・右腕がうっすら焼けてしまうのは、ヒーターの前で寝るからです。今日もそんなふうに寝てしまいました。

・何かを失えば、得るものもあると言うけれど、新しく出会うまでは、どうしてもなくしたもの、失われつつあるものにフォーカスしてしまう。変わってしまうだろうことが、私にはつらい。自分のなかで何かが剥がれてゆくかのようだ。

・神様は私に、何をさせたいのだろう。別に何もないのかな。人としての喜びが制限されている運命なら、教えてほしい。神様と話ができたら…って望む人は少なくないだろうけど、そうできるなら諦めもつくような気がする。
…ではないのに、昨日のランチも今日もそう。今日は「新しい店がある!」と同僚とともに行ったらそこのメニューがオムライスしかなかったのだ。トマトソースに具は存在感なかったけどエビ?必ずしもポピュラーなメニューではないのになぜ。会社がたぶん嫌。まともな会社になってきてるんだろうけど、私にはそれが居づらい。何度も書いているけど人のかたちをして人の人生を生きる意味が私にあるんだろうか。自分の問題はクスリでどうにかなるもんでもないし、人間関係の希薄に呼吸が薄くなる。なら止まってくれ。うさぎにでもしてくれないかしら。一日もぐもぐしてるの。でもうさちゃんに悪いからいいや。たまらなく寂しい。なんで人にはあるのに私に人の道がないんだろう。もうすることないです。イキノコルイミガアルナラタスケテ。
…と書いてみて会社でシステムの人たちが「この階層にフォルダを置かないでください」という名前のフォルダをつくって置いていることを脈絡無く思い出す。

淡々と毎日、つけているけどひとりごとのつれづれ書きがむなしくなることもあるよ。私はネット炭鉱婦をしているので、この空間にアップすれば(プライバシーモードとかいうんじゃない限り)どこかで誰かが必ず目にしているというのは知っている。それにしても私はどこに向かって日々つぶやいているんだろう。海?空?砂漠?闇?あるいはここはまさしくヴォイド(虚)なのか。

人間失格

2007年3月23日 うつもの
心身のメンテナンス。背中も肩もばりばりで整骨院へ。それからクリニックへ。服んでも飲んでもよくならない。幸せになれないのは(幸せだと感じられないのは)人として何か欠けているのか成長し損なったのだと考える。「お父さんやお母さんに大事にされたという感覚がないのですね」と先生は言った。その表現は違う気がするがどちらに対しても「子どもでいられなかった」。私はふたりにもっと大人でいてほしかった。くたびれました。愛について知ることがなぜ私にはこれほど難しい。ばりばりACなこと言ってますな。

クスリと…

2007年3月18日 うつもの
自己嫌悪にまみれた日。何やっても私はどうせ「大丈夫」に見えるんだろうよ。終われ、終われ、終わってくれ。変な実験やめてくれ。抗うつ剤って眠くなるほかに能がないのか。
以前、友人と話していて「わたしは神様の風変わりな実験の実験台なんだと思う」と言ったことがある。ずっとひとりにしといてみるとか。ハイヤー・パワーたる神はひとりひとりの幸せを考えてくれているとは思えない。あるいは人の考える幸せとは定義が違うのだ。

人として何かがやっぱり欠けていて、私は浮かばれないのかとか、そういうことを考えていて、クスリを食べ続けていた。そんで今変な時間。ハッピーになれるクスリ、欲しいけど、そこまでいったら戻ってこれないかも。辛いです寂しいです、言い続けているけどお答はもらえない。こんな実験やめてください。そう言ったら「悪いのはお前自身だ」とループか…。

「ムーミン」シリーズの作者として知られるトーベ・ヤンソンが挿絵を描いた本書。訳文(by 村山由佳)は私には合わず絵だけを追っていた。繊細でどことなく憂いのある挿画は素敵。
iTunes強化につとめているので積んどいたCDをとにかく聴く。Luscious Jackson。この姐さん方はかっこいい。こういう感じはとにかく好き。Roul Midon、ギターをもった平井堅? なつかしのBlondie、坂本龍一/Chasmのリミックス盤など。

かなり前に観た「運命の逆転」という映画で、富豪の妻(グレン・クローズ)が確かヤク中という設定だった。映画のなかで、朝食に彼女がパフェを食べるでもなくつついているところがアディクト(依存症者)の荒んだ感じがすごくよく出ていて、当時まさに渦中だった私は「なんで知ってるの?」みたいにフクザツな気持ちになりながら驚いた。“家パフェ”も一般家庭ならまず難しいだろうが、「金持ちだから家つきのシェフに作ってもらえるのだろう」というのとも相まってディテールのつくりに感心した覚えがある。(面白い映画だったんだけど、肝心のストーリーは忘れた…)。

日中、チョコミント・アイスクリームを食べながら服薬していた。現実の不快な刺激を忘れたくてこんなことするのだが眠くなる。クスリでハッピー/ハイになるというのは別なジャンルの話なんだろう。20〜30代にひとりで消費したアイスクリームとタバコのことを考えるとさらに酩酊したくなる。
・会社のドアのところでICカードをかざすとロックがはずれる。その「がこっ」という音が、「プロテクション」のイントロ一発目の「どぅん」というベース音に似ている。通るたびにおもう。

・ムーブメントのクラスは先週より人数がちょっと多いくらいで、やっぱりきつかった。わたしはだめだめだった。へとへとなのと、考え過ぎで身体が動かない。昼間、へろへろしてて夜うまくいくはずがない…というかかえってダンスのエネルギーになるときもあるけど、今日はだめだった。来週リベンジ…のはず。

・こういうところに来ると、自分の自由さより不自由さを感じる。

・このごろわたし、結構ヤク中なのに誰も気づかない。よくあるのが、ずっとあとになってから「あのとき変だった」って言われる。最悪のとき、わたしに言ってこない。いや、乱用は、気づかれなくて幸い。

・クリニックの先生に言わせると、わたしは「服用の基本量が少ない」からヤク中になっててもいいんだって。いいっていうか、しょうがないって。わたしもしたくてしてるんじゃないんですけど。

・ムーブメントのクラスに行く前って「ひとりでいること」についてどうしても思う。「わたしはこういうふうにひとりでいます」ということを晒しに行く、というニュートラルな意味で。

・夕方の街を歩きながらそれについて考えていたら「ひとりで生きていきなさい」と声が言った(幻聴とかではない)。ああ、そうしなければいけないのだ、でもイヤだ、とわたしはおもう。

・「ひとりでいきていきなさい」と「ひとりでいきなさい」は似ている。生きなさい・行きなさい・逝きなさい。ひとりで行くのも逝くのもいいけど、生きるのはやだ。

・昔っから、生きることはわたしにとって難しい。難しくしなくてもいいことを難しくしてしまう。わたしには生き延びるための日常のスキルがあまりない。

・もういいかげん、楽になれないだろうか。寂しさに効くクスリってないのか。

・この日記は"Destination:St.Germain"(VA)を聴きながら書いた。

たまり水

2007年3月6日 うつもの
ネガティブな想像しかできないなら、考えるのをやめる。

「感情は止めることはできないが、思考は止めることができる」とかつて師匠が仰っていた。

うちの裏庭に、マンホールくらいの大きさの池があって、ブルーブラックの色した水がたまっている。私はときどき、それを覗きこまずにはいられなくなる。吸いこまれそうになるのに、ひとりで深い底も見えない水を見に行く。

もちろんこれは、メタフォリカルな庭での話です。

うちにいる

2007年3月2日 うつもの
日中うつうつと家にいる。高校生くらいの頃から時間と自分を持て余して何もしたいことがみつからずにこうしていることがそういえばあった。それがふつうだったので、そうでない日常というのは私にはよくわからない。3倍くらいクスリのんでたと思う。夕方クリニックへ。泣いた。お薬増量、そういうカードしかここにはない。帰ってブレスレット(キットもの)をつくる。またしても簡単なことでつっかえて途中でギブ。白魚のような手の人しかできないんじゃないの? スカパーで「キングコング」を観ながら作業していたが、というか作業していたのであまり画面を見ていなかったんだけど、稀に見るくらい音楽過剰のうるさい映画だと思った。黙っていられない人みたいだ。
…とか日々の占いに書いてあると突発的に作業が発生することが多い気がする。今日もそんな日だった。私はそんなに遅くまではいなかったけれど、マネージャーが帰ろうとした社員の人に「もっと今日、残ってやれないの」みたいにプレッシャーかけてたのが気にはなった。余裕ないのか、彼は。

私、いつまでこんな調子でやっていくのかな、すかすかのまんまで、人として空虚なままで、ひとりで。やだな。

ある独白

2007年2月25日 うつもの
「神様は見ていてくださる」と母は言う。悪いことにはならない、とかちゃんと相応の恵みをくださる、という意味。父母とわたしでは神様との関係が違うような気がする。わたしは特定の宗教を信じているわけではないので、自分が感じるところのハイヤー・パワーという存在としての「神様」のことですが。なんだろう…放置されてるのでなければ、試されている。

父母は努力が実を結んだといえるのだろうし、親きょうだいの期待にそむかなかった。わたしも「努力すればきっと報われる」と思って子ども時代から(自分では)努力したつもり。しかし手に入るものでさっぱり満たされない。「親の言うとおり」にしていればうまくいくはずだったのに。

だいぶ大きくなってから、空回りに気づいた。そもそも自分の望みでもなんでもないことにむけて努力していたのではないか。その通り。その努力も生活のため活用されているので無駄ではないけれど、だからといってその落胆で力を失われないことにはならない。「落胆」という言葉では見合わない。なんといって表現していいかわからないけれど、自暴自棄になってもおかしくない(ある意味、そうなったが)ほどのショック。

わたしはキャリアウーマンになりたいわけでも、学者だのプロの仕事人になりたいわけでもなかったのです。ただ愛されたかっただけ。人として、女性として愛されかわいがられたかっただけ。それを自分で認められるようになるまで、時間がかかり過ぎました。

勉強をいくらしても愛されることにはつながらない。わたしはメディアの情報をかなり鵜呑みにするほうで、化粧にも服装にも(それなりに)苦心したと思います。これこれのことをしないと、愛されないんだと。でも男性受けするものではなかったんでしょうね。あるいは外見もともかく、中身に何かが欠けているか過剰なのか、もうとにかくだめだめなのか。自分の何が悪いのか、自問し自責する日々です。

この最後の部分に、私はとにかく足をすくわれています。「愛される」ためにはいったいどう努力すればいいのでしょうか。「そのままで」いていいのでしょうか。しかしもう長い長い時間が何もなくたってしまいました。「愛されるための努力」として、また例のマッチメイキング会社に登録したり、出会いサイトに出入りしたり、とにかくナンパされたり/したりする機会をつくらないといけないんでしょうか。あるいはもう何もかも捨てて、自分がもっと自由になれるどこかがあるならば、別の場所へ生活を移すことも考えるべきなのだろうか。

疲れました。疲れた、と言える場所もわたしには限られています。何もかもうっすらかなしい、この現実は変えられるのでしょうか。
ムーブメントのクラスがしばらくない、と思っていたけれどもう来週から再開の予定。3月には別なちょっと無理めかも?のWSもある。ので今のうちのったり休んでおいたほうがいいんだけど、休みかたがよくわかんないよ。じっとしていると自分がふらふら揺れ動いているのに気づく。それを不安という。イン/アウトのバランスが悪い。極端にインプット>アウトプット。出力のほうが少ないから自分が鉱物になったような気がする。人のなかにあって石。ほんとの石のほうがまだ何か発信できているかもしれない。でもこれは出力障害ではなくて、こういう表し方をわたしはするのです。そこはかとなくかなしい。さびしい。

つかまる

2007年2月21日 うつもの
時間があると、つい、かなしい考えにつかまってしまう。(かくれんぼの鬼のように)かなしい考えがわたしを捕まえるのでなく、(つり革か何かのように)わたしがかなしい考えに掴まってしまうのだ。抱きまくらなら他にもあるだろうに。
仕事で動き回る営業さんにもこれで安心!みたいなふれこみのパンプスを履いていたがやっぱり足が痛くなる。日頃から思っているけど、自分の足のかたちって甲がしゃくれているというか変じゃないかな。ランチを買いに行く、弁当屋さんまで歩くちょっとした距離でも「体調が悪いこと」「彼氏の気に入らないこと」をもっぱら話すのはやめてくれ。あとのほうは結局「のろけ」ですか。私から話すことはありません。イライラとして嫌な自分。友チョコを買おうかと思ったが、どこも「最後尾はこちら」の札を持って立つ人がいるほど行列なのでくじける。「服薬する」「踊る」の二択で生活するように切羽詰っているのはどうして。自分が燃えさかるなにかをしょって立っているように感じる。いつかその炎に焼かれるのだろうか。たまらなく寂しいから自身で発火する炎。
…という禅問答のようなことをダンスの先生たちはときどき言う。けがしないように、でも自分の限界のちょっと先までやって、とかそういうような意味にとっている。今日はBDCのジャズコンテのレッスンへ行ったが何気にムツカシイ。そしてキツイ。振りが面白かったし、フロアの練習もためになるので来週リベンジしたいところ。

以前は「私なんかが天王山のようなこのスタジオに通っていいのかしら」とか思っていたが、今日はふつうにのしのしとレッスンに出てた。別に急に前よりうまくなったわけじゃない。人は自分が思うほど他人のこと気にしてないだろうし、開き直った者勝ちだと思うだけ。このあと地元のスタジオへ、いつものレッスンに出た。なぜか人が多く(動けずフラストレーションたまる)、さすがにぼろぼろでした、私。

昨夜は友人宅で私の祝バースデイNIGHTをしてもらった。真夜中にケーキ食べたり、煙草もいっぱいすったし、明けて今日は東京大神宮へお参りに行ったり、コスメ買いに出たりした。ついでに言えば、この週末はがががとCDも買ってしまったよ。まあWポイントになったんだけど。

彼女のおうちが居心地・寝心地よいのはソファやふとんのせいだけではない。またお手当てしてもらっちゃった。ありがとう。だからしみじみ休めたんだと思う。自分が苦しくなるような関係とか場所からは離れよう。よくよく考えたら自分にとってどうでもいいような関係や事柄に心を砕くのもちょっともうやめよう。そろそろ仕事を休みたい頃ではある…(けが以外の)病欠りたい。どこかへ行きたい。

彼女とも話したことで、さっきレッスンの帰りに電車のなかでふと思い返していたけれど、自分のしている(してきた)ことってやはりどこか自傷ぽいのかなと思う。踊りのイメージを考えていると、お腹を自分のこぶしでなぐり続けている子ども…みたいな、自分の手で傷だらけになってゆく私がなぜか出てくるのだ。
毎度のことだが朝が超具合悪くて、薬をひとつふたつみっつ…と重ねてのむ。服用量なんか守ってない。どうなってもいいやーというように。私にはノイズが多すぎる、世のなか。ここはいちばん勝手もわかるし言葉も通じるのに自分がストレンジャーのような気がするし、それにずっと甘んじているのも腹立つ。どこかへ行って不良外人にでもなるかー!いやまじめに。こんなとこいてこれから先どうにかなるの?昨日は実家に泊まったが母とは宗教的な理由で、父とは政治的な理由でかみ合わない。父はきわめつけの保守派だから柳沢厚生労働相の報道に「マスコミがバカだ」とテレビに向かって罵るが、私は内心「このジジイ、早くすっこんでくれ」と毒づく。若者が子どもをふたり欲しがっている、という根拠はいったいどこにあるのよ。この人のファンタジーですか。なんか心底疲れる。

職場にて

2007年2月6日 うつもの
実家に来てます。今日の部会でまたガン寝してしまった。どうしてもこの社会的なノリについていけない。今、一緒に働いている人たちは入社5〜6年め、ようやく30才くらいの人が多くがんがん仕事に打ち込みたいお年頃。うちのような小回りのきくIT企業では評価もされるからなおさら拍車がかかるのだろう。ともかく私は寝ました。興味ないのです。寝てしまいました。あーあの人テンション高いな、とか感情出しっぱなしだなとか、どうしてそうも強気になれるのかだとか…あるいは自分が人の営みから遠く離れているような気持ちに襲われると思わず薬を飲み込んでしまう。しらふじゃやってられませんよ。今日は(帰ってから)缶チューハイ飲んでるし。毀れているみたい?
今日はとりわけ愚痴。やはり同僚ちゃんは風邪で午前休。昨日から具合悪そうにしていたのだ。私は「馬のように丈夫」なので病気がちの人に対して冷たいと思う。彼女は無理がきかないのに、頑張りすぎたりするし、体調管理しない。そのつもりはないんだろうけど「具合悪さ」をアピールできてるし、しかも不機嫌。仕事のことでカリカリしている。ひとりでまわしてるわけじゃないし、うまくまわらなくて当たり前。彼女の感情的なあれこれを受けとめたり病欠のフォローをするのは私なのに、「大丈夫?」「君の体調が心配」とかまわりに言ってもらえるのはもっぱら彼女だ。彼女は責任感あるし仕事もしっかりやる人だが、この構図にこの頃すごく疲れる。心が狭いこと、私。

夜、部の飲み会。健康な若い人たちとかみあわない。自分だけ向こう岸にいるような感覚。自分だけ崖下に落ちてるような感覚。「30歳になると新しくスタートを切れるような感じがするから三十路が楽しみ」だとかさ…なんだかどこにもとっかかりようがない。かかわれるところがなくて、うつうつとする。恋話してても私には向けてくれないし。なんか「できあがった人」みたいに思われてるのかな。私にはこの先なんもないんだよ。そういうような気がしてしょうがないんだよ。つまんないから飲んじゃえ。薬ものみながら帰る。もっとのみたかったけど明日があるのでのめない。
この頃やばい感が募る。クリニックへ行く。新しい薬が出る。実家で今日は泊まり。私がストーブの前で半分寝ているのに母が依然として話しかける。生返事。

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