なんちゅーか自然体な演出(「パリオペラ座のすべて」の監督)、ちょっと寝てしまいました。ダンスって着衣でもあざだの擦り傷だのつくってしまうのに、こちらのかなりヌードなダンサー様たちの美肌はなぜ?本当にキレイ。セルライトなんて無縁なんだなー。その辺の秘密がとっても知りたかった。
やっぱりいい映画。そして前回、けっこう寝てたな自分というのに気づいて焦る。「ミャーク」は宮古、そして「現世」を表わす。「何があっても楽しく生きていこう」ここでしか聴けない歌がたくさんある。

宮古ではどんなことでも歌になっているんだって。以前、もっと若いときだったら、それほどこの映画に惹かれなかったかもしれない。自然や神様が生活の身近な一部になっている、宮古の風土がうらやましい。東京でも、感謝して生きていけるはずなのに。ささいなことであくせくしたり、騒いだり。どうでもいいようなことを足りないと思って欲するサイクル=システムにとりこまれてしまう。
沖縄 宮古島(=ミャーク)の失われつつある「古謡」「神歌」をミュージシャン久保田麻琴が追ったドキュメンタリー。

神の歌は限られた人(神女)しか歌うことができなくて、その歌はその人のところに「降りてくる」。

そうだよね。「自分が」やるのでなく、つくるのでなく、自分を伝わって降りてくる。

男性が中心となる祭事で、歌い踊る人々がワイシャツにネクタイ姿というのが意表をつかれるが、すごく堂に入ってるの。「ミャーク」には人生という意味もあって、苦しいこと辛いこともあるけれどなるべく楽しく歌い踊って切り抜けていこう、という意味もこめられているのだとか(ちょっとニュアンス違ったかも。うろ覚えすみません)

生命力ある人々の強い歌と踊り、画と音。とてもいい映画だった。もういちど行こうかな。

http://sketchesofmyahk.com
ツタヤより。こてこてに舞台映像、でなくリハ風景や裏方さんの仕事ぶりが見られるのは良いけれども、いかんせん長い。実際の尺(160分)もともかく、他に編集の仕方はあったのではと強く思う。「すべて」だからってこれは。
「あの頃の大切な仲間たちに会っていますか?」会ってないです、全然。学生時代の「友人」とは誰とも会ってない。連絡も途絶えてしまいました。

仲間の1人が余命わずかであることを知ったことから、高校時代のグループメンバーたちが40代になって再会する。映画を見ながら自分の学生時代が思い出されるのかな…と思っていたけどそうでもなく。自分のこっ恥ずかしい80年代の記憶はロウで固めてあるらしかった(でも結構、満喫していたと思う。ちなみにBritishエレクトロポップこの頃よく聴いてる)。

登場人物たちとほぼ同世代だけど、共感というよりは「同じアジアでもぜんぜん違うな~」と文化や国民性を考えていた。思ってたよりバイオレント(笑)、血気盛んな女子たちなのだった。飛び蹴りいれといて「ソフィー・マルソー似」てそれはないだろって(私はむしろ「きくちももこぽい」と思いました)。いじめの落とし前をつけにいくシーンが◎。でも熱い人間関係は真面目にいいですよね。甘すぎない描き方もいいと思った。

これから見に行く方はエンドロールも見逃さないように!その後のお話になっているので(途中で気づいた)。韓国のきれいどころがいっぱい出てますが、個人的には大人になったスジ役の女優さんが好み。サイトに載ってないのは何故?
by アキ・カウリスマキ。「寅さん欧州へゆく」みたいな。絶賛まだまだロングラン中。アメリカンTV漬けになってる自分、無表情ぽい登場人物たちが新鮮で、大いに癒される。表に出さずとも情はあるのよ。いかにも「犬」みたいな犬が主要キャストで出演しておられたが、このナチュラルな演技はカウリスマキ・ファミリーの女優犬ならでは、ハリウッド犬には真似できまい(どっかで「審査員特別賞」受賞)。全体の抑えたトーンがとにかくよくて和む。もう刺激はいらないよ、とか言いながら昼間はヒップホップのCDを3枚も買っていたのだった。
ピナその2。「踊るいのち」ではなく「踊り続けるいのち」でした。ドイツの振付家、ピナ・バウシュの作品(「カフェ・ミュラー」「春の祭典」「フルムーン」「コンタクトホーフ」)をヴィム・ヴェンダースが撮った。私は3Dなかなかいいと思う。屋外のシーンは舞台と絶妙なコントラスト。解放された身体と「外」の突き抜けた感じが重なり、ダンスのエッセンスやエネルギーをうまく伝えている。音楽とても素敵。

私はピナバウシュひとつしか観たことがない(「フェンスタープッツァー」)が、実のところそのときはよくわかんなかった。こうして数々のシーンを通して眺めると彼女が後進に与えた影響の大きさがよくわかる。「タンツテアター」(ダンスと演劇の融合)の手法もそうだけど、振りも「どっかで見たような…」感じが予想以上にあったのだった。

多くのダンサーに慕われ、愛され続けるピナ。ダンスの魅力が実感できる美しい映画です。日頃、ダンスを観ない人も是非。映画がこれだけヒットしたのだから、コンテンポラリーダンス(とか)はぐぐっと間口を広げていろんな人々を招き入れる今は好機ではないでしょうか。
ピナその1。ダンス経験のない10代の男女が10ヶ月のリハーサル期間を経てピナの代表作「コンタクトホーフ」を上演するまでを、わりかし淡々と描いたドキュメンタリー。

実際に指導にあたったのは元ヴッパタール舞踊団のダンサー、ベネディクトとジョー。かつての出演者ならではの作品に対する深い理解と敬意、それに並々ならぬ熱意が指導には大いに貢献したはず。ピナは合間に顔を出して、励ましたり普通に細かいダメ出しする姿が新鮮(笑)。(もっと無口で大御所なイメージでした)。

「コンタクトホーフ」まず難しい作品と思った。走ったり歩いたり、なにげない日常の動きと小さな仕草、それに感情表現でシーンをつくっていくのは実はたいへん。芝居っぽかったり、仕草が「振り」(あらかじめ決められた動き)に見えてしまうとすぐわかるし、くすんでしまう(でも、ちょっとした違いで伝わり方が変わるのも面白いところ)。

うわべでなく、パフォーマーが「どっからでもお見せします」と自分をさらけ出さないと息づいてこないが、この映画の少年少女たちはがんばったと思う。とてもしっかりと舞台に立っていました。素直でみずみずしく、素敵だった。さぞかし勉強になっただろうし、何物にも替え難い貴重な時間だっただろう。贅沢過ぎる機会がうらやましい!

さわやかな“青春の挑戦編”の次は、「じゃプロのパフォーマーはピナの作品をどう表現するんだろう…」が気になり「踊るいのち」へ続く。

あいする問題

2012年2月6日 映画
この土日はほんとうにだめだめな週末だった。ダメ過ぎるから書かない。盛ったところでどうということもなく、今もらってる薬は弱いやつなんだな、ということがわかりました。

「監督失格」の続き。考えてみれば、つくって見せることを生業としている人(プロ)があれだけさらけだした、というのは並みの勇気じゃないと思う。そういう潔さ、誠実さが作品を強いものにしている。ブンセキとかカイシャクに拠らず、己の感覚を頼みにしたのも素晴らしいです。

さらに、「愛され方を知らない」人というのはいる、と思う。愛の受け取り方を知らない、愛されてもすぐに信じられない。だから「これだけやってるのに、なぜわからん」とケンカになったりするのでしょう。自分もそうだし、私の場合は自分が自分を愛せないことが病の域に行っちゃってて、まずそこからやらないと。でもいまだになかなかそれがむずかしいの、ほんとうに。
※ねたばれあります。

監督(平野勝之)による自身と女優(林由美香)の記録。

きれいで、かわいい人。もてそう(もててる)。女優さんだしね。奔放で、身の守りかたを知らない。この人は、私がかつて知ってた子たちに似ている、と思った。そのなかには死んでしまった人たちもいるし、生き残った人たちもいる。私はそういう子たちがいつも羨ましくて、死に損なったまま、これを観ている。

監督は女優が自死(あるいは事故死)した場に居合わせ、カメラを回していた。観ながら、私は当惑してた。これは作品というより、死んでしまった人と残された人々の人生そのものでは。これって、つくり手が自分のためにやらざるを得なくてやっていることだよね。監督が「(制作に)乗り気でない」と言うのもよくわかる。よくわかるけど、こんなど渦中で、どこへ連れてかれるの?と困っていた。

2人が恋人関係にあったとき出かけた、利尻島までの長い自転車旅行のさなかでも、彼女がいつもきれいに化粧をしていたのが、なんだか象徴的だった。「撮っていいよ」と言いながら、本当は誰にも見せてないんじゃないかって。

「彼女が自分について離れない、と思っていたけれど、張りついていたのは自分だった」と監督が終盤で独白する。いちばん彼女に近づいた気がした。

「逝っちまえ!」と男は叫ぶ。

ラスト、監督が泣きながら、彼女が死んで5年もたってからやっと泣いて、自転車を豪速でこぎながら夜道で叫ぶ。自分なりの弔いをしなければと。この瞬間、「作品になった」と私は思い、はっとした。見事だった。

あまたある「喪失と再生のものがたり」は私にはぬるいのばっかだが、これにはやられた。つくり手が相当、痛い思いをしている。つくられるべきして、つくられた。これほどうそのないものって、そうそうないと思う。そのもの、それだけ。

どんなフォームでも切実さのある作品は迫力がある。重いし、ファンシーなものはないけれど、こういうのが私にとっては真に糧となる作品です。なんか凄いものを観た、というか体験した。
by エミール・クストリッツァ、を渋谷で観た。ちょびっともったりしたけど、面白かった。すごいこと考えるなぁ。先立つ名画をリスペクトし、あとに続く作家たちに受け継がれる(「ぱくられる」とも言う)であろう鮮烈な映像表現。個性的な音。私は牛たちが水から陸へと上がっていくシーンが特に好き。冴えてると思った。

夜、テレビで震災特集。情に流されず、人に寄り添う視点で検証に徹したいい番組でした。津波の映像はやはり見ていて息が詰まる思いがする。選べることではないけれど、こんなに悲しい災害にはもう遭いたくない。宇宙人ジョーンズが言うように、「そろそろ良い年がきてもいい頃だ」。
園子温監督。かつて渋谷区ラブホテル街(木造アパート)で起きたOL殺人事件にインスパイアされた作品。

近い、かも。でも期待してたよりぬるかった。あの事件というと、解釈入れずにいられないのかもしれないが、リクツが多い。せっかくR18+指定なんだから、考えるヒマあったらもっとセンシュアルにしれ!と私は思いました。

要素てんこもり過ぎ。特に母と娘、父と娘関係はヒントにとどめとけばいいのに。家族の問題はやるならやるでがっつりやらないと、えぐいだけ。(余談だが上映前のトレーラーが機能不全家族の話―特に邦画―ばかりでなんか疲れた。世間では絆とか言ってますが…)

壊れてるほうではある。でも商業フィクションにするとどうしてもきれいごとになる(桐野夏生はもっと容赦なかったけれども)。「女性として生まれ、生きるということ。それだけでつらい」に私は一票。

私個人としては、あの事件で亡くなった彼女は(女性)性という厄介な代物を「経済活動」(売春)に置き換えることによって、自分のなかで合理的に処理していたのではないかと推測している。事件に巻き込まれずとも、いつか自ずと破綻したやり方かもしれない。それでも私はユニークで斬新な飛び方だったと今でも敬意をこめて思っている。

女優(冨樫真、神楽坂恵)さんが身体はってやってて、すんごくよかった。この二人に比べると水野美紀は薄い。冨樫のイッちゃってる目が怖すぎるし、人妻(神楽坂)の見事にたわわなおっぱいに見とれましたわ。

(女性)性との闘いでどんだけ多くの人が壊れ傷つき、堕ちてってることか。現場はもっと荒れている。これは自分にも向けて言うけど、フィクションが創造物であるなら、もっともっと激しくクリエイティブに壊れよ。底の底まで堕ちてこそ、人を揺さぶり力を与えられるものになるのだから。
「暑くて逃げなければ」と思い、ダンス的なことも英語的なこともしたくなかったので映画館に避難することにした。水曜レディースデイだし。(以下ねたばれるかも)

監督が超こわヤク中地獄映画「レクイエム4ドリーム」を撮ったダーレン・アロノフスキー、の割には凡庸。心理エロティックサスペンスに堕ちてるしそれならそれでもいいけど、どこにも突っ走ってない。中途半端。いっそ母親を殺してライバルも殺して振付師とヤって気弱な「いい子」が堂々主役を張れるプリマになりました…というダークな成長譚ならよかったのに。

ヒロインのニナは舞台で「官能的な黒鳥を踊りきる」ということになっているのだが、それもなんかよくわかんなかった…本番ちゃちくないですか。稽古場のシーンのほうがよっぽどお洒落。ナタリー・ポートマンはよく身体つくったなと思うけど、踊っているときにオーラがない。白鳥の腕をぱたぱたするやつ(という表現もなんですが)で、ホンモノのプリマならやはりそこで空気が変わるというかかもし出されるものがあると思う。バレエ腕は本当にに難しい。ニナは母親とくっついてる優等生キャラ、対してコケティッシュなミラ・クニスのほうがバレエ・ダンサーとしてはユニークだしいい女(得な役)じゃなかろうか。ウィノナ・ライダーがあんまりにもあんまりな目に合う「盛りを過ぎたダンサー」役で出てるんだけど…クレジットを見るまでわからず。

バレエ・ダンサーの話ではあるけれども、バレエなりダンスに対する愛なり理解というものはあまりない映画、と思った。

というのが感想ですが、とりあえず涼めてよかった。自分が発熱してるかのごとく暑い。もう頭で考えられない季節がくるのね。
母のお供で「木洩れ日の家で」@岩波ホールを観に行く。「91歳の老婦人が森の中の古い屋敷で愛犬とともに送る晩年の日々を美しいモノクローム映像で描いた」ポーランド映画です。

各国映画祭で受賞を重ねている佳作ではありますが、個人的にはなんとなく「しょぼん」となる。しかしシニア層を中心にとにかく大ヒット中なのだった。(以下ちょっとネタバレあり)

主演も名女優だそうですが、何が凄いって愛犬「フィラ」役の犬!(ボーダーコリーかそれ系の雑種と思われる)。作品中の古い家に本当にずっと女主人と一緒に住んでるかのようななじみっぷり。クローズアップも多くあるが、その表情の多彩さ、適切さったら…犬の仕草と表情だけで女優を映さなくても「ご主人様が亡くなってしまったんだな」とわかる。とにかく1シーンたりともはずしていません!アカデミー賞ものの演技、と思ったらポーランドの映画祭で「特別賞」を受賞されたそうです。主演女優はもちろん賞賛されていますが、私としてはこの女優犬の見事な演技を観て欲しい。この子、何者?

作品紹介サイト(予告編の音が出ます)
http://www.pioniwa.com/nowshowing/komorebi.html

夜は2レッスン。なぜか上手な方々が押し寄せる日。対してへなちょこな私。しかしダンスはやらないことにはどうにもならない。

My Life Without Me

2011年2月12日 映画
渋谷で用件を済ませ、実家でぼーっとする。つらくなるとクスリをのむが、すぐ効かないのでつい多めに入れてしまってすごく眠い。

昨日、観ていたのがこれ。なんか好きでまた流している。監督イザベル・コイシェ、製作総指揮 ペドロ・アルモドバル。ウィキで調べていたら驚いたことに主人公アンの母親役はあのデビー・ハリー(of ブロンディ)、美容師役はマリア・デ・メディロスだった。マリアは「ヘンリー&ジューン」(エロティックな佳作)で作家のアナイス・ニン役を好演した人。主演のクール・ビューティ、サラ・ポーリーの骨太っぷりも知る。


マドンナに非ず

2010年12月24日 映画
今日明日は休みのはずだが半日仕事。客先でバイトさんといると気が紛れて救われるが、ひとりになるとずぶずぶ滅入ってくる。自分に何を投入(=食糧)したらいいのかよくわからなくなっているこの頃。

「バーレスク」まあまあ。たらたらしたストーリー、ダンスシーンは中途半端というかレビュー風にしてあるだけで、なんか安い。振付、手抜きじゃね?(撮り方も見づらい)

アギちゃんは歌が上手。この映画の見所はやはり彼女のパンチあるヴォーカルで、ただパフォーマーとしてはまだ「小娘」ちっくだなぁとか思う。でも歌い方は若手のなかでは抜きん出ていいと思うので今後に期待(余談だがLady Gagaは良さがさっぱりわからない。傑出している部分がどこなんだか。革新的とか言われるが、いわゆる前衛を「商業的」に焼き直してるだけな気がする)。シェールの不老不死っぷりたら。いったいおいくつなの?ソロもさすが。久しぶりに映画館で映画を観たが、目悪くなってる気がする。

×5

2010年2月8日 映画
インテンシブに打ち合わさる。これだけやってもコミュニケーションの実感が乏しいのは、知のアウトプットはするのに、情で屈折する人がいるからだ。今ごろになって→をスカパーでちゃんと観る。なんて完璧な映像。無駄なものが一切映っていない。ア○ターとかよりよっぽど凄いと思う。アヌーク・エーメ素敵。こういう雰囲気の女の人、大好き。
午後から根つめて(笑)これを観ていた。というかまだ観てる。衣装(おぉーそうなってたのか)とか、エンディングの秘密(MJエアー、すごい)とか。これは当分リピートするでしょう。

本編もそうだが、特典映像のオーディション編にしてもそれでもまだダンスや音楽をじっくり観たかったというのはある(「特殊で繊細」。’Jam"の振付は「難解」(brainteaser)だそう。いかにもタフな男性ダンサーがリハは「スーパーハード」と言っていた)。しかし絞っても200人というのは!やんちゃっぽいダンサーたちに、見るからに本気の気迫があって引き込まれる。選抜にはダンスだけでなく、人柄や学ぶ姿勢、コミットの度合(100%or more)も見るのだそうだ。確かに選ばれた子たちは若くても品があったり、育ちのよさがあったり、エネルギーがあったり、ダンスの技量だけでなくパーソナリティの魅力もある気がします。

振付家(トラヴィス・ペイン)が「ダンスはPoetry in Motion」だと言っていた。この表現は聞いたことがある。何かの歌詞で"She’s a poetry in motion"とか。字幕には「動きのある詩」とあったがそれもちょっと違うような。詩が動きに放たれる、というか、詩が動きをまとう、というか。訳しづらいけど感じはとてもよくわかる。ただ動けるだけではダンスでない。「何か」を伝えないと。
近所の古着屋で前から目をつけていたアニエスBの赤いコートが20%オフ、「もうちょっと安くは?」店主に笑ってかわされたけど、買う。なんとか散歩に出て道すがらこじんまりした近くの稲荷にもお参り。行列こそないものの参拝客が途切れず地元に愛されているのですね。続マクドナルドでコーヒーと本で無理やり読了、ってことで。「ラビリンス」は美術やクリーチャーの造形が見事なだけでなく、少女の成長譚としても感心し公開当時10回くらい映画館に通った。"It’s not fair!"が口癖だった少女が"But that’s the way it is."(だけどそういうものよね)とスイッチ切り換えてつき進む。このコレクションの小冊子に、ジム・ヘンソンが「ダーククリスタル」でその必要もないくらい広い景色を実際につくったことを評し、石井竜也が「いわば無駄な努力を惜しまないというか、そういうことがとても大切なような気がする」と書いていて、確かにそうだよなぁ、つくるということは、と思う。年末年始の休みはもともと苦手。

やりすぎてる

2009年11月27日 映画
3回目。

↑書き出しソウル・サーチャーさんのまね^^。

今週ずっと「どうしようか」と思っていて、レッスンに行く準備はしていたものの…今日が上映最終日なのでやっぱりTHIS IS IT詣で。見納め祭りの方は多いんじゃないでしょうか。

仕事が済んだらこの地はとっとと離れたいが、都心の上映館では適当な時間に席がどうもなさそう。職場から2分のシネコンで昼休みに聞いたら、夜の回の券がまだあったので残って観て行くことにした。

やっぱりダンサーがいいですね。鍛えられた身体をしっかり確実に使って、見応えのある動きをする人ばかり。それでもマイケルが真ん中にいると、マイケルを見てしまうんだけど。背中が動きまくり。すごい。マイケルのインプロは、つくる以前にエモーションがそのまま動きとなって外へ出てくるように見える。(そういえば、ラッパーはよく見たら、ヴォーカル・チームの人たちだった)

この作品は奇跡のように彼の「死」(あまり言いたくないが)と、それに先立つ「生」の意味を変えた、と思う。

MJは超人的に輝いているし、チーム全体に愛があり、関っている人たちどこをとってもプロ中のプロ。そんなところ、観ていて力をもらえるし、「私もがんばろう(ダンス)」とか思う。

終演後、やっぱり拍手がおこる。これ観ると、マイケル病に感染します。白状すると今年後半、マイケル(とジャネット)ばっかり聴いてるもの。しかし映画ですら夢のような気分なのに、ライブすごかっただろうなぁ。行ったらそれだけで2年くらい生きていけそうな気がする。あぁ今週レッスン行けてない!

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