友人にメール、一晩寝て、翌朝。「自分は動きたいと思っていても、身体には動きたくない理由がある。そういうことか」となんとなく納得した。以前だったら「動けない、もうだめだー」とひとりで坂をまっしぐらに転げ落ちていただろうけど、とりあえず立ち止まって「そうなの」と認められるようになったらしい。そういうのは前と違う。

午前中、裸足で外を歩いてみて、草の感触、日なたと日陰の違いを足の裏で実感する。「地面ってどんどん踏みしめても揺るがない」という当たり前の事柄を体験して、「発見」をしたような気持ち。
昨夜のセッションより、やや激しく動く系のワークを行う。3人組になって、ひとりが主役、あとの二人が主役を盛りたてるように動く、というワークをした。自分がセンターになったとき、曲が「アヴェマリア」で、そのとき浮かんでくることを手当たり次第に身体に出して踊った。すごく没入した。ああ、できた、よかった。「戻った」という感じがする。「気持ちよさそうだった」と一緒の組の人にも言われる。

午後はダイナマイトに明るいゴスペル・シンガーの方を迎えてのセッション。足ツボを教えてもらったり、ストンプをする。そしてゴスペルのレッスン。そんなに長い時間ではないのに、Oh Happy Dayなど2曲をレッスンして歌えるようになった。すごいみんな!私は声を出すのがとにかく苦手だけど、音楽に合わせて動きをつけたら歌いやすく、楽しくなった。そばにいた人の証言では「楽しそうだった。背中からも声が出ていたよ」とのこと。おおーそうですか。

夜はキャンプファイヤー。雷がゴロゴロ鳴り、直前まで雨が心配されたがなんとかもつ。キャンドルの灯りのなか、自分の願いを絵に描いて、それを炎にくべるのだ。星空の下で静かに炎を見ていると、先に旅立った友人たちのことが浮かび、思いがけず嗚咽してしまった。「こんな別れ方はしたくなかった」という言葉が浮かぶ。同世代の友人は「これから喪失は増えるよ」と言う。それはそうなんだけど、それで「慣れる」ものなんだろうか。正直なところ「かれらがいなくなったらどうしよう」と思っていたわけではないのに、いざいなくなってしまうとこんなにひっぱる。いつまでも解放してくれない。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり(暗くて顔が見えないのは幸い)、しゃがんで火が消えるまで見守った。「愛する能力、愛される能力をお与えください」というそもそものお願いは違うものになってしまった。

その後は宴となって懇親会。ジャンベ奏者とその奥様が飛び入り参加されて、即興演奏にのせてまたむちゃくちゃ踊りまくった。輪をつくって、その中心でひとりずつソロ(といっても適当)で踊ったり、音楽のまま気のむくままやりたい放題。楽器は多くないのに、音にヴァリエーションがあってすごく遊べて楽しめた。

この頃はダンスというと巧拙にとらわれへこむほうが多かったが、久しぶりに「自由に踊る」ことを楽しんだ。もう動きのネタがないし、エネルギー切れ…と思う頃に音楽が終わったが、まだもっともっと続けられたようにも思う。踊ったあとは頭がぽっかりして、話をするような気にもならなくて、ぐったりして寝た。(続く)

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索