メンタル医者役立たず。「あなたがしたいような仕事はみなコネで決まる」なーんてあなたは医者しかしてないくせになんでわかる?ただ占い師よりは安い。合法で薬が手に入る。酒とのんでもなんでもないような薬。薬局の人に「どうですか」と訊かれ「なにも変わらない」と答える。いろんなことができないとか、ほとんどのことに興味がもてないとか、急に泣けてくるとか、きえたくなるとか、そういうのはうつの「症状」ではないのですか。病気が治せなくても、症状はせめてもうちょっとなんとかならないのだろうか。「なんでいつまでも幸せになれないのだろう」と自分に訊いて、「自分がだめだから、どりょくがたりないから」と自分で答えるその繰り返しにつかれた。疲れる夢ばかりみるのにつかれた。やってもやっても積み重ならない。なんでなのか訊いて、自分をせめる。こういうことばかりつい考えて気道が狭くなってくるおもい。
困難な状況下における独白
2010年4月17日 うつもの「置き去りにされる」「放っておかれる」様(よう)の状況に自分はことさら弱く、過剰反応することがままある、のだと思う。そうした状況下におかれると、これまで過ごした時間のなかから芋ヅル式に掘り起こされてくる負の要素があり、実際に起きていること以上にそれらに取り囲まれることで切羽詰る。いわば、「放置」下においては「自分で自分を苦しめる」スイッチが入り加速する。
私は何しても大丈夫、というより「何かしてあげなくても大丈夫」「声かけなくても大丈夫」と見られがちである。小さいときから一人で居ることが多く、一人で居るということはいじめの対象になりやすい(と思った)ので、子ども心に「一人で大丈夫という振りをしていよう」と思っていた。「放っておけない」と思われるような(モテ)タイプの人とは対極である。
でも実はそれほど大丈夫ではなく、ささいなことに「ひゃー」となり必要以上のことを吸い上げ、取り込みすぎた情報のせいで気持ち的には倒れそうになっているのだが、身体としてきわめて丈夫なこともありまわりの人は私の精神的臨死など気にかけない。
身を削るような「寂しさ」の感情が離れがたくあり、これは人に話してもあまり共有されないのだが、生きている限りともかく自分はここから逃れられない、ということに耐え難くなる。そうすると生きていること自体イヤになる。
「助けて」と言えない。おそるべきこのクリシェーな原点をあれこれどうにかする、なんてことはしたくない。もうカウンセリング的なことに時間もエネルギーもむろんカネも費やすのは御免だ。少なく見積もってもまぁそんな指標があるかどうか知らんが、一般的な人生に含まれるクリニカルな面談の回数の100倍以上の数値が私の人生から既に検出されている。
つらいです。
メンクリで今日は頓服デパスもらっとく。午後はボディ・メンテナンスのレッスンへ。身体に繊細なことして泣けてきそうになった。いつもとそんなに違うことをした感じはしないのに、ゆるんだのか帰りも帰ってきてからもすごく眠い。
私は何しても大丈夫、というより「何かしてあげなくても大丈夫」「声かけなくても大丈夫」と見られがちである。小さいときから一人で居ることが多く、一人で居るということはいじめの対象になりやすい(と思った)ので、子ども心に「一人で大丈夫という振りをしていよう」と思っていた。「放っておけない」と思われるような(モテ)タイプの人とは対極である。
でも実はそれほど大丈夫ではなく、ささいなことに「ひゃー」となり必要以上のことを吸い上げ、取り込みすぎた情報のせいで気持ち的には倒れそうになっているのだが、身体としてきわめて丈夫なこともありまわりの人は私の精神的臨死など気にかけない。
身を削るような「寂しさ」の感情が離れがたくあり、これは人に話してもあまり共有されないのだが、生きている限りともかく自分はここから逃れられない、ということに耐え難くなる。そうすると生きていること自体イヤになる。
「助けて」と言えない。おそるべきこのクリシェーな原点をあれこれどうにかする、なんてことはしたくない。もうカウンセリング的なことに時間もエネルギーもむろんカネも費やすのは御免だ。少なく見積もってもまぁそんな指標があるかどうか知らんが、一般的な人生に含まれるクリニカルな面談の回数の100倍以上の数値が私の人生から既に検出されている。
つらいです。
メンクリで今日は頓服デパスもらっとく。午後はボディ・メンテナンスのレッスンへ。身体に繊細なことして泣けてきそうになった。いつもとそんなに違うことをした感じはしないのに、ゆるんだのか帰りも帰ってきてからもすごく眠い。
公園でゲスト・アーティストを招いて話を聞いたり、参加者がアート関連の話をする、というイベントみたいなものに行ってみた。そもそもは芸術専攻の学生さん向けの企画なのだが、コーディネーター役の知人から案内をもらい、どんなのかな、と思い参加した。他に知り合いもいないし、行きにくかったけれども。行ったはいいが、あまり集中できず、それぞれ知り合いらしい、そんなに多い人数のなかに混じっているというのも居づらくて、途中で帰る。この学生さんたちはいずれアーティストになるんでしょうかね。
やっぱりずっと寂しくて不安で、この先よくなると思えなくてすごく辛い。味方がいるように思えないのも辛い。生きてる限りここからずっと抜けられてないのもすごく辛いです。消耗しきっている。こんな人生に疲れた。生きるのをやめる以外に方法はないのだろうか。ものすごくさびしい。さびしくておきていられない、という感覚は人にはわからないのかもしれない。
今日はデパス+リスパのみましたが、せめてクスリでもうちょっとなんとかならないだろうか。起きてるあいだ、きえることばかり考えているので気が休まらない。朝起きると死にたくなり、夜は早く死ねますように祈る生活に疲れた。なんでこう生きていけないんだろうか。ほんとうに先が不安。ひとりでこの先、生きていたくない。なんかなー、こうむちゃくちゃに落ちてばかりなら入院してみたほうがいいんだろうか。ものすごくさびしい。何かあったら私の携帯のメモを見てください。疲れました。
やっぱりずっと寂しくて不安で、この先よくなると思えなくてすごく辛い。味方がいるように思えないのも辛い。生きてる限りここからずっと抜けられてないのもすごく辛いです。消耗しきっている。こんな人生に疲れた。生きるのをやめる以外に方法はないのだろうか。ものすごくさびしい。さびしくておきていられない、という感覚は人にはわからないのかもしれない。
今日はデパス+リスパのみましたが、せめてクスリでもうちょっとなんとかならないだろうか。起きてるあいだ、きえることばかり考えているので気が休まらない。朝起きると死にたくなり、夜は早く死ねますように祈る生活に疲れた。なんでこう生きていけないんだろうか。ほんとうに先が不安。ひとりでこの先、生きていたくない。なんかなー、こうむちゃくちゃに落ちてばかりなら入院してみたほうがいいんだろうか。ものすごくさびしい。何かあったら私の携帯のメモを見てください。疲れました。
夕方から雨が降り、これくらいの温度だとまだ楽だ。百万遍書いているけど、どうやって生きていったらいいのか、よくわからない。いろいろ感じないようにしてないと、いられない。つらいです。ということを、いつまで抱えていないといけないのだろうか。
メンクリ行ったら、「ODしても大丈夫なクスリ」に処方が変わった。なんの支えにもならない面接。1週間たって、悔い改めたとも言えなくなってる。ただいることがつらいです。
夕方、会社を出たら、虹がかかっていた。あまりにすっきりと大きくて、思わず立ち止まって見てしまった。虹の向こう側の空も、金色に透けていてどこまでも抜けていきそうだった。
足を止めて、オフィスビルの上に高く架かる虹を眺める人、携帯のカメラで撮影する人、たくさんいた。会社帰りの人、親子連れ…同じ地域を行き交いながら、ふだん何も共有するものがない人々が、思いがけない自然の贈り物をわいわいと分かち合っているという光景もまたよいものだった。
好きな人がいて、でもどうなるものでもないし、どっか行っちゃったりするし、気持ちの整理をつけようと、揺さぶられるので距離もとろうと、だいたい話も合わないっちゅーかできないし(語彙―それぞれがもっている言葉の辞書―が違う気する)、癖があるとか、まったくもって「過剰」な人だよなーとか考えたりして、長い時間かけて、整理したつもりで、久しぶり(でもないんだけど)に会ったら、自分が分子レベル(笑)で落ち着いたのがわかってしまった。だめだこりゃ。
「思考は止められるが、感情は止められない」とかつて師匠がおっしゃっていました。生理的に好ましいんだから、どうしようもないっしょ。(とか、でも、あがくと思いますけど…)
OD(クスリの過剰摂取)はもう止めることにした。あまりにケミカルだから。階段踏み外して、この程度で済んだのは本当に幸運というもの。しかも、もの凄いご面相ながらクラスにも行って動けたわけだし。自分のケガは自業自得だが、こういう(意識がとぶような)ことをすると、ひとを傷つける可能性もあることにやっと気づいたから。ゴミ箱に捨てた、自分が書いた日記のボツ記事読むと怖いです。ほんっとーに意味不明。
ばかなことしたけど、でも、意味も内容もない記事の残骸をいま眺めてみると、自分で自分が痛ましく思える。理由なくしたことではないので、それだけのことをするに至った、きつさの量がわかったというか。無理と自傷はイケナイ。追いつめることも。
で、じゃ、これからはクリーンにしゃっきり生きていきます、とゆーわけにもいかないので、代わりになる、しのぎの手段も考えねば…とか同時に思うところも弱っちいですが。でも、今度はなんかしらナチュラルなことにしよう。せめて。
「きしねんりょ」について検索してみたとき、「教えてぐー」式サイトで希死念慮を克服する方法をたずねていた女性に対して、ある男性が応えていた。「ケースバイケース」としながら、自身の体験からいくつか具体的なアイディアを上げ(ひとりでいる時間を減らす、とか)たうえで、結果として(彼が自死を免れたのは)「自分に合った、しかもかなり強い薬というのが答えです。人の愛情とかでは、ないですね」と彼は書いていた。
彼の書きように打たれるのは、見知らぬ女性に対する回答に注がれるエネルギーの大きさ、切実さだけでなく、「汎用性」があるから(「激ウツのときに支えてくれたのが今の夫です」とかいうのは、いいおはなしですが、たとえば私にとって参考にも支えにもまるでならない)。そして、「愛情とかでは、ないですね」こういうことを体験として言ってくれることが素晴らしい。こういうことは、言っていかなければならないのではないだろうか。
皮肉な意味で、言っているのではありません。なんだか「愛」というコンセプト(?)が私にはもはやわからないよ。消費され過ぎてるというか、肥大し過ぎてるというか、あるいは私が過大な期待をかけすぎなのか、あるいは…。
ともかく「愛」って万能薬じゃない。ある種の問題には解決のメソッドなり、克服なり成功しやすい処方せんがあり、あるいは問題を問題という枠からずらす、という素敵な力技もある。
かつて駅のホームでタバコが吸えた時代のある日、一服しようとタバコを手にしたら、横からすっと火を貸してくれた男性がいた。火をつけてくれて、ただそれだけ。思いがけなく、知らない人から親切にされたのが嬉しくて、よく覚えている。
なんか、こういう“ちょっとしたこと”で生きつないでいくんじゃないかな、とか思う。「がしっと受けとめてくれる愛」、あるかもしれないけど、かなりないかもしれない。なので、なんかこういう、定義に至らない、名づけるといきなりつまらなくなってしまうような、ちょっとした出会いとか勘違いすれ違いとかに、くすっとかほろりとかしながら、つないでいくような気もする。
足を止めて、オフィスビルの上に高く架かる虹を眺める人、携帯のカメラで撮影する人、たくさんいた。会社帰りの人、親子連れ…同じ地域を行き交いながら、ふだん何も共有するものがない人々が、思いがけない自然の贈り物をわいわいと分かち合っているという光景もまたよいものだった。
好きな人がいて、でもどうなるものでもないし、どっか行っちゃったりするし、気持ちの整理をつけようと、揺さぶられるので距離もとろうと、だいたい話も合わないっちゅーかできないし(語彙―それぞれがもっている言葉の辞書―が違う気する)、癖があるとか、まったくもって「過剰」な人だよなーとか考えたりして、長い時間かけて、整理したつもりで、久しぶり(でもないんだけど)に会ったら、自分が分子レベル(笑)で落ち着いたのがわかってしまった。だめだこりゃ。
「思考は止められるが、感情は止められない」とかつて師匠がおっしゃっていました。生理的に好ましいんだから、どうしようもないっしょ。(とか、でも、あがくと思いますけど…)
OD(クスリの過剰摂取)はもう止めることにした。あまりにケミカルだから。階段踏み外して、この程度で済んだのは本当に幸運というもの。しかも、もの凄いご面相ながらクラスにも行って動けたわけだし。自分のケガは自業自得だが、こういう(意識がとぶような)ことをすると、ひとを傷つける可能性もあることにやっと気づいたから。ゴミ箱に捨てた、自分が書いた日記のボツ記事読むと怖いです。ほんっとーに意味不明。
ばかなことしたけど、でも、意味も内容もない記事の残骸をいま眺めてみると、自分で自分が痛ましく思える。理由なくしたことではないので、それだけのことをするに至った、きつさの量がわかったというか。無理と自傷はイケナイ。追いつめることも。
で、じゃ、これからはクリーンにしゃっきり生きていきます、とゆーわけにもいかないので、代わりになる、しのぎの手段も考えねば…とか同時に思うところも弱っちいですが。でも、今度はなんかしらナチュラルなことにしよう。せめて。
「きしねんりょ」について検索してみたとき、「教えてぐー」式サイトで希死念慮を克服する方法をたずねていた女性に対して、ある男性が応えていた。「ケースバイケース」としながら、自身の体験からいくつか具体的なアイディアを上げ(ひとりでいる時間を減らす、とか)たうえで、結果として(彼が自死を免れたのは)「自分に合った、しかもかなり強い薬というのが答えです。人の愛情とかでは、ないですね」と彼は書いていた。
彼の書きように打たれるのは、見知らぬ女性に対する回答に注がれるエネルギーの大きさ、切実さだけでなく、「汎用性」があるから(「激ウツのときに支えてくれたのが今の夫です」とかいうのは、いいおはなしですが、たとえば私にとって参考にも支えにもまるでならない)。そして、「愛情とかでは、ないですね」こういうことを体験として言ってくれることが素晴らしい。こういうことは、言っていかなければならないのではないだろうか。
皮肉な意味で、言っているのではありません。なんだか「愛」というコンセプト(?)が私にはもはやわからないよ。消費され過ぎてるというか、肥大し過ぎてるというか、あるいは私が過大な期待をかけすぎなのか、あるいは…。
ともかく「愛」って万能薬じゃない。ある種の問題には解決のメソッドなり、克服なり成功しやすい処方せんがあり、あるいは問題を問題という枠からずらす、という素敵な力技もある。
かつて駅のホームでタバコが吸えた時代のある日、一服しようとタバコを手にしたら、横からすっと火を貸してくれた男性がいた。火をつけてくれて、ただそれだけ。思いがけなく、知らない人から親切にされたのが嬉しくて、よく覚えている。
なんか、こういう“ちょっとしたこと”で生きつないでいくんじゃないかな、とか思う。「がしっと受けとめてくれる愛」、あるかもしれないけど、かなりないかもしれない。なので、なんかこういう、定義に至らない、名づけるといきなりつまらなくなってしまうような、ちょっとした出会いとか勘違いすれ違いとかに、くすっとかほろりとかしながら、つないでいくような気もする。
翻訳仕上げて送る。この1-3ずっと抱えてて、やっと2本目が終わりましたが「やったー」っていう感じでもなく。2月の入金は無事(1ヶ月遅れで)入ったけど、今回もっと遅れるらしい…。なんか今回とことん力奪われる。
昼間、チューハイ(春限定)飲んでクスリものんで昼食べて転がる。今日はいつもの4倍量くらいのんでますがなんとも変わらないですよ。さむい。桜見たくない。しにたい気持ちがずっとはりついてて、しぬしぬ言ってて生きてるのも見苦しい。何年もずっとこんな。「うつは治ります」とかよく書いてあるけど、私は年をとるごとに悪化するばかりだ。人間がくさってるから治らない。生きてるだけで苦しく、寂しい。生きてると苦しいことだけある。しにたい。しんじゃいたい。わんこのところに行って、まったりしたい。「早くしなせてください」ってお祈りするから、かなえてくれ。
昼間、チューハイ(春限定)飲んでクスリものんで昼食べて転がる。今日はいつもの4倍量くらいのんでますがなんとも変わらないですよ。さむい。桜見たくない。しにたい気持ちがずっとはりついてて、しぬしぬ言ってて生きてるのも見苦しい。何年もずっとこんな。「うつは治ります」とかよく書いてあるけど、私は年をとるごとに悪化するばかりだ。人間がくさってるから治らない。生きてるだけで苦しく、寂しい。生きてると苦しいことだけある。しにたい。しんじゃいたい。わんこのところに行って、まったりしたい。「早くしなせてください」ってお祈りするから、かなえてくれ。
(以下、内容暗くてキツイです。ご注意ください)
朝、出かける間際に母から電話がかかってきて「具合どう?」って訊くので、「早くしにたいんだよおー」叫んで泣く。生まれてきて損した、生まれてこなければよかった、とまで言いました。「なんでも言いたいこと聞いてあげるから」と言いながら、私がそう言うと母は「どうしてそんなこと言うの?」と咎めるように言う。私がいちばん言いたいのは生まれてこなきゃよかった、生きてくのにほとほと疲れた、終わりにしたい、っていうことなのでなんどでも言ってやる。
こういう娘って鬼畜なんだろう。母が「私たち(両親)あなたのこと心配してるから」って言っても、私には実際、なんも感じることないし、支えにもならない。そもそも私は家にいても孤独だから家を出たんです。「心配」って何よ? 祈ってるから、とも言う。私は祈るのやめてしまった。もしくは「早くしなせてください」って祈ってる。誰も聞いてないと思うけど。私の神様は「お前はくさってるからひとりで生きてしね」って言ってる。同じ趣旨の電話が夜(仕事中)もかかってきて同じように返した。私は無関係なこの世界から早く脱出したい。鬼畜でくさってる。もうすべてにつかれました。
勧められたボディワークの個人レッスンを受けに市川まで行った。右足でがんばるクセ(右足の爪先でけるように力を入れてしまう)。知らなかった。「それはきついでしょう」と言われる。胸をひらくように、ゆるやかなワーク。背中がひろがって、軽くなった感じ。「実はかなり動いているので、さまざまな反応が出たりします。このあとはゆっくり身体を休ませてあげてください」と言われた。
でも帰って仕事をしなければならなかった。うんざり。こういうのってよくない。リゲイン的なドリンクを買って飲んで、翻訳する。だいたいのところ済み。これ、得られることより奪われることのほうが多い気がする。前より精神的にすごく落ちる。もうやめようかと思う。
天国のわんこたちに会いたい。あの子たちがいちばんあたたかかった。
朝、出かける間際に母から電話がかかってきて「具合どう?」って訊くので、「早くしにたいんだよおー」叫んで泣く。生まれてきて損した、生まれてこなければよかった、とまで言いました。「なんでも言いたいこと聞いてあげるから」と言いながら、私がそう言うと母は「どうしてそんなこと言うの?」と咎めるように言う。私がいちばん言いたいのは生まれてこなきゃよかった、生きてくのにほとほと疲れた、終わりにしたい、っていうことなのでなんどでも言ってやる。
こういう娘って鬼畜なんだろう。母が「私たち(両親)あなたのこと心配してるから」って言っても、私には実際、なんも感じることないし、支えにもならない。そもそも私は家にいても孤独だから家を出たんです。「心配」って何よ? 祈ってるから、とも言う。私は祈るのやめてしまった。もしくは「早くしなせてください」って祈ってる。誰も聞いてないと思うけど。私の神様は「お前はくさってるからひとりで生きてしね」って言ってる。同じ趣旨の電話が夜(仕事中)もかかってきて同じように返した。私は無関係なこの世界から早く脱出したい。鬼畜でくさってる。もうすべてにつかれました。
勧められたボディワークの個人レッスンを受けに市川まで行った。右足でがんばるクセ(右足の爪先でけるように力を入れてしまう)。知らなかった。「それはきついでしょう」と言われる。胸をひらくように、ゆるやかなワーク。背中がひろがって、軽くなった感じ。「実はかなり動いているので、さまざまな反応が出たりします。このあとはゆっくり身体を休ませてあげてください」と言われた。
でも帰って仕事をしなければならなかった。うんざり。こういうのってよくない。リゲイン的なドリンクを買って飲んで、翻訳する。だいたいのところ済み。これ、得られることより奪われることのほうが多い気がする。前より精神的にすごく落ちる。もうやめようかと思う。
天国のわんこたちに会いたい。あの子たちがいちばんあたたかかった。
私また席替えしなくちゃいけないのかな? 「らしい」ことを向かいの席の人(別の課)から聞いたんだけど。また本人にはなんも話ナシかよ。嫌だ、動きたくない。くっだらない。なんかいろいろ持ちこたえていくのたいへん。ひとりでいる自分が見苦しい。この先、生きていくことに喜びはあるのですか。わかりません。さびしいです。とてもさびしいです。いつもしにたいです。「自分のような人間は早く死刑に」っていう凶悪犯、みたいな。こんな自分がなぜ生きているのか、生きていなくちゃいけないのか、わからないよ。
SoloDuoGroup
2009年2月13日 うつものいつも具合の悪い1-3の時期を、今年は健やかに始められているのは先日のWS+公演と、クラスのおかげだ。幸せな作品没頭期のあいだ、クスリのんでなかったので、薬代も安く済みました。とはいえ、追いつかれる。
ピアサポートで大いに育てられ、助けられた私だが、「摂食障害」から「自己」に病が移行してからというもの、実は「ピア」(仲間のサポート)ってそんなに信頼してない。つっぱってたり、視野狭窄にもなってるかもしれないけど、今はもう「孤立無援」と思って立ってる。孤立無援だけど、「一瞬」の時間のなかで、人と出会うことはできるのね。一期一会。一緒に動くとか、つくるとか、私には本当に濃い、ピュアな時間。ないと生きていけないと思う。そういう時間が切にもっとほしい。
WSで指導を受けたダンサーの方にメールしたらお返事をくださり、「リハのときのソロ、素敵だった」と書いてくれていて、覚えていてくれた、というのと(「リハ」っていうのがつくづくとほほですが)、自分を誘って開いたあの場の瞬間をともに見ていてくれたんだ、と嬉しかった。
医者は「(舞台や制作は)スポット的にあればいいじゃない」とか言ってたけど、私の生活は結局、私ひとりでやってかなきゃならないんだから自分で決めるよ。でも、「一瞬」じゃなくて、ある長さのある時間、誰かに頼りたい、自分を預けたいというのも本当。ゆだねてみたいです。ゆだねたことないから。
ピアサポートで大いに育てられ、助けられた私だが、「摂食障害」から「自己」に病が移行してからというもの、実は「ピア」(仲間のサポート)ってそんなに信頼してない。つっぱってたり、視野狭窄にもなってるかもしれないけど、今はもう「孤立無援」と思って立ってる。孤立無援だけど、「一瞬」の時間のなかで、人と出会うことはできるのね。一期一会。一緒に動くとか、つくるとか、私には本当に濃い、ピュアな時間。ないと生きていけないと思う。そういう時間が切にもっとほしい。
WSで指導を受けたダンサーの方にメールしたらお返事をくださり、「リハのときのソロ、素敵だった」と書いてくれていて、覚えていてくれた、というのと(「リハ」っていうのがつくづくとほほですが)、自分を誘って開いたあの場の瞬間をともに見ていてくれたんだ、と嬉しかった。
医者は「(舞台や制作は)スポット的にあればいいじゃない」とか言ってたけど、私の生活は結局、私ひとりでやってかなきゃならないんだから自分で決めるよ。でも、「一瞬」じゃなくて、ある長さのある時間、誰かに頼りたい、自分を預けたいというのも本当。ゆだねてみたいです。ゆだねたことないから。
真夜中のシーナリンゴ。
以下、かなり暗いです。警告。朝から急降下。昼休み、用事のついでで母と話したが、何言ってんだかわからなかった。ファミレスにて携帯小声で生きるの死ぬのって話して、隣のおひとり様(男性)飯がまずかったかもしれない。すんません。母は私に「あなたは人の話を聞いてない」ってすごく言う。この前メンクリに言ったとき、女医が私は「言葉が足りない」って言ってたそうだ。しつこいようだがこの女医はかつて私に「プチ整形したら」と唐突に勧めた人。要するにふたりが言いたいのは私に「愛想ふりまけ」ってことっすか。母は私に「人に気に入られるように振舞いなさい」というメッセージを送り続ける。自分がどうしたいか、とかでなく。話は戻るけど、私は自分が責められているように感じて人の話がわかんなくなり、「とにかく自分が悪いのだ」という思いに結着してしまうことがままある。汚染される、というかそういう事実?に押しつぶされそうになって内心ぱにくるから、人の話がわかんなくなる。これって病深すぎ?「人の話を聞け」ってさんざん言われるけど、本当にどうしていいのかわかんないよ。コリツムエンな感じがするのは、人の話聞けない、心を閉ざしてる自分のせい、とか思うともうどうしようもない。「心を開け」とも言われるけど、↑こういう地の底はいつくばってるような話、人にできないでしょ。私にとって「心」ってそういう部分。意味がわからない。「にこにこしてろ」とも(今日は言われなかったけど)言われるな。話はぐるぐるするけど、ずっとクスリをもらっていてもしにたい気持ちはずっとある。これからよくなると思えなくて、この先いいことあると思えなくてつらい。人の話聞けてないのはそうだし、この頃とみに人間失格度増してる気が。レッスンに行く前ってすごく眠いし、うつうつしてる。身体を動かしたり、ダンスに関すること考えてると忘れられる。でもくたくたなの。
以下、かなり暗いです。警告。朝から急降下。昼休み、用事のついでで母と話したが、何言ってんだかわからなかった。ファミレスにて携帯小声で生きるの死ぬのって話して、隣のおひとり様(男性)飯がまずかったかもしれない。すんません。母は私に「あなたは人の話を聞いてない」ってすごく言う。この前メンクリに言ったとき、女医が私は「言葉が足りない」って言ってたそうだ。しつこいようだがこの女医はかつて私に「プチ整形したら」と唐突に勧めた人。要するにふたりが言いたいのは私に「愛想ふりまけ」ってことっすか。母は私に「人に気に入られるように振舞いなさい」というメッセージを送り続ける。自分がどうしたいか、とかでなく。話は戻るけど、私は自分が責められているように感じて人の話がわかんなくなり、「とにかく自分が悪いのだ」という思いに結着してしまうことがままある。汚染される、というかそういう事実?に押しつぶされそうになって内心ぱにくるから、人の話がわかんなくなる。これって病深すぎ?「人の話を聞け」ってさんざん言われるけど、本当にどうしていいのかわかんないよ。コリツムエンな感じがするのは、人の話聞けない、心を閉ざしてる自分のせい、とか思うともうどうしようもない。「心を開け」とも言われるけど、↑こういう地の底はいつくばってるような話、人にできないでしょ。私にとって「心」ってそういう部分。意味がわからない。「にこにこしてろ」とも(今日は言われなかったけど)言われるな。話はぐるぐるするけど、ずっとクスリをもらっていてもしにたい気持ちはずっとある。これからよくなると思えなくて、この先いいことあると思えなくてつらい。人の話聞けてないのはそうだし、この頃とみに人間失格度増してる気が。レッスンに行く前ってすごく眠いし、うつうつしてる。身体を動かしたり、ダンスに関すること考えてると忘れられる。でもくたくたなの。
クスリのんで眠い。ビッチ女医が私はひとりでいなきゃならないのも当然、って、しらっと思ってるなら、私はひとりでいるのも無理、って百万回言ってるのに、誰かといるのはあんたにゃ無理って言うなら、それはしねってこと。すみませんらりらりにつき、乱文ご容赦ください。
雨で電車遅れる。携帯のメモを見ると年がら年中しにたい一年であることがわかる。タイムシートをつけてみると今月は残業した気がするのに、休日が多く時間数が少ないと知りがっかり。来週から離島へ移るので終業後に片付け。私が引っ越し情報を知らされてないことは知ってるだろうに「そんなこと考えればわかるでしょ」だと。昨日クラスで床を転がっているとき(大好き種目)、「腕がだいぶ強くなったね」と言われて☆だったのですがケーブル抜くのがめんどくさいからとHDとモニタをつなげたまま一度に持って運べる自分に気づきあ、腕力ってこのこと、と思う。メンクリも遅刻。だが大いに待たされる。ここの女医は以前、私に「整形したら」と言った人。自分のこと心の底ではどこかいいところあるんじゃないかと思っているが、現実として事実として私は実は人としてかなりだめなんじゃないだろうか、と話をして思う。つきあってて楽しくない、って本当にそうなのかもしれない。「あなたにつきあいきれる人なんていない。ひとりで抱えてなさい」って暗に言われてる気がした。寿命を生きるとしたらこの先、ひとりでいなくちゃならない時間の長さに耐えられない。背中を押してくれるよ。この女医、実は私のこと嫌いなんじゃないだろうか。途中しんでもやむなし、こういう人だから私どうしようもできないしーとか思ってるだろ。私もっとお酒飲もうかな。大家さんに家賃を払いに行く。玄関のところにいつもダイナミックな生け花が飾ってあるが、今日の作品は抽象化されたアマゾン、といった趣だった。
dying planet
2008年10月17日 うつものしにたい、というきもちをもぐら叩きみたいに抑え込んでくのに疲れた。クリスマスとかやり過ごすのに、生きる工夫しなくちゃならないことに、置いていかれることに、気づかれないことに、ひとりで泣くことに、ひとりで病んでひとりで支えなきゃならないことに。
いやー、一日中きびしいっす。ちょっとしたきっかけ、たとえば自分以外の(身近な)どこかに存在する具体的な「愛情」のイメージに足をすくわれ降下、それで現在未来だけでなく過去の嫌なこと(言われたことなど)まで思い出してずぶずぶ沈む。「自己愛の障害」て人としてかなりいけてないというか、crucialなことではないですか。自分を愛せない人を愛せない、愛されない。なんかほとほと疲れました。私のおうちはひとりで、誰かと安らぎたいけれども、今の自分だと相手に全体重かけっぱなしメイワクかけっぱなしになっちゃうだろう(だめなコンタクト)。気を失うくらい心から休みたいっす。
友人が事務局でお手伝いをしている、「リレー・フォー・ライフ」というがん患者支援24時間チャリティイベントへ行く。今日の昼から明日の昼まで24時間、絶えないように参加者がかわるがわるトラックを歩き続ける。私も友人と一周。しかしこれだけたくさん「仲間」がいるってうらやましい。
母は私が何を言っても自分が責められているように速攻、感じるらしい。「修行みたいな人生」と言うと「みんな修行なんだよ」と父は言う。なんだよそれ。
「人に対して明るく接しなさい」「頭をかくのをやめなさい」(そりゃそうかもしれないけど)等々、「ありのままの自分では愛されない」というメッセージを受け取る私。母の考える「世の中」ではそうじゃないのかもしれないけど、私にはどん底の自分をさらけ出している人たちも誰かに愛されているように思えます。どんな人にも誰かがいる。
「家族が思っているのにあなたはわからないの(怒)」っていうのは、安全なところから言われてもさ、私のところまで下りてきてくれないと、そばにいる感じはしないんだよ。昨日の会話のかみあわなさを思い出しては頭をかきむしる。誰か受けとめてほしい。そばにいてほしい。
母は私が何を言っても自分が責められているように速攻、感じるらしい。「修行みたいな人生」と言うと「みんな修行なんだよ」と父は言う。なんだよそれ。
「人に対して明るく接しなさい」「頭をかくのをやめなさい」(そりゃそうかもしれないけど)等々、「ありのままの自分では愛されない」というメッセージを受け取る私。母の考える「世の中」ではそうじゃないのかもしれないけど、私にはどん底の自分をさらけ出している人たちも誰かに愛されているように思えます。どんな人にも誰かがいる。
「家族が思っているのにあなたはわからないの(怒)」っていうのは、安全なところから言われてもさ、私のところまで下りてきてくれないと、そばにいる感じはしないんだよ。昨日の会話のかみあわなさを思い出しては頭をかきむしる。誰か受けとめてほしい。そばにいてほしい。