非・定型

2011年1月2日
初詣。毎年、同じ日に同じところに通っているが、実は「ひとりでお参りに行く」というのが結構、憂うつだ。教会の日曜の礼拝にひとりで行って気落ちするのに似ている(もう行っていないけど)。

昨年よりもなんだか混んでて、ファミリーだのカップルのなかひとり参道でちょっとずつ歩を進めながら考えた。昨日は実家にいたけど、家族のなかで閉塞感を感じるのは私だけ?年をとるにつれ、はっきりしてきたことだけど、私は家族の他の人たちがしていることができてなくて、してないこととかしなくていいことをやったり、とにかくひとりだけなんかに陥ったりしてきている。

妹家族とか、従姉妹夫婦とか集まってきたり、あとまぁ年賀状でしかやりとりしてない友人知人の家族写真を見たりだとかして思うけれども、愛されているとか愛されていない、という問題よりも単純に私はこの家族に「合わない」のではないだろうか。いつの時点かわからないけど、合わなくなっちゃったんではないかと思う。

いわゆる定型の幸せは私の幸せではない気がする。だからわかりやすいところを探してもきっとみつからない。自分の鼻で探さないといけない。

音楽やダンスはいつまでも今と同じように自分と居てくれる、と感じる。残念ながら人についてはそう思えず、ものごとはとてもうつろい易い。そういうことを考えると、自分の居方について改めておもう。あーこんなところに、ひとりでやっぱりいるって。

でもわたしがらくにいられるところはどっかにあるとおもうのよ。

時間をかけてお参りを済ませ、お札をいただいて帰りました。

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