情報ではなく

2006年9月1日 fiction
たとえば
雨に濡れた駅の通路で靴がすべること
顔がかゆくて電車のなかでかかずにいられないこと
切手の裏はなめても味がしないこと
犬の耳の裏をかいてやると、自分も気持ちいいこと
パソコンが立ちあがる音に、飛行機の離陸を思うこと
食器を洗うと食器がきゅっとなって、自分の手もきゅっとなること
電話を通して聞く声が遠くて、でも聞こえないと言えなくて
言葉らしきものをしばし耳で受けとっている瞬間
冷蔵庫の扉をきちんと閉めたつもりで閉まっていなかった悔しさ
真夏になめるのど飴はべたべたすること
運動をしたあとで、乳房の下にたまる汗
シーツを洗うと大きな仕事をしたような気がすること
何か買うときは、なぜか前から2番目に並んでいる商品を選ぶこと
花束を持って歩く人をつい目で追ってしまうこと
「ジャンクフードだ」と思いながら、フライドポテトMサイズを週に1度は食べずにいられないこと
Suicaがぴぴっと鳴っても、「通れなかったらどうしよう」と
一瞬思うこと
自分に触れてほしいのに、人の身体に触れるのはこわいこと

私が言葉にするのは、したいのは、こういうこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・
(プリンタの試し刷りに使った文章。去年か一昨年、書いたものだけど今とあんまり変わらない。フライドポテトはもうそれほど食べたくないな)

こぼれる

2006年6月19日 fiction
指のあいだから
こぼれ落ちる
さらさらした砂

コップのふちから
あふれゆく
きぃんと冷たい水

「あのちょっと」
声をかけて、言葉を探す
他愛もないことを
なんでもないふりして
たずねながら
わたしの息があがる

ほんとうに
つたえたいのは
そのことなのです
わたしの心臓が
わたしの心臓が
道端に捨て置かれて
血を流している

わたしの心臓は
わたしのかわりに
静かに血と涙を
どくどくと流す

人々は
わたしの濡れた心臓を
見ないふりして
遠回りしてよけて
足早に
行ってしまう

無視されるくらいなら
踏みつけにしてくれ
それほどの情も
わたしはもらえないのか

触りたくない
見たくもない
わたしはこうして
ないものにされる

せめて
わたしの心臓が
血を流しているところを
どす黒い血が
凝固したところを
写真に撮って
記録してよ

わたしの心臓は
血を流しながら
ここで鼓動を
打っているのに
誰もわたしには
気づかない

血を流すわたしは
嫌いですか
わたしの心臓は
動いているかぎり
血が止まらない

わたしの心臓が
血を流している
誰か
わたしの心臓を
すくいあげてよ

血と涙に
手が汚れても
誰か手にとって
胸にかき抱いて
暖めてほしい
冷たく血を流す
わたしの心臓を

Deeper

2006年5月31日 fiction コメント (2)
地上にはもう飽きた
つり革から手を放すと
そこは海のなか

もっと深く、さらに深く
落ち方が足りない
思いきり
投げてしまえ!
あぶくに包まれて
気持ちよく落ちる

深海は暗い
どこよりも暗い
それでもわたしは
ほのかな灯かりを頼りに
くったりした身体で
落ちていく

どこまでもどこまでも
果てしなく落ちても
そこには必ず
誰かがいるものだ

深海の水圧で
身体が変化した
グロテスクで
エレガントな
生き物が
猫目石のような目で
わたしを一瞥する

鋭い眼力に
わたしはとまどうが
きっとわたしも
同じように飢えたまなざしを
なげていたはず

深海の生き物は
群れをつくらず
岩のかげで
沈んだ廃船のなかで
さらさらした砂のうえで
それぞれが
つくっている
身体を変容させながら
ゆっくり深く
呼吸をコントロールする

わたしもここで
自分の庭をつくろう
いらないものは
潔く葬り
いとおしいものを
いつくしむ

わたしは海底を
強く蹴って
浮上しては陸を眺める
そしてまた
暗緑色の水の中へ
するすると吸い込まれる
そのくり返し

貪欲で
不器用な
深海の生き物
底に向かって
深く沈むと
わたしに似た
誰かに会える

深海の生き物は
すれ違うと
ここまで降りてきたことに
敬意と親愛をこめて
秘密の合図をおくる
それがあいさつ。

杏(あんず)

2004年5月28日 fiction
たぶん、もらった杏の実が腐っていたのでしょう。私は悪い夢を見た。空が黄変した紙のような色の世界で、私は足首まで水につかりながら歩いていた。身体が重く、少しずつしか前に進むことができずにもどかしい。スカートのすそが水に濡れて重い。髪留めをなくしてしまったので、前髪が額にうるさくかぶさってくる。どこに行こうとしているのか必死に思い出そうとするのだが、思い出せない。行く先をメモしてあったような気がして、エプロンのポケットをさぐり、手帳を取り出すが、その文字は自分の筆跡には見えず、とても荒々しく書きなぐってある。私は急に恐ろしくなり、急いで手帳を閉じて、思い切り遠くへ投げてしまう。水に落ちる音が、誰もいない世界に反響する。それは水底にある深い底なしの穴にすいこまれていったようだ。私はあきらめる。肉塊となり、この世界に屈する。そのあとは静寂。

Liquid

2004年5月23日 fiction
寝そべって手足をうんと伸ばしてみる。背中が固くてうまく潤滑しない。耳を下にして横向きになり、身体のなかのなにかが巡るのを待ってみる。岩にしみる冷たい水のようにゆっくりとそれは私に浸透し私の身体を潤す。かたまったものがゆっくりとほぐれて溶ける。優雅な猫のようにしなる背中と軽い身体が降りてくる。私は目を閉じて水の音楽を聴く。

asleep [a fiction]

2004年5月16日 fiction
夢のなかで私は彼と一緒に海岸を歩いていた。泳ぐにはまだ早い季節で、空には銀ねず色の雲が広がり、隙間から日の光がさしている。とりたてて何の話をするわけでもなく、私たちはただ並んで砂浜を歩いていた。

振り返ると、ふたりの足跡は平行線になっていなくて、波打ち際で足を洗ったり、一休みするたびに、重なったり、複雑に交差したりしている。誰かが砂の上に筆記体で手紙を書いているみたいだ。

なんて書いてあるんだろう、と私は思う。砂に残された言葉は「そうじゃなくて、もし…」とか「どうしてそんなことが…」などとせき止められることなく、「そう、そしてそれから…」「…そんなふうに、私たちは…」と心地よい音楽がただ流れるようにずっと続いていくように見える。

「そろそろ戻ろうか」と彼が言う。あるいは「戻っておいで」だったのか。彼がどんな表情をしているのか私にはよくわからない。

asleep [a fiction]

2004年5月9日 fiction
眠っているあいだに何かを溶かそうとしているのだが、眠っている私にはそれが何なのかわからない。そばで見ているあなたにはわかっているのでしょう。眠りのなかで起きていることをあなたに見せながら、私はあなたに甘えている。「待って。眠る前に言葉にしてごらん」といつかあなたは言うでしょう。でも今はその時ではない。眠れなくなってしまうから。言葉を通してあなたと出会うのはまだもう少し先のこと。それまで、あと少しだけ、あなたのそばで眠らせてもらえますか。

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索