小さい頃、家によく「暮しの手帖」があった。懐かしくて、図書館で連載ものを借りて読んでいる。
この「エプロンメモ」は衣食住のアイディア集。というといまどきの雑誌にもありそうだけど、文章が安手でない。スタイルというか、品がある。「すてきなあなたに」も同趣向だけど、こちらはもうちょっと長めの記事を収めていて、海外の一場面を伝える便りや珍しい食べ物・料理の話なんて子ども心に「ハイカラだ~」と憧れたものでした。
この「エプロンメモ」は衣食住のアイディア集。というといまどきの雑誌にもありそうだけど、文章が安手でない。スタイルというか、品がある。「すてきなあなたに」も同趣向だけど、こちらはもうちょっと長めの記事を収めていて、海外の一場面を伝える便りや珍しい食べ物・料理の話なんて子ども心に「ハイカラだ~」と憧れたものでした。
それをしている自分が好きかどうか
2012年12月12日 読書
「料理って、そういうものだと思います。
床に新聞紙をしいて絹さやの筋を取っていたり、カレーを作ろうと大量の玉ねぎの皮をむいていたり、にんじんの皮をできるだけ薄くむこうとしていたり。明日のために豆を水に浸けていたり、だめになる前に、きゅうりを漬物にしようとしていたり。
それをしている自分のことを想像してみて、もしも嫌いだなと思ったら、そういう時はべつに料理なんかすることはありません。」
「高山なおみの料理」(メディアファクトリー)128ページより。
床に新聞紙をしいて絹さやの筋を取っていたり、カレーを作ろうと大量の玉ねぎの皮をむいていたり、にんじんの皮をできるだけ薄くむこうとしていたり。明日のために豆を水に浸けていたり、だめになる前に、きゅうりを漬物にしようとしていたり。
それをしている自分のことを想像してみて、もしも嫌いだなと思ったら、そういう時はべつに料理なんかすることはありません。」
「高山なおみの料理」(メディアファクトリー)128ページより。
親本に抜けていた「重症期」の2年2ヶ月分を補った文庫版。その書き下ろし部分を読むと、かなり辛い時期があったのですね、ということがわかる。著者が冒頭に「精神状態がおもわしくない方にはあまりお勧めしません」と異例の断り書きをつけていますが、私も同意。
著者が人気作家という特殊な立場にあること、またかなり恵まれた環境(献身的なパートナー、理解ある家族、仕事仲間など)におかれていることを考えると問題の当事者はなんらかの「刺激」は受けるだろうが、参考にはしづらいのでは。
「うつ病」と著者は書いているが…うつ症状はあるにしても、記述からいわゆる「うつ病」じゃないんじゃないだろうか、とも思う。それから、いちばんしっくりしないのが、意識的にかそうでないのか(「小説家」なのであえてここには書かないのかも)、発病の直接間接の原因についてほとんど書かれていないこと。本人でもわからないことはあると思うが、ここをさらす姿勢があればまた違う「闘病記」になったのではないかと思う。
むしろ問題をもつ本人より、まわりの家族・友人といった立場にいる人のほうが参考にはなるかもしれない。自分に合った治療機関を探すことの難しさ、病状の説明をしてくれないことなど、単に「医者に行く」だけでも勇気がいることではありますが、その先がまだまだ大変であるリアルについて書かれているから。かくいう私は年末に向けてさらにお薬を盛ってもらおうと医者に頼む所存。
著者が人気作家という特殊な立場にあること、またかなり恵まれた環境(献身的なパートナー、理解ある家族、仕事仲間など)におかれていることを考えると問題の当事者はなんらかの「刺激」は受けるだろうが、参考にはしづらいのでは。
「うつ病」と著者は書いているが…うつ症状はあるにしても、記述からいわゆる「うつ病」じゃないんじゃないだろうか、とも思う。それから、いちばんしっくりしないのが、意識的にかそうでないのか(「小説家」なのであえてここには書かないのかも)、発病の直接間接の原因についてほとんど書かれていないこと。本人でもわからないことはあると思うが、ここをさらす姿勢があればまた違う「闘病記」になったのではないかと思う。
むしろ問題をもつ本人より、まわりの家族・友人といった立場にいる人のほうが参考にはなるかもしれない。自分に合った治療機関を探すことの難しさ、病状の説明をしてくれないことなど、単に「医者に行く」だけでも勇気がいることではありますが、その先がまだまだ大変であるリアルについて書かれているから。かくいう私は年末に向けてさらにお薬を盛ってもらおうと医者に頼む所存。
「エリック・ホッファー自伝―構想された真実」
2012年10月28日 読書HOFFER, Eric(1902-83) アメリカの社会哲学者。ニューヨーク、ブロンクスにドイツ系移民の子として生まれる。父は家具職人。幼少時に失明するが、15歳で突然、視力を回復。18歳で父を亡くし、天涯孤独の身となる。
28歳のとき「今年の終わりに死のうが、十年後に死のうがいったい何が違うというのか」という感覚に襲われ、自殺を図るが未遂に終わる。以来、カリフォルニアを転々としながら季節労働に従事。40歳でサンフランシスコに定住、その後、25年に渡り港湾労働者として働くかたわら、著作を発表した。
62歳から晩年に渡り、カリフォルニア大学バークレー校に招かれ政治学を講じた。ホッファーは正規の学校教育は一切、受けなかった。つねに社会の最底辺に身を置き、働きながら読書と思索を続け独自の思想を築き上げた「沖仲士の哲学者」として知られる。
下記、引用は標題書(中本義彦訳 作品社)より:
(雇用主である農場主が、身を落ち着けないホッファーに「将来が不安ではないのか」と尋ねたことに対し)
「信じられないでしょうが、私の将来はあなたの将来よりずっと安全です。あなたは農場が安全な生活を保障してくれると考えています。でも革命が起こったら、農場はなくなりますよ。一方、私は季節労働者ですから、何も心配することはありません。通貨と社会体制に何が起ころうが、種まきと取り入れは続くでしょうから、私は必要とされます。絶対的な安全が欲しいなら道楽者になって、季節労働者として生計を立てる方法を学ぶべきでしょうね」
*この裕福な農場主は、後に遺言で芸術活動に対する奨励金と、浮浪者のための宿泊施設を設置・維持するための寄付を行った。
「人間という種においては、他の生物とは対照的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する。「神は、力あるものを辱めるために、この世の弱きものを選ばれたり」という聖パウロの尊大な言葉には、さめたリアリズムが存在する。弱者に固有の自己嫌悪は、通常の生存競争よりもはるかに強いエネルギーを放出する。明らかに、弱者の中に生じる激しさは、彼らに、いわば特別の適応を見出させる。弱者の影響力に腐敗や退廃をもたらす害悪しか見ないニーチェやD.H.ロレンスのような人たちは、重要な点を見過ごしている。」
「慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠のよそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろう」
巻末のインタビューより:
「私のいう仕事とは、生計を立てるためにする仕事のことではありません。われわれは、仕事が意義あるものであるという考えを捨てなければなりません。この世の中に、万人に対して、充実感を与えられるような意義のある職業は存在していないのです。自分の仕事を意義深いものにしてくれと要求することは、人間の見当違いだと、かつてサンタヤナは言いました。産業社会においては、多くの職業が、それだけを仕上げても無意味だとわかっている仕事を伴っているのです。そういうわけで、私は、一日六時間、週五日以上働くべきではないと考えています。本当の生活が始まるのは、その後なのです」
「私はこれまでずっと、肉体労働をしながらものを考えてきました。すばらしい考えは、仕事をしているときに生まれてきたのです。同僚と話しながらくり返しの多い作業に汗を流し、頭の中では文章を練り上げたものです。引退した途端、この世のすべての時間が転がり込んできました。しかし、自分の頭があまり回らないことに気づいたのです。頭を下げ、背中を伸ばしているのが、何かを考えるには最善の姿勢なのかもしれません。あるいは、魂は、同時に二つの方向に引っ張られることによって、生産的に働くようになるのかもしれません」
就活中の学生ちゃんはこういう本を読んでみるのもいいかもしれない。いわゆる「勝ち組」になりたい人は余計、混乱するかもだけど。私は「とりあえず社会人になる」のはアリ、とする考えだ。結局。社会に出るのに「正解」なんてないんじゃないの。
「私たちは、原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。」
2012年10月27日 読書
はじめての原発リーディング。タイトルが強烈だがラディカルに脱原発を煽るようなものでなく、地に足のついた知見を集めるインタビュー集。わかりやすい。巻末に2011.3.11~2011.11.30までの原発関連の動きを収録。今にして事実に震撼する。
もうちょっと読んでみる著者の方々↓
小出裕章(たとえ勝ち目がなくても、粛々と戦い続ける)
開沼博「僕の本は、要は「見えにくい弱者をちゃんと見ていきましょうよ」っていうことを、ずっと問うてるんだと思います。その提案自体は凡庸なものですが、凡庸にも関わらず実現できていない」(はげしく同意。「見えにくい弱者」の問題は311以外でも起きている)
もうちょっと読んでみる著者の方々↓
小出裕章(たとえ勝ち目がなくても、粛々と戦い続ける)
開沼博「僕の本は、要は「見えにくい弱者をちゃんと見ていきましょうよ」っていうことを、ずっと問うてるんだと思います。その提案自体は凡庸なものですが、凡庸にも関わらず実現できていない」(はげしく同意。「見えにくい弱者」の問題は311以外でも起きている)
「蜷川幸雄の稽古場から 」
2012年10月23日 読書
「怒ると灰皿を投げる」で有名(?)な世界のニナガワ。実際のところはどうなのか、というのを氏に抜擢され見事に才能を開花させた若手俳優たち(小栗旬、藤原竜也、寺島しのぶ…)が語っています。
みな異口同音に「大変な体験だった」と言うが、厳しいダメ出しにあって悩み方、乗り越え方はみな違う。それぞれが身体に刻まれた経験を掘り起こすように自分の言葉で語っていて、親しみを感じた。
蜷川氏の「楽屋は廊下」。キャスト、スタッフ関わる人々の感受性はさまざま。千差万別を相手にしていかなければならないから、みなが通る廊下で様子を見ながら気になったらお互いに声をかけやすくしたほうがいい、という配慮によるものなのだそうだ。
通りいっぺんでなく、個を見て鍛えてくれるというのはその俳優(と作品)に対する誠実さだったり献身だったり、なんといっても愛情の表れなのでは。今これだけ情のある場ってあまりないかもしれない。ちゃんと「叱ってもらえる」というのはありがたい関係ですよね、というのが私もわかるお年頃になった。(ほめてもらえるならそれに越したことはないけれども。なんも言われず追い出されるより、怒られて挽回のチャンスをもらえたほうがいい)
(語録より)「日常生活でいろいろなリスクを負っていることが、演技の上で花となって開く人もいる。良い人であることは、良い演技ができることを保証しない」
みな異口同音に「大変な体験だった」と言うが、厳しいダメ出しにあって悩み方、乗り越え方はみな違う。それぞれが身体に刻まれた経験を掘り起こすように自分の言葉で語っていて、親しみを感じた。
蜷川氏の「楽屋は廊下」。キャスト、スタッフ関わる人々の感受性はさまざま。千差万別を相手にしていかなければならないから、みなが通る廊下で様子を見ながら気になったらお互いに声をかけやすくしたほうがいい、という配慮によるものなのだそうだ。
通りいっぺんでなく、個を見て鍛えてくれるというのはその俳優(と作品)に対する誠実さだったり献身だったり、なんといっても愛情の表れなのでは。今これだけ情のある場ってあまりないかもしれない。ちゃんと「叱ってもらえる」というのはありがたい関係ですよね、というのが私もわかるお年頃になった。(ほめてもらえるならそれに越したことはないけれども。なんも言われず追い出されるより、怒られて挽回のチャンスをもらえたほうがいい)
(語録より)「日常生活でいろいろなリスクを負っていることが、演技の上で花となって開く人もいる。良い人であることは、良い演技ができることを保証しない」
坂本龍一、自身を語る。
ここに何度か書いたけれども私は決して氏のファンではなくどっちかというと「理詰めな人」というイメージがあったし、することなすこと端整でちょっとなぁー…と思っていました。
が、これ読んでむちゃくちゃ好感度上がる。もう「教授」という通り名を越えて国際的に評価される大家だろうけれども、語り口(インタビュー)に驕りや変な屈折が感じられず、あまりに素直なのに驚いた。随所で言葉にされる「情」の抑えた表れ、繊細な感性にもやられました。(「アートスクール」ぽい気どった若者だったんだろうと勝手に思っていたけど実はガテンな硬派とも知る)
巨匠ベルトルッチに使い倒される(突如として『ラスト・エンペラー』の音楽を依頼され、過労で入院するほど根詰めて2週間で44曲を仕上げたが、試写会でその渾身の作品がおよそ半分もボツっていたことを知り「椅子から転げ落ちるほど驚いた」)エピソード。
YMO始動時のロンドン公演。自身の曲に合わせて男女が踊りだしたのを見て“「こんなカッコいいカップルを踊らせているんだから、俺たちって、俺ってすごいぜ、みたいな、そんな恍惚感を演奏しながら覚えた。電気が走るような感じ。」
そして「そうだ、これでいいんだ」と思った。”エピソード。
名盤(私もこれは大好き)「アウト・オブ・ノイズ」を「生け花のような音楽」と表現しているのも趣深い。「作り出したものというよりは、そこにあるものという感じ」…。
欲を言えばYMO時代の「確執」や、矢野顕子の話も知りたくなったったけれども(読み進むにつれてさらに知りたくなる人、ということ)…図書館で借りて読んだが読み返したかったので買った。
「音楽は自由にする」Musik macht freiというタイトルが素敵だがこれは人(器)を選ぶという気がする。読み終わってみると、実に合ってると思う。私は「ダンスは自由にする」とか(まだまだ)言えません。
ここに何度か書いたけれども私は決して氏のファンではなくどっちかというと「理詰めな人」というイメージがあったし、することなすこと端整でちょっとなぁー…と思っていました。
が、これ読んでむちゃくちゃ好感度上がる。もう「教授」という通り名を越えて国際的に評価される大家だろうけれども、語り口(インタビュー)に驕りや変な屈折が感じられず、あまりに素直なのに驚いた。随所で言葉にされる「情」の抑えた表れ、繊細な感性にもやられました。(「アートスクール」ぽい気どった若者だったんだろうと勝手に思っていたけど実はガテンな硬派とも知る)
巨匠ベルトルッチに使い倒される(突如として『ラスト・エンペラー』の音楽を依頼され、過労で入院するほど根詰めて2週間で44曲を仕上げたが、試写会でその渾身の作品がおよそ半分もボツっていたことを知り「椅子から転げ落ちるほど驚いた」)エピソード。
YMO始動時のロンドン公演。自身の曲に合わせて男女が踊りだしたのを見て“「こんなカッコいいカップルを踊らせているんだから、俺たちって、俺ってすごいぜ、みたいな、そんな恍惚感を演奏しながら覚えた。電気が走るような感じ。」
そして「そうだ、これでいいんだ」と思った。”エピソード。
名盤(私もこれは大好き)「アウト・オブ・ノイズ」を「生け花のような音楽」と表現しているのも趣深い。「作り出したものというよりは、そこにあるものという感じ」…。
欲を言えばYMO時代の「確執」や、矢野顕子の話も知りたくなったったけれども(読み進むにつれてさらに知りたくなる人、ということ)…図書館で借りて読んだが読み返したかったので買った。
「音楽は自由にする」Musik macht freiというタイトルが素敵だがこれは人(器)を選ぶという気がする。読み終わってみると、実に合ってると思う。私は「ダンスは自由にする」とか(まだまだ)言えません。
夏のお話が多い(かれらは冬、眠ってしまう)なかでも、全編に不安が遠くで静かに鳴っているようなこの物語が好き(さいごはハッピーエンド)。「カタストローフ(カタストロフィー)」という言葉をこの本で初めて覚えた。夏の修学旅行にハードカバー版を抱えていったっけ。
駅の「産地直送」コーナーでトウモロコシを買った。夏らしい、と目についたのだった。長い時間かけて粛々と茹でました。甘くておいしかった。
駅の「産地直送」コーナーでトウモロコシを買った。夏らしい、と目についたのだった。長い時間かけて粛々と茹でました。甘くておいしかった。
英語でなんて言うか?
原文を具体的に解読→「頼んだことを断られてしまったけれど、どうしても何とかお願いしないといけない状況」→(できあがり)"We need your help."
おおー。「何とぞよしなに」って英語で言えますか?(パトリック・ハーラン、鶴田知佳子/NHK出版)より。
「お先に失礼します」→"I’m leaving."…だけどアメリカではいちいちこう言って帰る人はいないんだとか。まだ残って仕事する人に対する「日本的」な気遣いは英訳無理。こういう文化の違いが個人的にはすごく面白い。ビジネスマンが動物のかぶりもの?を頭にのせてるシュールなイラストもなんかいい。「らくてん」で「アイムリービング!」ってみんな帰っていったらそれもシュールでいいかもしれない。
英訳する前に言葉を補うプロセスにおいて、いかに日本語の決まり文句でほのめかされている部分が多いか、を改めて思うが、私はこの辺、子どもの頃からとても苦手だったし今もそう。「どこまでくみとったらいいのか」というのがはっきり言っていまだにわかってない。この国に暮らしてて今さらではあるけど。「言葉にしてない部分」を適えることが当然のように期待されている場、というのがなんだか落ち着かない、というか気持ち悪い。私には難しい、組織とか共同体。家庭もかな。
原文を具体的に解読→「頼んだことを断られてしまったけれど、どうしても何とかお願いしないといけない状況」→(できあがり)"We need your help."
おおー。「何とぞよしなに」って英語で言えますか?(パトリック・ハーラン、鶴田知佳子/NHK出版)より。
「お先に失礼します」→"I’m leaving."…だけどアメリカではいちいちこう言って帰る人はいないんだとか。まだ残って仕事する人に対する「日本的」な気遣いは英訳無理。こういう文化の違いが個人的にはすごく面白い。ビジネスマンが動物のかぶりもの?を頭にのせてるシュールなイラストもなんかいい。「らくてん」で「アイムリービング!」ってみんな帰っていったらそれもシュールでいいかもしれない。
英訳する前に言葉を補うプロセスにおいて、いかに日本語の決まり文句でほのめかされている部分が多いか、を改めて思うが、私はこの辺、子どもの頃からとても苦手だったし今もそう。「どこまでくみとったらいいのか」というのがはっきり言っていまだにわかってない。この国に暮らしてて今さらではあるけど。「言葉にしてない部分」を適えることが当然のように期待されている場、というのがなんだか落ち着かない、というか気持ち悪い。私には難しい、組織とか共同体。家庭もかな。
「1Q84」(Book1~3)を読んだ。感想ショートカット⇒長すぎる。「羊」でいいんじゃね?
若い頃、かなり熱心な村上春樹の読者で「羊をめぐる冒険」と「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」はいい小説だと今でも思っている。
氏の小説がこちら側の現実に接近するようになった頃から、氏が袋に入れて差し出す「悪」とか「善」とか「孤独」とかが私にはまるで刺さらなくなった。本書は「羊」の拡大版なのかと思って読み始めていたが、そもそもこれほど引き伸ばす必要はないような気がする。
で「カフカ」の頃と同じく、「巧みに物語を組み立てることはできるが、終わりをつけることができない」という印象はやはり同じ。単に蓋して終わりですか?というような。見も蓋もない言い方をしてしまえば「勝手にすれば」。終始、私には迫ってこない本だった。
============
薬を何セットか飲むと2時間3時間とあっというまに寝て過ぎる。無言の携帯電話。私という存在のどうでもよさ。いてもいなくても同じ。しかし「いる」のは大変。
しばらく日記は不定期更新にする予定です。
若い頃、かなり熱心な村上春樹の読者で「羊をめぐる冒険」と「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」はいい小説だと今でも思っている。
氏の小説がこちら側の現実に接近するようになった頃から、氏が袋に入れて差し出す「悪」とか「善」とか「孤独」とかが私にはまるで刺さらなくなった。本書は「羊」の拡大版なのかと思って読み始めていたが、そもそもこれほど引き伸ばす必要はないような気がする。
で「カフカ」の頃と同じく、「巧みに物語を組み立てることはできるが、終わりをつけることができない」という印象はやはり同じ。単に蓋して終わりですか?というような。見も蓋もない言い方をしてしまえば「勝手にすれば」。終始、私には迫ってこない本だった。
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薬を何セットか飲むと2時間3時間とあっというまに寝て過ぎる。無言の携帯電話。私という存在のどうでもよさ。いてもいなくても同じ。しかし「いる」のは大変。
しばらく日記は不定期更新にする予定です。
4コマまんが。たまたま書店で見て買ったもの(著者サイン本だった)。休日にぴったり、でした。
起きたら晴れていたので、予定を1つ追加。保護犬の里親探し活動をしている方々のチャリティフリマへ行った。しばこに毛糸の首輪ネックレス、シールなんかを買う。いつもブログで見るわんこたちが会場に来ていて、なんというかスターのオーラがありました(私には)。家族募集中のほわほわした子犬たちにも癒される。よいおうちが見つかりますよう。
そもそもの予定である整体へ。首のつけねにごりごりっと硬い芯ができてる。これらはダンスでもなんでもなく「オフィスワーク」でできたものなのだ。そして今はそれほどパソコンつかってるわけじゃないし、人間関係疲れじゃないの、という気がする。のにくわえて、この頃つかっているビジネス仕様のかばんが身体に合ってないせいじゃないか、という気もする。でかくて割と重い割にものが入らない。せっかくですがいったん押入れへ。「ごりっ」が「こりっ」にになる程度に治してくれた。それから大きなケーキ買って帰宅。
起きたら晴れていたので、予定を1つ追加。保護犬の里親探し活動をしている方々のチャリティフリマへ行った。しばこに毛糸の首輪ネックレス、シールなんかを買う。いつもブログで見るわんこたちが会場に来ていて、なんというかスターのオーラがありました(私には)。家族募集中のほわほわした子犬たちにも癒される。よいおうちが見つかりますよう。
そもそもの予定である整体へ。首のつけねにごりごりっと硬い芯ができてる。これらはダンスでもなんでもなく「オフィスワーク」でできたものなのだ。そして今はそれほどパソコンつかってるわけじゃないし、人間関係疲れじゃないの、という気がする。のにくわえて、この頃つかっているビジネス仕様のかばんが身体に合ってないせいじゃないか、という気もする。でかくて割と重い割にものが入らない。せっかくですがいったん押入れへ。「ごりっ」が「こりっ」にになる程度に治してくれた。それから大きなケーキ買って帰宅。
湊かなえ作のミステリ。本屋大賞1位、「ミステリーベスト10(’08)」など受賞。
「映画化を待ってる本」読んでまず思いました。いい意味でなく、「言葉だけで完成してない」印象が強いということ。映画観てないけど、映像のクリエイターの手が入ったほうが、作品として満たされる気がする。
壊れている人、壊れゆく過程の描写がはっきり言って上手くない。「歪んだ関係の親子」という設定を「説明」しているだけ、な感じ。せっかくほとんどの登場人物が外れちゃってる人たちなのに、その書き方が平板なために起こるエピソードが利いてない。もっと書き分けることはできるのでは(でなけりゃあえてわざとデジタルにぺたっとさせるとか)。作者の関心はそこにないんだろうか。
《以下ネタバレあり》
アマゾン書評の「第一章が秀逸」というコメント、私もそう思う。そこで止めておいたほうが冴えた短編になってたかも。破壊力抜群のラストはいいと思うが、あるレビュアーが「牛乳に血液入れたり爆弾移動させたり、冷静なわりには先生の復讐が幼稚過ぎる気がする」と書いていたのには笑ってしまった。その通りだわ。
「映画化を待ってる本」読んでまず思いました。いい意味でなく、「言葉だけで完成してない」印象が強いということ。映画観てないけど、映像のクリエイターの手が入ったほうが、作品として満たされる気がする。
壊れている人、壊れゆく過程の描写がはっきり言って上手くない。「歪んだ関係の親子」という設定を「説明」しているだけ、な感じ。せっかくほとんどの登場人物が外れちゃってる人たちなのに、その書き方が平板なために起こるエピソードが利いてない。もっと書き分けることはできるのでは(でなけりゃあえてわざとデジタルにぺたっとさせるとか)。作者の関心はそこにないんだろうか。
《以下ネタバレあり》
アマゾン書評の「第一章が秀逸」というコメント、私もそう思う。そこで止めておいたほうが冴えた短編になってたかも。破壊力抜群のラストはいいと思うが、あるレビュアーが「牛乳に血液入れたり爆弾移動させたり、冷静なわりには先生の復讐が幼稚過ぎる気がする」と書いていたのには笑ってしまった。その通りだわ。
郊外にある会社から、さらに郊外へとまわる電車に乗っていたら、隣に座った女子高生が「フラニーとゾーイー」(新潮文庫)を読んでいた。私にとってサリンジャーは「ライ麦」よりも、こっちや「テディ」(「ナイン・ストーリーズ」)のほうが鮮烈だった。読んで、すぐさま好きになって、それから何度も何度も読み返したのだが、なぜ、どういうところが好きなのか、いまだに説明はできない本。
Hommage to 「ガラスの仮面」。面白かった。コピーが天才的にうまくても、その人自身の取捨選択を経ない(「自分」がないということ)アウトプットが、目の肥えた人々をも果たして惹きつけるものになるのか、疑わしくもある。これは演劇の話だけど、ダンスにもこのような、空恐ろしくも麻薬的な、どこかと通じる空間が開けるような瞬間があるなら、私も居合わせたい。打ちのめされるようなパフォーマンス、しばらく見聞きしてないなあ。
会社の帰りに、とうとうイアフォンが断線(ずいぶん前から、調子悪かったのをなだめつつ使っていた)。片耳にがまんできず、ヨ○バシ寄って悩んだ挙句ゼンハイザーcx200を買う。なんも調べずいきなり買っちゃったけど、どうなんだろうこれ。今まで使っていたのと同じような価格帯のものをいろいろ試聴するも「これ!」というものはなく、さらなる投資をしないと満足できないのかも。キリなし。
会社の帰りに、とうとうイアフォンが断線(ずいぶん前から、調子悪かったのをなだめつつ使っていた)。片耳にがまんできず、ヨ○バシ寄って悩んだ挙句ゼンハイザーcx200を買う。なんも調べずいきなり買っちゃったけど、どうなんだろうこれ。今まで使っていたのと同じような価格帯のものをいろいろ試聴するも「これ!」というものはなく、さらなる投資をしないと満足できないのかも。キリなし。
連休の終わりって泣けるわ
2008年5月6日 読書…と思っているのは私だけではないはず!
メール書いて、CD聴いて昼寝。銀座まで行って、クレンジングクリームとネイルを買った。なぜギンザかというと、もらったギフトカードがそこでしか使えないから。
それからレッスンへ。ジャンプ、ジャンプ…の振り。へたくそで悲しい。もっとこう、クセのない身体になれないだろうか。やんないと。「できてない」と悲しがってる私を大昔の私が見たら「できてるよ」と言うかもしれないが、できてないのだ。
悪癖近況。やっぱりまだ頭はかきむしる。やばくなると場所変えてやってる。
この頃、80年代のニューウェーブにひかれる。もっとも注目を集めていた頃は聴けなかったが、トーキング・ヘッズとか、その頃のNYニューウェーブのコンピ聴いてみようかと。
気になる人はアート・リンゼイ。旬の人でもなんでもないので、街のCDショップで「アート・リンゼイ、どこにありますか」と訊いても「はい?」なんて言われたりするのだが、昨日行った地元のタワーの人は「アート・リンゼイ、ありますよ!」と即答で案内してくれて「今これしかないですが、こっちは彼がプロデュースしたやつで…」と詳しい。こういう店で買いたいのだが、あいにく探していた盤がなかった。
図書館で横尾忠則のブログ本を見つけて読んでいる。タイトルが長い、長すぎる。
「悩みも迷いも若者の特技だと思えば気にすることないですよ。皆そうして大人になっていくわけだから。ぼくなんかも悩みと迷いの天才だったですよ。悩みも迷いもないところには進歩もないと思って好きな仕事なら何でもいい。見つけてやって下さい」(勉誠出版)というのだ。覚えられないではないか。誰にでもつけられるタイトルではないけど、こんな長くする必然性あるのかどうだか。
以下、同書からメモメモ。
「どんな場合にも執着はよくないと思います。執着はこだわりになるので、大切なのは執着を離れた執着というか、「軽い想い」の持続力だと思います。想いも持続もエネルギーですから、そのエネルギーが必要なものを寄せ集めるのです。だからそのための苦労をする必要はないのです」
「アーティストは本来両性具有的であるのが理想だと思っています。一人のアーティストの中に男性原理と女性原理が存在していて、この両性が結びついて想像が成立するわけです。
つまりアーティストの中の男と女が愛し合うことで子供、つまり作品が生まれるのです。女性原理がインスピレーションを受信して男性原理が作品として社会に発信するわけです」
「芸術は感情表現だけでは幼稚です。感情のコントロールが楽しいのです。頭と身体がばらばらだったらコントロールも無理」
メール書いて、CD聴いて昼寝。銀座まで行って、クレンジングクリームとネイルを買った。なぜギンザかというと、もらったギフトカードがそこでしか使えないから。
それからレッスンへ。ジャンプ、ジャンプ…の振り。へたくそで悲しい。もっとこう、クセのない身体になれないだろうか。やんないと。「できてない」と悲しがってる私を大昔の私が見たら「できてるよ」と言うかもしれないが、できてないのだ。
悪癖近況。やっぱりまだ頭はかきむしる。やばくなると場所変えてやってる。
この頃、80年代のニューウェーブにひかれる。もっとも注目を集めていた頃は聴けなかったが、トーキング・ヘッズとか、その頃のNYニューウェーブのコンピ聴いてみようかと。
気になる人はアート・リンゼイ。旬の人でもなんでもないので、街のCDショップで「アート・リンゼイ、どこにありますか」と訊いても「はい?」なんて言われたりするのだが、昨日行った地元のタワーの人は「アート・リンゼイ、ありますよ!」と即答で案内してくれて「今これしかないですが、こっちは彼がプロデュースしたやつで…」と詳しい。こういう店で買いたいのだが、あいにく探していた盤がなかった。
図書館で横尾忠則のブログ本を見つけて読んでいる。タイトルが長い、長すぎる。
「悩みも迷いも若者の特技だと思えば気にすることないですよ。皆そうして大人になっていくわけだから。ぼくなんかも悩みと迷いの天才だったですよ。悩みも迷いもないところには進歩もないと思って好きな仕事なら何でもいい。見つけてやって下さい」(勉誠出版)というのだ。覚えられないではないか。誰にでもつけられるタイトルではないけど、こんな長くする必然性あるのかどうだか。
以下、同書からメモメモ。
「どんな場合にも執着はよくないと思います。執着はこだわりになるので、大切なのは執着を離れた執着というか、「軽い想い」の持続力だと思います。想いも持続もエネルギーですから、そのエネルギーが必要なものを寄せ集めるのです。だからそのための苦労をする必要はないのです」
「アーティストは本来両性具有的であるのが理想だと思っています。一人のアーティストの中に男性原理と女性原理が存在していて、この両性が結びついて想像が成立するわけです。
つまりアーティストの中の男と女が愛し合うことで子供、つまり作品が生まれるのです。女性原理がインスピレーションを受信して男性原理が作品として社会に発信するわけです」
「芸術は感情表現だけでは幼稚です。感情のコントロールが楽しいのです。頭と身体がばらばらだったらコントロールも無理」
日本の伝統色を色見本とともにていねいに解説。瑠璃色、萌黄、紫苑色…。図版も美しい。
図書館で借りたこの本が良かったので、本屋で買おうと在庫をたずねる。それだけのことをするのが億劫でなかなかできない、やっと今日できた。
七夕の静かな夜、得体の知れない悲しみに追いつかれる。不安でたまらない。
図書館で借りたこの本が良かったので、本屋で買おうと在庫をたずねる。それだけのことをするのが億劫でなかなかできない、やっと今日できた。
七夕の静かな夜、得体の知れない悲しみに追いつかれる。不安でたまらない。
日中、クリストファー・プリーストの←を読む。気になる作家で本作も英国SF協会賞/アーサー・C・クラーク賞をダブルでとった誠に力作なのだが、私の読解力がついていかず。構成凝り過ぎ。メモでもとりつつ読むべきだった?
今週から発表会ナンバーの練習が始まる。しかも日曜の夜という切ない時間帯。なんだか私、ずっと気持ち上がらずだなあ。まぁこの状況ではしょうがないけど。明日がくるのが嫌で寝るのを遅らせている。
今週から発表会ナンバーの練習が始まる。しかも日曜の夜という切ない時間帯。なんだか私、ずっと気持ち上がらずだなあ。まぁこの状況ではしょうがないけど。明日がくるのが嫌で寝るのを遅らせている。
東野圭吾や宮部みゆき、「好き」っていうのとは違うけど(スミマセン)どちらもプロフェッショナルだなぁと思う。直木賞をとった東野圭吾作のこちら←、「そうきたか!」というすごい発想、並みの頭じゃ考えられないトリック…読んで損はないです。が、それでも私はこの同じテーマとトリックで別な人が書いていたら、ひょっとしたらもっと心にしみいるものになった可能性もあるとつい思ってしまう。この本のテーマには作者が得意とする部分と、そうではない部分がどちらも同じウェイトで含まれている気がする。じゅうぶんに「感動作」ではあるんでしょうが、でもでも。惜しい。
そういえば宮部みゆきの「名もなき毒」にも同じようなことを感じたな。意欲的なテーマに取り組んでいるんだけど、作者の育ちのよさ(を感じさせる作風)とか人柄のよさとか―要するに毒のなさ―のためにもう一歩迫ってこない感じがしていた。
知人にご不幸があり、遠路お通夜の席へ。親族の席に座った彼女とは文字通り顔を合わせただけだったが、出席できてよかった。(外出の多い)営業さんの味方、という触れ込みのパンプスなのに足が痛い!
そういえば宮部みゆきの「名もなき毒」にも同じようなことを感じたな。意欲的なテーマに取り組んでいるんだけど、作者の育ちのよさ(を感じさせる作風)とか人柄のよさとか―要するに毒のなさ―のためにもう一歩迫ってこない感じがしていた。
知人にご不幸があり、遠路お通夜の席へ。親族の席に座った彼女とは文字通り顔を合わせただけだったが、出席できてよかった。(外出の多い)営業さんの味方、という触れ込みのパンプスなのに足が痛い!