かわいい下着を集めるのが好きな女性なんてごまんといるだろうに。きれいなケースに入れたそのコレクションは、親との生活にはいかにもそぐわず、私にとっては(とうてい実現するように思えなかったけれど)憧れの自立の象徴だった。引越したときに、もちろんそのケースも一緒にこの部屋にきている。
彼女がそんな解釈をしているとは知らず、また訊かれなかったからわざわざ言わなかったが、なんたるロスト・イン・トランスレーション、じゃなくてラック・オブ・イマジネーション。

会社からは早めに退散、夜は翻訳をしながら(というより翻訳ソフトにやらせてみながら)、デヴィッド・ボウイをまとめて聴く。風変わりだけど、潤いはこういうところにありました。
何人かで沖縄に行くことになっていて、出航する船の時間が迫っている。なのに私はまるで旅の用意ができていない。あれを持っていこう、これを持っていこうと考えるのだが、行動に移すことができない。友人が何人かまわりにいるらしくて、なぜかそこにデビッド・ボウイがいて紳士風のことを何やかや言ったりしているのだが、「夢」の常として私には話しかけてくれない。本当に時間がなくなってきて、ひとり港へ急ごうとするのだが、自衛隊の演習場のような場所があり、私は高い塀(ロード・オブ・ザ・リング3にでてきたような)をほとんど飛び降りなければならず、ジャンプする…という夢。

この「どこか自分が行きたい場所へ行こうとするのだが、出発するための場所(空港など)へたどりつくことができない」というパターンの夢を前はよくみていた。この夢の話を以前、セラピストの友人にしたら、「(実生活で)準備ができていないと感じているのかもね」と言われた。鋭い洞察である。しかし、そもそも何にせよ「準備」などというものが、前もって必要なのだろうか?私は耐えることより変化を起こすほうが苦手だ、少なくとも今までは。

実家へ行って母につい仕事の不安要素の話をしたら、母に先取りして煽られた。ちぇ。先へ先へと考えて不安になるのはよそう。できるだけ。…それができるくらいなら、とっくに別な人間になってるわ!! でも少しは成長したから、先読み不安は(少し)やめよう。

3週間ぶりで2回目のクリニックへ行く。「話しても解決しないこと」はあるのだが、そうと聞き流さないで、私の人生に「関わる」(もちろん手だしして解決するという意味ではなく)言い方をしてくださる先生なので、重たいものがすっと(少し)抜ける気がする。今までかかった関係者(=治療者)のなかで、穴の底にいる私を上から覗き込んでいるかのような対応をする「先生」がいかに多かったことか。口ではいくら「ロジャース的」なこと言ったってそういう人はそうなのだ。

今日はパキシル(抗うつ剤)も追加。さっきのんだけど、抗うつ剤は10日くらい続けないと効果が現れないので待ち。自分が今、翻訳している心理学関係の本では「抗うつ剤」「抗不安薬」という訳語をつけているのだが…何か自分で理由があって「剤」と「薬」に分けたんだっけ?あったような気もするが、統一したほうがいいのかしら?と考える。極めてとりびある〜な話だ。

いつも行っているレッスンが代講の先生で、バーレッスンでしぼられる。しかし、この前の水曜もそうだったが、新しいクラスでも身体が反応できる自分に気づくと身についているものはあるのだなと思う。

1月のワークショップで頂いた「お礼」を使って(有効活用)、ボウイのベストDVDを買った。昨日は××と○○を買ったのですが…はまると何だか書きにくくなってしまうのだわ。

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