ナナメ

2006年9月8日 うつもの
授業の準備をしなくちゃなのだが、座っていてもすぐ斜めになって寝てしまう。ひたすらタタミ寝。夕方、ちょっと復活して必要なものをプリント&コピー。夜、友人から電話もらうがちゃんと話せていたんだろうか。こんなに落ちてる理由はわかってるけど私ってばか。

眠らない夢

2006年9月7日 うつもの
・ゼミ合宿みたいなのに参加して、どこかの施設に泊まっている。夜になって、自分の部屋に戻って寝ようと思うが、何かしら障害があって戻れない。部屋にようやくたどりつくが、同室のはずの人々は誰もいない。もう遅いのでさっさと寝なければなのだが、テレビをついつい見てさらに夜更かし。部屋から出ると、先生たちがラウンジのようなところでミーティングをしており、私を見て「早いのね」と言う。早いって言ったってまだ3AMくらいなのに、いったい「朝」って何時始まりなんだろう? このままじゃ一睡もしないうちに、一日が始まってしまう…と焦っている「夢」をみた。つまり本当は眠っていたわけ。こんなのアリ?

・ムーブメントのクラスに出てもなお、「○○たい」というきもちになるなんて。月のせいなのかどうか、すごくロウだ。例の「ご出産」のことから、高専事件の容疑者とされた人が自殺していたことまで、ひっくるめてもやもやと悲しい。こんなこと言っちゃいけないのかもしれないけど。

・クラスで特に何かができなかった、というのではないけど、できたからといって「で?」って感じ、今日は。居場所がいよいよないなあ、それは自分がそうさせているんだよなとも思う。

・昨日の続き。昔は平均台の上を歩いて生きていて、そこから落ちたらもう終わりなんだと思っていた。それが摂食障害になる前と渦中にいた頃。実は別に落ちてもそれで一巻の終わり、とかじゃなくて、別のチョイスが案外あるということがわかりはしたのだが、平均台を歩く羽目になったのは、病気のせいだとか、親のせいだとか、社会のせいだとか思っていた。

・私は症状(拒食)としてはたいしたことなかったが、拒食的性格ということでは結構ヘビーと言えるのかもしれない。たべものの問題はもうなくなったが、それでも自分の本質的な部分で、どうしても平均台的な道を選んでしまう、ということもこのごろ薄々わかってきた。自分から空気の薄いほうへ薄いほうへ、生きるのがむつかしいほうへと行ってしまう。良くも悪くも「自分らしい」部分がそういう方向を志向する。

・平均台渡りきれるのかもしれない。でもこの年齢になると、よく映画に出てくるような工事中のハイウェイみたいに途中でぷっつり終わるのかもしれないとも思う。

・このクラスに来ている子たちは若いし、パフォーマー、クリエイターとしての自分の将来をそれぞれ思い描いているようで(そりゃそうだ)、見ていると羨ましくもあるし、比して自分を思うとちょっとつらくも感じられるときがあります。

・なんだろう? 今日はほんとに落ちちゃった。この前、処方してもらった新しい頓服薬(プロチアデン)をここぞとばかりに試す。クスリでどうこうなる問題じゃないけど、とりあえず。

・不安で、寂しい。足許心もとない。寂しくてたまらない。気分の浮き沈み、今に始まったことじゃないけど、振り回されて疲れる。いいかげん自分で情緒をちゃんとコントロールできるようになれないだろうか…。

・クラスが終わって、会社帰りの人とまじる気がしなくて、地下鉄に乗らず新宿まで歩く。煙草3本分の距離。

・ああー、授業の準備も嫌!

・この日記は、スティーブ・ライヒ(ベスト盤)を聴きながら書いた。寄り添うような音楽を聴く気にすらならない。こういう精緻で突き放したようなやつがいい。「砂漠の音楽」いいな。

リラックス

2006年8月30日 うつもの
会社に着いてPCの電源入れる。立ち上がらない。ファンがごうごう回るだけ。ヘルプデスクの方に修理をお願いする。仕方ないのでのーぱそを借りるが、B5ノートってちっさい。とても使いづらい。夕方には直って元通りになった。担当の方に「なんだったんですか?」と故障の原因を尋ねてみた。説明してくれたが、そもそも私には分からない分野の話で2秒で忘れた(じゃあ訊くなって)。

同僚ちゃんとお昼に出る。彼女とはもう5年近いつきあいになる。若いのにしっかりした考えをもち、もののわかる人。15才も離れているが、私としては一緒に仕事もしやすいし、話もしやすい。私が精神年齢低いってのもあるが。

お昼を食べながら「将来やりたいこと」の話を彼女がするのを聞いていた。彼女の話にせよ、ここ1週間で会ったりメールをもらった友人たちとのやりとりで、偶然にも共通したテーマがある。それは「好きなことをする」ということと、それをする姿勢ということ。

ふと気づいたのだが、私は好きなことをしていながら、自分に不必要につらい思いをさせているのではないか。好きなことをしているんだから、楽しめばいいのに。自分を苦しめるためでなく、必要なことのための努力はもうできるようになっているはず。自分をきゅうきゅう追い詰めなくてもいい。

まわりの人からは自明なのかもしれないが、書けばこんなに簡単なことに、やーっと気づいた。あまりにも一方の側から見過ぎていた。

仕事中に見かけた、20代OLさんのブログで、会社帰りや週末のイベントのことを楽しげに書く一方、「月曜がくると、早く週末にならないかなと思う。こんなでずっとやっていけるのだろうか」とあるのを読んだ。私も20代で正社員として働いていた頃は同じように思っていたよ。週末も楽しくなかったし、「転職」という名義でどこかへ逃げ出すことばかり考えていた。

今はそうは思っていない。ウィークデイにもウィークエンドにもそれぞれの憂うつと楽しみがある。若い頃はイメージできなかったし、こういうふうになるとは思いもしなかったが、願いが叶っているといえる。そしてそれは恵まれたことだと思う。

悟ったかと思えば、また忘れる。その繰り返しだとしてもいい。「リラックス」は「緩める」。「リリース」は「とき放つ」。私にはどちらも必要。
なにもすることがなーい。というかなんかする気力がなーい。すっぴんのまま買出しに出た後、コンスタンを多めに飲んで「がくん」と眠気がくるのを待つ。5時間ほど寝る。コンスタンはウツを変質させてくれるわけでなく、眠気でごまかすだけだよ、私には。もっとましな薬はないのですか? 薬が効いているという状態が私にはわからない。この先、生きていくことが楽しみだとか、せめてフツウに思えるとか、薬に生きるキボーを託すこと自体間違っているんですか。ああでもやってけないよ。こんなわたし、こんなクスリ、生きている限りなにかをしなければならない。私は馬のように丈夫ですから。誰かにずっと、一緒にいて私のことを見ていて欲しい。ODして眠るあいだそばにいてほしい。分析だの解釈だのしないでほしい。生きることが寂しいたまらなく寂しい。私は寂しい。救い上げて私をちゃんと見て欲しい。あと数年と思えばせめて楽になるか。もちこたえられるところまででいい。でもせめて私をちゃんと見てくれ。私ができることは他の人にもできること。仕事に生きがいナシ。私自身はギリギリだ。生きるとっかかりが次第になくなってきている。

転々と

2006年8月19日 うつもの
クーラーのきいているところと、そうでないところを行ったり来たり。頭イタイ。自ら発熱しそうだ。通常のレッスンと発表会の稽古。だんだん雰囲気がでてきて、うーん、異色のナンバーになるかも。「いい意味で」にしないとね。やっぱり頭でこうしよう、と思った先の先がある気がする。身体に任せられればその先へ。

…とここまで書いて、人々のブログを見に出かけたら、なんだか寂しくなってしまった。なんかね。ひとりでい過ぎるのかな。人のなかにいてもひとり。明日はオフ、ただ私の身体と一緒にいます。

ノイズ

2006年8月16日 うつもの
気がつけば あちらこちらで 息を止めて 歩いている。目をつぶり耳をふさぐことが できないとき。生きているからーさびしいのだとしたらーさびしくなくー生きていくほうほうはーわたしにーあるのでしょうかー。くすり 効いてくれ。つながれないことにー気づかれないことにーわたしはーつかれました。
朝起きてあー今日は無理だとまず思い、迷ったけれど夜のコンテンポラリーWSをキャンセルした。いっぱいいっぱいだ。夕方、友人が出演するダンスシードを観に行った。場所は千駄木の黄色いおうち(Brick-one)、住宅街のなかをうねうね歩いたところにあった。ソロ4組が出て友人は3番目。流れもメリハリもあって、続けている人はさすがと思う。私は途中から夜汽車にたった一人で乗っている女の人を想像したけど、あとで話したら全然ちがかった…。友人の友人でダンスをしている方、去年の某所WSで一緒だった子が顔を覚えていてくれて、それぞれお話ができた。

私もいつかアウトプットしてみたいな。できるだろうか、どこかおかしなことになっている、すっかすかの生活と乏しいコミュニケーション力、人間関係力の私で。

かばんのなかに入れっぱなしになってたピルケースのなかに、ワイパックスがあった。いつもらっていつやめたのか覚えていない。電車のなかで口にいれたら、眠くなってきた。私には薬って効かないのかな。この先、ネガティブに塗りつぶされたなかで生きるのは辛い。ねじくれた心がほどけるのはいつ?もう疲れた。この繰り返し。サビシイ。意味ない。サビシイ。
急に降り出した雨がもっとも激しい頃、レッスンを受けに渋谷へ出る。傘をさしていたのに、靴もジーンズもたっぷり濡れる。その後、今日から発表会の稽古が始まるので、急いで電車に乗って移動。今回は和モノの曲で、彼岸ぽい踊りになる予定。先生がコンセプトと意気込みを語る。ガンバル。空調がきいてないのか、スタジオの鏡が曇るくらいの熱気がこもる。転がったり回ったり(回れてないけど)いろいろやる。稽古が終わって、私は汗&雨くさい女のまま友人と会うべくまた電車に乗る。日本人シェフによる南インド料理は、ていねいにつくってあって、おいしくなくはないけど、まるい味がした。

いろいろ話す、いや、「いろいろ」じゃなくて私の話はうつうつ。ずーっとあるうつうつ、もやもや。どこかがおかしいのだが、どこがおかしいのかよくわからない。自分にfeedできてないことはわかった。何が自分の糧になるのか、わかってなくて、自分の面倒みてあげられてない。考えてないようで考え過ぎ。人に言われて自分が傷ついた言葉やイメージをいつまでもとっておくのはなぜだろう。Aさんに言われた「あなたは暗いんですよ!」をどこかで別な誰かから言われたときのため、心の準備をしておくかのように。ほめられるかもしれないのに、それは準備してないんだな。

とてつもなく寂しい。これに尽きる。いつも同じこと言っててばかだけど、お利口になれない。

alone

2006年8月9日 うつもの
ひとり、ひとり、何やってもひとり。手持ちの札が少ないのは宿命だ。

今夜は満月だったのに、あいにく雲がかかって見えなかった。
凡そみな物がグレーで、膜が張ったように生のダイナミクスが伝わらない。どうしてだか何にしろうっすら寂しくて悲しい。エネルギーをどこからとればいいのかわからなくなってきた。私はもともと金曜休みだし、有給休暇もさしてないので、夏休みをとるつもりはない。そもそもどうやって休んでいいのかわからない。
やりたいこと、行きたいところ、ないんだ。殺人現場に残された人型(ひとがた)みたいに突っ伏して寝るくらいしか、休み方がわからない。また種が尽きかけている。ひとりでいるうちに店じまいしたほうがいいのかなと思うくらいに。

不自然

2006年7月28日 うつもの
整形外科とクリニック、メンテナンスのはしご。服用している薬の副作用で「性欲を抑える」というのがある。それが私は気になって「ナチュラルじゃない気がする」と言ったら、先生は「でも既にあなたは他の点でもナチュラルな状態じゃないのだから」と言う。ナチュラル=健康な状態、ネガティブな感情に覆われていない状態。デフォルトでずっとネガティブだから、「健康な心の状態」なんて私は知らない。わかんないな。ひとりぼっちですごく寂しい。
牛乳を買ったら、賞味期限が08.04となっていて、しけた天気のままもう夏に突入してしまうことに気づいた。8月といえばその次の月からは学校へ出張らなければならないではないか。それもまた気が重い。

先日、日記に書いた某女性パフォーマーの方の日記を昼休みに職場でつらつら読み返していて、ああー素敵だなー、と改めてきゅんとしてしまった。※をつけようにも、つけている方は彼女のお知り合いのようだし、何しろ毎日がエッセイのように彼女の世界ができているので、こっちがもごもご書くよりは静かに読んでいよう…と思ってしまう。でも近づきがたいとか冷たい感じがするというのではなくて、実際に会ったら、ほっこりするような人なのではないだろうか。片恋だ。

彼女の潔い言葉の選び方に比べて、自分はなんと暑っ苦しい書きようであることかと思う。でもまだ風通しが悪くて、暑っ苦しくぐるぐる回らざるを得ないようなところに自分がいるのだろうから今はしょうがない。

彼女自身が「身辺雑記」と書いておられるように、日記の内容は踊りや舞台や稽古のことというより、日常のちょっとしたできごとや人々のことで、それを切り取る彼女の視点や言葉がいいのだけれど、ふと自分を思い返したときに、なんだか生活というものの実体があまりにないということに気づいた。

踊りを介すると確かに自分自身や他の表現形態について「通りがよい」ということはあるのだが、考えてみれば、私は踊りというタライのなかでかろうじて泳いでいるだけで、人とまじわったり、人としての生活を豊かに営んだりということがひどく疎かなのではないか。

ちょこちょこ書いていたが、この2,3ヶ月、食べることの興味が失われている。料理はおろか食材すら買ってない。拒食したいわけではないので、昼はがっちり食べているが、味(おいしさ)がよくわからなかったりする。家ではお湯を沸かすのでいっぱいいっぱいというありさま。以前、知り合いの男子が「コーヒーメーカーでお湯を沸かしている」と言うので、「それは人としてどうかと思う」と冗談で言った記憶があるが、今の私自身こそ本気で人としてどうかと思うよ。

これが(1)うつのせい、なのか(2)もともとの性格のせい、なのか(3)薬の副作用のせいなのかはよくわからない。でもちょっとこの「食べることすらめんどくさい」というのはあんまりな事態じゃなかろうか。

…ということを親子丼弁当を食べながら考えていて、隣席の同僚に「自分でご飯を炊くことを目標にしてみる」と言ったら、同僚ちゃん(およそ15歳年下)は「レトルトぐらいから始めてはどうですか」だって。それを買うのも面倒なのよ(ループ)。
早いうちに買出しへいったあと、午後はクスリの力を借りてずっと寝ていた 私が人間のかたちをしている必要があるのか 犬か猫になれたら 里親募集してもらって 「本当の家族」のところで暮らせたかもしれない いつまでこうしている 私にも耐えられないときはある 知っていますか 人間よ終われ 私は動物になります ミルクと抱っこ もっともっと触れてほしい 触れてほしかった 

ねがい

2006年6月30日 うつもの
この頃「○○があるのに、準備していない」という夢をよくみる。授業に出ていない、宿題をやっていない、舞台で弾き語り(そもそもそんなことできない)をするのに練習していない…。夢で私は「マズイ」と思いながらも、さぼり続けている。毎晩のようにこれ。思い当たるふしとしては、後期の授業の準備をしなければと思いつつやってないことだけど、他にもまだ何かあるのか?

昼間、古いぱその整理などして夕方クリニック。先日の父の日のことを話して「家族のなかで自分だけ浮いている気がする。生まれ育った家庭でくつろげなかった者が、人と親しくなることはできますか?」と話の流れで訊いてみた。

そしたら先生はかなりじっくり考えたあと「ある程度以上は難しいかもしれない」と言った。ものすごいゆっくりな勢いで返ってきたマジレス。気休めになる答を期待していたのにこれは…。私って自分で思っている以上にハンディキャップな人なんでしょうか。親や家族と不和でも、結婚して家庭をもって幸せになっている人たちは大勢いるだろうに。

ずっとひとりで生きるのか、あるいはひとりと一匹か二匹で生きていくしかないのかと思うと、スイッチ入っちゃいそうになる。一般論として先生は正しいのかもしれない。けれども、私は親との関係はあきらめたけど、自分が本当の意味で人と親密になること、誰かと家庭をもつことは、それでもあきらめきれない。あきらめてしまったら本当に生きていられなくなる。

私は人とつながるのが下手だけど、「人とつながりたい」という願いをあきらめなかったから、ここまでは生きてこれた。ここまで生きてこれても、なかなか人に対して心を開けないけれど、「開けるようになりたい」という願いはあきらめずにもっていよう。難しくても、捨ててしまうよりは、願い続けているだけでも違うと思うから。
午前中に買出しや図書館の用事を済ませる。そのほうが人出がまだ少ないから。あとは家で転がる。

いつ頃からか忘れたが、食べるという行為が億劫になってきている。ダイエットや拒食ではないと思う(意識して食べないようにしているのではない)。「食べる」=口に異物(タベモノ)を入れて咀嚼するという構図に思えてめんどくさくなるのだ。食べる時間があればその分、寝転がっていたいと思う。

このあいだ電車のなかで、高齢のご婦人たちが「何を食べてもあまりおいしいと思えないのよね〜」と話していたが、私もそんなかんじ。枯れてる。こういうふうに食に関心がないというのは自分史上なかったことだ。体調は別に悪くないけど、人として貧しいかんじ。ちょっとまずいな。なんだろうこれ? うつかクスリのせいかな?

だめだめ

2006年6月21日 うつもの
今週なぜかずっと不調。朝起きるとその日が終わることを願っている。仕事中に頓服薬をのんでみた。効いているんだかどうなんだか…。私はじょうぶなゴミ箱ですか。紙くずばかり、いいとこない。会社のPCの前で空しい。開き直ったりできてなくて、寂しい。かなしい。潰れてしまいたい。こわれたい。もっとこわれたい。

うさうさ

2006年6月17日 うつもの
珍しいことに電車のなかでバリケン(キャリーケース)にウサギを入れて持ち運んでいる人がいた。ウサギ→動物実験→動物実験反対→The BODY SHOP。というわけでボディショップでパウダーファンデを買った。

レッスンは私ぐちゃぐちゃ…。来週がんばろう。

実家に寄ったら母から「母の日も父の日もまだ(もらってない)」と薄くプレッシャーをかけられた。過去のことを今更あれこれ言いはしないが、私そういうの嫌なんですけど。家庭の(とりあえずの)和のために、私の気持ちを踏みにじらないで。

つまらない。寂しい。
朝、起きたらBADな感じだったのでいつものセットに加えて頓服(コンスタン)ものんでみた。

そしたら始点から乗って終点駅で降りるところを、寝過ごしてしまい、電車は折り返してほぼ始点に近い駅だった。約30分の遅刻。

昨日もでたらめなクスリののみ方をしたので、でたらめな寝方をしてしまったのだが、電車で寝過ごすとは不覚だ…。しかしBADなときにのめないんじゃなんのための頓服なのです?

まあそれはもうどうでもいい。
ほんとに価値あることとか、うつくしいものとか、どこにあるの?
仕事の続きして、あとはクスリのんで寝ていた。眩暈。

いろいろ:
親しくなるということは、侵入する(される)のとは違いますよね。

世界が私に無関係なら、私は世界にとって要らない子。

私が人間でいる意味がない。小石とかになって、人に蹴られて海中に沈みたい。人間のふりしているよりよっぽどマシ。もうひとりでいることが辛いの。
騒がしいパスタ屋でひとり昼食をとりながら、「ひとりでいること」についてぼーっとあれこれニュートラルに考えていた。

ある人のブログが少子化問題について触れていた。女性が働きながら育てる環境が整っていないことに原因があるのではなく、「結婚したい子どもを生みたいという愛のようなものが日本の人々になくなったというだけなのではないか」とその人は書いていた。

…。

あー言っちゃったよ、というのが素直な感想。行政で検討し得るような「労働環境」よりも、「愛のようなもの」が擦り減っていることに原因があるのではないかと私も実は(なんとなくだけど)思っていた。日本の「愛のようなもの」の実態が幻想に負けているのではないかと。しかし、それを口にするのは禁忌であるような気もしていた。

これが私に説得力をもつのは、自分が川の向こう岸で「愛のようなもの」を遠くから眺めるばかりであるからだろうか。考えるだに暗澹としてくる。生きるのもひとり、死ぬのもひとり。せめて毀れる自由はまだある。そろそろニュートラルでなくなってきたので寝ます。

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